東京2020に向けて〜笠幡駅駅前広場供用開始&デマンド型交通スタート〜

取材・記事 白井紀行   今日はJR笠幡駅で駅前広場供用とオンデマンド交通の開始を記念する式典の取材。 記者の最寄駅は東武東上線「霞ヶ関」駅。 10時の式典に間に合うルートを調べると川越シャトルがヒット。 市内の主な移動は自転車と電車で路線バスも使いますが川越シャトルは未経験。 交通に関する取材でもあり、ちょうどいい機会と思い乗車してみました。   川越シャトルに乗ってみました 乗車するのは11系統。霞ヶ関駅北口〜伊勢原団地〜西後楽会館というルート。 (こちらにて経路と時刻をご覧下さい。▶︎川越シャトル10・11系統…

川越の民俗芸能を日本へそして世界へ発信!〜石原のささら獅子舞(レクチャー公演)〜

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取材・記事 白井紀行   川越では多くの民俗芸能が各地で受け継がれています。 ウェスタ川越ではそういった民俗芸能を紹介する公演を2015年から開催。 今年は「石原のささら獅子舞」が演目として選ばれました。   小ホールに入ると右手には衣装展示がされていました。 この公演には川越の伝統芸能を日本や世界にSNSで発信する目的もあります。   13時30分の開場とともに観客が入場。小ホールは満席となりました。 「ささら獅子舞」への関心の高さが伺えます。   会場の照明が落とされ、昨年の様子を記録した映像が始まりました。   「石原のささら獅子舞は慶長12(1607)年に始められたと伝えられ、寛永11(1634)年川越城主酒井忠勝が若狭小浜に国替えの際、雌雄2頭と舞人を伴ったため中断したが宝永6(1709)年に太田ヶ谷(現鶴ヶ島市)に習って復活したと伝えられる」。 歴史や天狗や山伏の役割、祭事の流れなどがまとめられていて理解が深まります。   ささら獅子舞の演舞 背後から法螺貝が鳴り「ささら獅子舞」の行列が入場。   笛の音とともに観客の間を通り前方のステージへと向かいます。   ささら獅子舞の演舞が始まりました。   この公演は写真や動画撮影がOK。 皆んなが一斉にカメラ、スマホ、ビデオを構えます。   1回の舞は一庭(ひとにわ)と数えられ、12切りという12の場面があります。 大きな区切りが終わると大きな拍手が送られます。   第9場面はささら獅子舞の見所、雌獅子隠しの乱舞。 大きな拍手とともに一庭の演舞を終えました。   江田会長の挨拶 演舞の後は「石原のささら獅子舞保存会」の江田会長がステージへ。 「石原のささら獅子舞は慶長12(1607)年に始められたと伝えられ、ひとり立ち三頭形式の獅子舞で関東地方から東北地方にかけて広く分布しています。川越の由緒ある獅子舞をごゆっくりご覧ください。」と挨拶されました。   スライドショー 照明が落とされて貴重な絵や写真が映し出されました。   三澤氏による解説(よもやま話) スライドショーが終わると保存会の三澤氏による解説。 ささら獅子舞に関する数多くの資料の中から、かいつまんだよもやま話です。   石原のささら獅子舞の始まりや、神社でなく観音寺というお寺で行う由縁。 そして、入り口近くに展示してある衣装についての話しがされました。 こちらは山の神が着る古代肩衣の背面。 立体的な唐獅子牡丹は刺繍で、これはもう作れないそうで文化財級。 当時の人たちの財力の高さが伺えます。   こちらは子どもらが身につける衣装。 左が女の子が着るもので絹、右が男の子が着るもので真岡木綿で出来ています。 今の衣装は30年前に作り変えたもの。一番細い絹糸を使った反物を使っています。 現在は、反物も入手が難しく刺繍の代わりに生地を買って縫製にしているそう。   舞だけでなく、衣装や小道具に到るまで守り続けていかねばならない。 民俗芸能を続ける大変さがわかります。   獅子の舞は元々は旦那さんの道楽で浮立(格好付け)の踊り。 太鼓踊りに囃子を付けたのが始まりで、それが農村で発達したと考えられる。 旦那衆の端唄などの洒落者を取り入れていること。 石原のささら獅子舞では雌獅子隠しで先獅子と後獅子が争ったあと仲良くなる。 初めから終わりまでドラマ仕立てにしているのも見所ですと結びました。   体験コーナー 続いては、普段は触れられない獅子頭などを身につける体験コーナー。 ちなみにこの獅子頭、作り変えた記録が無く310年前に寄贈されたそのものだそう。   獅子を持つと想像以上の重さに驚きの感想 「頭だけでなく体全体を使わないと触れないんです」と解説が入ります。   こちらの女性からは獅子舞の角についての質問。 角は雄の先獅子、後獅子にあり自分を誇示するもの。もっと長い地方もあるとか。   獅子頭を体験した方との記念撮影タイム。 獅子舞の踊りには、子どもの悪魔払い、安産、子育て祈願も込められています。   続いては、獅子が身につける太鼓の体験。 みなさんシャイなのかなかなか手が上がりません。   石原町で民泊を営む恵比寿屋の溝井さんが手を上げて挑戦。 太鼓の叩き方を教えてもらいポーズを決めていました。   簓(ささら)と言われる日本最古の楽器。 青竹が多く使われますが石原の簓は竹に漆を塗り牡丹の絵柄が描かれています。   簓は36に割ったささら竹と12の刻みを付けたささら子を擦り合わせて音を出す。 この数字には山岳宗教や仏教の教えが凝縮されています。   花笠についての解説。背面に座布団が付けてあり元々は頭に被るものでした。 しかし、石原町では舞を踊るのは旦那衆でささらっ子は大事なお嬢さん。 頭に重いものは乗せられないと経済が発展した江戸後期からは持ち役ができました。   ささら獅子舞はかつては1時間ほどの舞でしたが今は25分くらいになっています。 花笠を持つのは余所から来た人やお婿さんの役割でした。 交代はおらず1時間持ちっぱなし。簡単だけど大変な作業を新参者に割り当てる。 これによって仲間に迎える習わしがあったそうです。   観客から花笠の上についた飾りについての質問が出ました。 飾りは太陽(日輪)と月。花笠の下のささらっ子は祭の日は神様になります。 桜が満開の大草原で踊っていることを想像してもらえればとのことです。   獅子になる3人の踊り手と山の神が登場して着替えの様子を解説。   これは手首足首に付けるピンコロというもの。 「ピン」は新しい「コロ」は頃合いまで魔よけの役割があります。   手甲の上に巻きます。歌舞伎の流行りを取り入れたという説もあるとか。   山の神の衣装は50年位前は11〜12歳の男の子が着ていました。 今は体格が良いので着物の大きさ、袴の長さは8〜9歳が合うのだそうです。   背中をくるりと向けると唐獅子牡丹。 司会に「重いですか?」と聞かれると「軽いです」と会場の笑いを誘っていました。   獅