商店街をずっと浸かっていたい心地良いオンドに!〜38℃の初披露はヘルシーごはん対決〜

, ,
取材・記事 白井紀行   東武東上線霞ヶ関駅南口から徒歩10分ほどにある角栄商店街。 今から半世紀前の高度経済成長期に開発された商店街。 足を踏み入れると昔懐かしい昭和レトロな景色が広がります。   いまや日本全体の課題となっている少子高齢化の波。 角栄商店街も例外でなくシャッターを閉じた店舗が目立ちます。 けれど、未だ街としての機能を失ったわけではありません。   霞ヶ関北の商店街を心地よい温度に 「空き店舗」を活用し、街を魅力のある場所へと変えていくエリアリノベーション。 川越では平成28年から「まちづくりキャンプ」として取り組んできました。 その成果として第1回から「80%」、第2回から「ちゃぶだい」が事業化。 そして、平成30年に第3回が開催されその舞台として選ばれたのが霞ヶ関北地区。 10月28日に霞ヶ関北公民館で3日間で作り上げた成果を発表。   そのうち1チームが「38℃」というコンセプトで事業の具体化を進めてきました。 「38℃」とはお風呂の温度。立ち上げた合同会社にもオンドとつけました。 熱すぎず冷めすぎず長く浸かっていられる温度(オンド)。 商店街を「ぬるま湯」のような心地良い環境にしたいという思いを込めています。   2019年1月にウェスタ川越で開催された「川越ビジネスプラン」で事業形態を発表。 次の3つの居場所を運営しながら、地域と連携していくことを目指します。 …

あなた色の眼鏡フレームを~澤口亮さん「澤口眼鏡舎」店主~

,
2019年1月に川越市三久保町にゲストハウスとしてオープンした「ちゃぶだい」。その庭に3月10日オーダーメイドの眼鏡フレームの小さなお店「澤口眼鏡舎」がオープンします。 工房も兼ねているこのお店の店主は澤口亮さん。1月まではデザイン分野で活躍する会社員でした。   プロダクトデザイナーとして ご両親の影響で、小さなころからトランペットをはじめとした音楽に親しみ、美術にも強い興味を持ち、頭を使ってというより、手を動かした活動が得意だった澤口さん。 しかし工業高校を卒業後は、特にこれがやりたいという希望もなく、親戚の方からたまたま声をかけてもらったという大手メーカーに就職しました。   就職後はソフトウェア開発部門に配属されたものの、仕事が性にあわずすぐに辞めてしまいたいと思いながら働つづける日々を過ごします。 そんなときに社内誌の挿絵を描くことになり、もともと小さいころから絵を描くのも大好きだった澤口さんは、やはり、手を動かしたクリエイティブな仕事がしたいと強く思うようになりました。   「上司に相談したところ、それなら会社の中にデザイン部門があるから、と連れて行ってくれました。でも、デザインなんてやったことない。上司から『それなら、ちょっと勉強してみたら?』と背中を押され、デザイン専門学校の夜学に2年通うことになりました」   夜学卒業後、しばらくしてデザイン部の方から声がかかり異動。始めはATMといった金融流通系プロダクトを担当します。やがてワープロやパソコンといったパーソナル製品やサーバーも担当し、徐々に携帯電話やスマートフォンのプロダクトデザインも手掛けるようになりました。   「コツコツ作る金融流通系の仕事より、僕は絵が好きというのもあり、見映えとインパクト重視のパーソナル製品のほうが得意でした」 パーソナル製品を担当するようになってから、まるで暴走するようにデザインにのめりこむようになったと語る澤口さん。 そんな中、お客さんが製品についてこだわるポイントはデザイン、だけれど、そこを細かく突き詰めていくと、思った以上に色が購買意欲に影響していると気づいたそうです。   手作り眼鏡フレームとの出会い ある時、眼鏡を作りに、奥様が見つけてきた浦和の眼鏡屋さんへと出かけました。   「おもしろい眼鏡屋さんがあるよということで行ってみました。その時選んだのが手作りの眼鏡フレームでした。形もよくて、ワクワクしました。家に帰ってから、これもしかしたら自分でも作れるんじゃないのかな?なんて思い始めました」   モノづくりが大好きな澤口さんの心は踊り、すぐに、眼鏡フレームを作るための材料を求めて動き始めます。しかし、個人向けに小さい単位で材料をおろしてくれるところはなかなか見つかりませんでした。それにもめげずあちこち電話をかけまくり、なんとか材料を手にいれて眼鏡フレーム作りにとりかかります。 そんな状況が大きく前進したのは、国内外のメーカーが集まるメガネショー(国際メガネ展)で、福井コーナーに立ち寄ったときのことでした。福井といえば、メガネフレームの国内生産シェア率96%を誇る鯖江市があります。   「とある会社が、板状の材料から糸のこを使って眼鏡のフレームを切り出すという手作り教室をやっていました。それを見て、ここならきっと話を聞いてくれると思いました」   その会社の社長に、直接材料をまとめて個人で購入させてもらえないだろうか?と直談判するも、なかなか快い返事はもらえませんでした。そこで、作り方をWebで調べてなんとか作り上げた眼鏡フレームをみせると、やる気はあると認められたのか、条件付きであるものの小口で仕入れられることになりました。 十分な材料を手に入れた澤口さんは、部屋の片隅で眼鏡のフレームづくりに没頭します。 たまたま家に出入りしていた工務店の方から、眼鏡を作って欲しいという依頼があり、さらに「クラフトフェアまつもと」への出店を勧められました。 クラフトフェアまつもとは、各地のクラフトフェアのさきがけと言われる大人気のクラフトフェアで、1985年から現在まで続いています。 澤口さんは、高い競争率をかいくぐり、2年連続で出店し手ごたえをつかみます。   「自分の作品を試す場があったのはとてもありがたかったです。お客さんとダイレクトにやり取りするのが本当にとても楽しくて、いろいろ気づかされることが多かったです。今まで物を作るのに一生懸命で視野が狭かったなと感じました」 同じ職場で出会った奥様も、自宅に遊びに来た友人たちに紹介し始めたり、フレーム談義で盛り上がったりと、いつのまにか旦那様がつくる眼鏡フレームのファンになっていったようです。   早期退職、そして起業へ 各地のものづくり市やクラフトイベントでも手作り眼鏡フレームは評価を得るものの、会社での澤口さんは昇進して管理職に就き、現場で手を動かす機会が少なくなりました。さらに会社の早期退職支援制度の存在を知ったことをきっかけに起業を考え始めます。 ところで、一家の大黒柱が早期退職にするにあたり、家族からの反対はなかったのでしょうか?   「もちろんカミさんには、突っ走らないでよと最初は釘を刺されまくりました(笑)。でも、彼女もそのころにはかなり興味をもってくれて、できるだけ手伝うと言ってくれました。それから一緒にさいたま市の創業・ベンチャー支援センターに行って、マーケティングの資料作って相談したり、イベントに参加したりしました」 店舗が決まるきっかけは、実は奥様でした。 奥様が、川越をあちこち歩き回っていたときに古い長屋をリノベーションしたコワーキングスペースダイクマチに出会います。コワーキングスペース内では、さすがに削ったりという作業は無理だろうと思いつつも面白そうな雰囲気に惹かれ、とりあえず連絡だけはとってみようと思いました。 このコワーキングスペースを運営しているのは株式会社80%で、そのメンバーがゲストハウスちゃぶだいのリノベーションにかかわっていました。そして彼らの中で、ゲストハウスの庭には小屋があるので、ここに作家さんに来てもらおうという話しがちょうど持ち上がっていたところで、とんとん拍子に話がまとまりました。   しかし、澤口さんを一番悩ませたのは、売り方でした。 クラフト市など、当初は出来上がった作品をそのまま販売しており、売れてしまうと手元になにも残らない、どんどん商品を作らなければならないと頭を抱えていました。しかし眼鏡フレームは、お客さんの個々の顔のパーツに合わせて調整が必要です。お客さんと接するうちにフルオーダー制という手もあるのでは?という思いに至ります。 「眼鏡は長く使うものだけれど、今すぐ手に入らなくてもいいものです。さらにそれが自分のためだけに作られたものであったら、お客さんは待ってくれるんだと気づきました」   そんな気付きがあってから、澤口さんの中で、商品の展示の仕方や対面方式という販売方法が一気に固まりました。   澤口眼鏡舎の眼鏡フレーム アセテートやセルロイドをつかい、どこかぬくもりのある澤口さんの眼鏡フレームは、かける人の個性を引き立たせるようなクラシカルな形です。中でも色味の深さは独特で、肌になじむ艶やかな色は手作業で丁寧に磨きだされたものです。 あるとき、こんな印象的な出来事がありました。 「あるお客さんなんですが、眼鏡のフレームによって、より華やかで生き生きとした雰囲気になり、とても素敵でした。その様子を見て思わず話が盛り上がりました」 澤口さんは、お客さんに眼鏡フレームの説明しつつ、どうしてその色をかけたいのか?どうなりたいのか?ということをさりげなく聞き出し、お客さんと一緒にフレームを作り上げるスタイルです。 一人一人の顔に合わせるのはもちろん、その人の生き方にまで寄り添う眼鏡、といっても大げさではないかもしれません。   「色んな質問も受けますが、自分で作っているので全部お答えできるんです。そうすると作り手が見えるということで納得されて買われる方が多いです」   澤口さんの手作り眼鏡に出会って「こういうフレームが欲しかった!」と声を上げる人も多いとか。 いままで仕事で作ってきたモノやモノ売りのスタイルと、まるで真逆であることに衝撃と面白さを感じていると語ります。   長く使ってもらいたいものだから、修理や磨き直しも行なっています。   これから 「川越でとてもいいなと思うのは、いろんな人がかかわってくれて、その人たちも同じような活動をしているので、そのネットワークに助けてもらえてるというところです。 お世話になった方にはちゃんと恩返しをしていきたいと思っています。おおげさかもしれませんが、眼鏡業界に少しは貢献できるようにと、でかい夢はもっています(笑)」   今はオーダー制ですが、お世話になった鯖江のメーカーと協業して、もっと気軽に買えるように値段を抑えたものも揃えたいと思っているそうです。 また、モノ作りに携わる作家さんにも思いを馳せます。   「川越は作家さんがあまり目立たない印象なんです。あちこちで活躍している作家さんを集められる場所を提供できればいいなと考えています」   インタビュー当初、シャイなんですとおっしゃっていましたが、モノ作りの話になると話がとまらない、そんな澤口さんの「澤口眼鏡舎」がいよいよ正式オープンします。   お知らせ 3/10澤口眼鏡舎…

川越の民俗芸能を日本へそして世界へ発信!〜石原のささら獅子舞(レクチャー公演)〜

,
取材・記事 白井紀行   川越では多くの民俗芸能が各地で受け継がれています。 ウェスタ川越ではそういった民俗芸能を紹介する公演を2015年から開催。 今年は「石原のささら獅子舞」が演目として選ばれました。   小ホールに入ると右手には衣装展示がされていました。 この公演には川越の伝統芸能を日本や世界にSNSで発信する目的もあります。   13時30分の開場とともに観客が入場。小ホールは満席となりました。 「ささら獅子舞」への関心の高さが伺えます。   会場の照明が落とされ、昨年の様子を記録した映像が始まりました。   「石原のささら獅子舞は慶長12(1607)年に始められたと伝えられ、寛永11(1634)年川越城主酒井忠勝が若狭小浜に国替えの際、雌雄2頭と舞人を伴ったため中断したが宝永6(1709)年に太田ヶ谷(現鶴ヶ島市)に習って復活したと伝えられる」。 歴史や天狗や山伏の役割、祭事の流れなどがまとめられていて理解が深まります。   ささら獅子舞の演舞 背後から法螺貝が鳴り「ささら獅子舞」の行列が入場。   笛の音とともに観客の間を通り前方のステージへと向かいます。   ささら獅子舞の演舞が始まりました。   この公演は写真や動画撮影がOK。 皆んなが一斉にカメラ、スマホ、ビデオを構えます。   1回の舞は一庭(ひとにわ)と数えられ、12切りという12の場面があります。 大きな区切りが終わると大きな拍手が送られます。   第9場面はささら獅子舞の見所、雌獅子隠しの乱舞。 大きな拍手とともに一庭の演舞を終えました。   江田会長の挨拶 演舞の後は「石原のささら獅子舞保存会」の江田会長がステージへ。 「石原のささら獅子舞は慶長12(1607)年に始められたと伝えられ、ひとり立ち三頭形式の獅子舞で関東地方から東北地方にかけて広く分布しています。川越の由緒ある獅子舞をごゆっくりご覧ください。」と挨拶されました。   スライドショー 照明が落とされて貴重な絵や写真が映し出されました。   三澤氏による解説(よもやま話) スライドショーが終わると保存会の三澤氏による解説。 ささら獅子舞に関する数多くの資料の中から、かいつまんだよもやま話です。   石原のささら獅子舞の始まりや、神社でなく観音寺というお寺で行う由縁。 そして、入り口近くに展示してある衣装についての話しがされました。 こちらは山の神が着る古代肩衣の背面。 立体的な唐獅子牡丹は刺繍で、これはもう作れないそうで文化財級。 当時の人たちの財力の高さが伺えます。   こちらは子どもらが身につける衣装。 左が女の子が着るもので絹、右が男の子が着るもので真岡木綿で出来ています。 今の衣装は30年前に作り変えたもの。一番細い絹糸を使った反物を使っています。 現在は、反物も入手が難しく刺繍の代わりに生地を買って縫製にしているそう。   舞だけでなく、衣装や小道具に到るまで守り続けていかねばならない。 民俗芸能を続ける大変さがわかります。   獅子の舞は元々は旦那さんの道楽で浮立(格好付け)の踊り。 太鼓踊りに囃子を付けたのが始まりで、それが農村で発達したと考えられる。 旦那衆の端唄などの洒落者を取り入れていること。 石原のささら獅子舞では雌獅子隠しで先獅子と後獅子が争ったあと仲良くなる。 初めから終わりまでドラマ仕立てにしているのも見所ですと結びました。   体験コーナー 続いては、普段は触れられない獅子頭などを身につける体験コーナー。 ちなみにこの獅子頭、作り変えた記録が無く310年前に寄贈されたそのものだそう。   獅子を持つと想像以上の重さに驚きの感想 「頭だけでなく体全体を使わないと触れないんです」と解説が入ります。   こちらの女性からは獅子舞の角についての質問。 角は雄の先獅子、後獅子にあり自分を誇示するもの。もっと長い地方もあるとか。   獅子頭を体験した方との記念撮影タイム。 獅子舞の踊りには、子どもの悪魔払い、安産、子育て祈願も込められています。   続いては、獅子が身につける太鼓の体験。 みなさんシャイなのかなかなか手が上がりません。   石原町で民泊を営む恵比寿屋の溝井さんが手を上げて挑戦。 太鼓の叩き方を教えてもらいポーズを決めていました。   簓(ささら)と言われる日本最古の楽器。 青竹が多く使われますが石原の簓は竹に漆を塗り牡丹の絵柄が描かれています。   簓は36に割ったささら竹と12の刻みを付けたささら子を擦り合わせて音を出す。 この数字には山岳宗教や仏教の教えが凝縮されています。   花笠についての解説。背面に座布団が付けてあり元々は頭に被るものでした。 しかし、石原町では舞を踊るのは旦那衆でささらっ子は大事なお嬢さん。 頭に重いものは乗せられないと経済が発展した江戸後期からは持ち役ができました。   ささら獅子舞はかつては1時間ほどの舞でしたが今は25分くらいになっています。 花笠を持つのは余所から来た人やお婿さんの役割でした。 交代はおらず1時間持ちっぱなし。簡単だけど大変な作業を新参者に割り当てる。 これによって仲間に迎える習わしがあったそうです。   観客から花笠の上についた飾りについての質問が出ました。 飾りは太陽(日輪)と月。花笠の下のささらっ子は祭の日は神様になります。 桜が満開の大草原で踊っていることを想像してもらえればとのことです。   獅子になる3人の踊り手と山の神が登場して着替えの様子を解説。   これは手首足首に付けるピンコロというもの。 「ピン」は新しい「コロ」は頃合いまで魔よけの役割があります。   手甲の上に巻きます。歌舞伎の流行りを取り入れたという説もあるとか。   山の神の衣装は50年位前は11〜12歳の男の子が着ていました。 今は体格が良いので着物の大きさ、袴の長さは8〜9歳が合うのだそうです。   背中をくるりと向けると唐獅子牡丹。 司会に「重いですか?」と聞かれると「軽いです」と会場の笑いを誘っていました。   獅子頭にはクッションとして藁が詰められています。 これが無いと頭が痛いのだそう。踊り手の交代の度にさらに詰め込みます。   獅子頭は大きく振り回すので2〜3人がかかりでガッチリと固定。 喋れないくらいきっちりと締めるので翌日は顎が痛くなるそう。   水引を被せて獅子が完成しました。   踊り手は水引で全く前が見えない状態で踊ります。   神様に仕えるため、お神酒で身体を清める。 この後、拍子木が打たれ舞の準備ができたことが告げられます。   ささら獅子舞の演舞(半庭)   ささら獅子舞では一庭半を舞ってその日の祭事を終えます。 これは半庭を翌年に残すという意味があります。   山の神が回ればそれに合わせてゆったりと回る三頭の獅子。 踊りの緻密さ、優雅さに改めて感動させられます。   半庭が終わって終演、観客からは惜しみ無い拍手。 「石原のささら獅子舞」を続けてきた人々の思いを感じられたのでは無いでしょうか   「千秋楽の〜♪」と終わりを告げる唄   保存会の内田氏から観客やウェスタ川越のスタッフ、裏方へのお礼。 今年は陰まつりで4月14日(日)に観音寺で行われることを案内。   最後は、祭礼が無事に納まったことを祝って全員で手締め。 シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャンと川越ならではの7つ締めです。   今年の「石原ささら獅子舞」は4月14日(日)に石原町の観音寺で行われます。 400年以上も伝承されて来た民俗芸能を見に、是非、お越し下さい。 カワゴエ・マス・メディアでも当日の模様を取材する予定なのでお楽しみに! INFORMATION 石原のささら獅子舞(レクチャー公演) 【開催】平成31年2月11日(月・祝)14:00〜16:00 【場所】ウェスタ川越小ホール(川越市新宿町1-17-17) 【主催】ウェスタ川越…

地元だからこそ伝えたい地域の誇り〜映画『武蔵野』川越(霞ヶ関)地域上映会〜

,
取材・記事 白井紀行   川越市・所沢市・ふじみ野市・狭山市・三芳町の五市町は三富と呼ばれる地域。 この辺りでは、伝統的な「落ち葉堆肥農法」が360年以上続けられています。 火山灰に覆われ作物が育ちにくかった武蔵野台地。 荒地の開発のため川越藩は農家の人たちに木を植えさせ平地林を造成させました。 この平地林を「ヤマ」と呼び落ち葉を畑の堆肥にして還元する江戸時代からの伝統農法。 都心近郊の広い地域で落ち葉堆肥農法が守られているのは奇跡的だと言われるほど。 それを後世に伝えるため製作されたドキュメンタリー映画「武蔵野」。 原村政樹監督が3年の歳月をかけ、2017年11月に完成しました。   2018年は埼玉、神奈川、新潟、大阪、兵庫、京都など各地で上映を実施。 この映画を地元でもっと応援しようと企画されたのが地域上映会。 1月27日(日)に川越市南文化会館(ジョイフル)で開催され150名を動員。 続いて、2月3日(日)に川越市西文化会館で開催されました。   上映会準備 映画の上映は10:00と13:00の2回に加え原村監督のトークショー。 ロビーでは千木良宣行氏の武蔵野「絵画展」。 地元農家のお米の販売やかわごえ里山イニシアチブの活動紹介も行われる。 これを支えるために集まったボランティアスタッフは17名。 映画「武蔵野」プロデューサーの鈴木敏夫氏が1日の流れや割り振りを説明します。   開場まで1時間あまり、スタッフ総出で会場設営。 ロビーに受付用の机を並べ、案内板、ポスターを館内各所に貼っていきます。   こちらは霞ヶ関地区で江戸時代から米作りを行っている「三村農園」ブース。 籾殻、糠、藁といった米作りの副産物を堆肥とした農法を行っています。   当ブログではお馴染みの「かわごえ里山イニシアチブ」 活動の紹介と乾燥マコモとマコモ茶の販売。   受付の準備も整いました。   開場しました 9時半の開場時間となり前売りチケットを持ったお客さんが続々と来場。 原村監督も受付に立ちお客さんを出迎えます。   上映時間が近づくにつれ徐々に客席も埋まってきました。   満員とはいきませでしたが、まずまずの入り。   上映にあたって(挨拶) 本日、司会を務めるのは鈴木プロデューサー。 昨年の3月には川越スカラ座を始め、大阪、神戸、京都でも上映したことを紹介。 今年も多くの人に見てもらいたいとあちこちに働きかけているのだそう。 3月には「ポレポレ東中野」の上映が決まりました。   続いて、今回の上映会の集客に尽力したスマイリーのぶさんが登場。 東武東上線霞ヶ関の西側にある角栄商店街のそばに生まれたまさに地元人。 地元を元気にしようと活動をしてきた中で、原村監督と出会ったこと。 チケット販売に日頃親しくしてもらっている飲食店にご協力いただいたこと。 会場を見渡せば見知った顔ばかり。地元で上映できる喜びに溢れた挨拶でした。   スクリーン一杯に武蔵野の美しい平地林が広がり映画が始まりました。 一家総出で落ち葉を集めて堆肥にし農作物を育てる農家の様子。 開発の波に呑まれ木が切り倒され倉庫や産廃置き場へと変わる現実。 平地林を守る活動、切り倒した木を使った家具の制作...。 どんなに時代が変わっても、変えてはならないものがある 武蔵野の自然と四季の映像とともに監督からのメッセージが描かれています。   オーケストラの荘厳な音楽とともにエンドロール。 作品の完成には、市民プロデューサーと呼ばれる多くの支援者も関わりました。   記者もReadyforのクラウドファンディングで協力。 スクリーンに自分の名前が乗るという初めての経験でした。   武蔵野を語る(トークショー) 上映が終わると原村雅樹監督と音楽を担当した鈴木光男氏が登場。 映画についてのトークショーがスタート。   原村雅樹…

金子みすゞの詩の世界に初めて触れてきました〜第13回 おさらい会「金子みすゞをよむ」〜

,
取材・記事 白井紀行   「金子みすゞ」は、大正末期から昭和の始めに活躍した童謡詩人。 26歳の若さで死去するまでに512編の詩を綴りました。   詩の時代背景や生涯を学びながら全集を5編ずつ読み進めていく「みすゞ塾」。 毎月第2・第4月曜日に蓮馨寺で行われています。 その朗読をみんなの前で発表するおさらい会が12月15日に開催されました。 場所はクラッセ川越6F多目的ホール。開始時間になると満員となった客席。   みすゞ塾を主催するのが川越在住の女優の谷英美(えみ)さん。 17歳で曽根崎中生監督「夜をぶっとばせ」で映画デビュー。 1999年に金子みすゞの生涯を描いた一人芝居「空のかあさま」を主演。 その上演をライフワークとするアロンシアターも主宰しています。   「金子みすゞの詩の数々を織り成す世界をお楽しみいただければ。」 と開幕の挨拶が終わるとザーッと波の音。朗読の始まりです。   1.阿仁屋洋子さん 海の鳴る夜は 冬の夜は 栗を焼き焼き 聴きました 金子みすゞが生まれた山口県長門市仙崎町は、かつて捕鯨で栄えた町。 その頃のことを唄った「鯨捕り」。   そして、「鯨法会」、「大泊港」、「弁天島」、「海の果」。 選ばれた5編にはみすゞが生まれ故郷の仙崎の姿が描かれています。   2.幕内史子 …

昭和の街で食べて飲んで楽しんで東日本大震災の復興支援〜うんめぇ祭〜

, , ,
取材・記事 白井紀行   冬らしい厳しい冷え込みとなった12月9日(日)の蓮馨寺前。 ちんどん屋さんが鐘や太鼓を打ち鳴らし昭和の街らしい賑やかな演出。   この日、昭和だヨ!全員集合『東北の元気が出る…

100円玉で引き出せ商店街のポテンシャル!〜かすみがせき100円商店街〜

, , , , , ,
取材・記事 白井紀行   東武東上線霞ヶ関南口から徒歩5分ほどにある「かすみ北通り」。 この生活道路沿いには「かすみ商店街」と「角栄商店街」が軒を連ねる目抜き通り。 昔懐かしい昭和レトロな光景が今も残ります。   ノスタルージーな雰囲気に浸れる街。 といえば聞こえは良いですが、現実的にはシャッターを下ろした店も目につく。 観光地でなく街全体も高齢化が進むのは否めない。 だけど、この街にはまだまだポテンシャルを秘めているはず。 商店街の賑わいある姿を見せれば、人は集まりこの街も変わっていくのでは。 その思いから約1年がかりで企画・構想をまとめた「100円商店街」   目玉となる100円の商品を置くことで、足を止めてお店の中に入ってもらう。 通り過ぎるだけだったお店に興味を持ってもらい、店主と会話を交わす。 「街バル」「街ゼミ」とともに商店街活性化の3種の神器として注目されています。   3人の呼びかけに集まった地域住民、商店街の店主、霞ヶ関を愛する人たち。 街ゼミやFacebook(かすみがせきを元気にする会)…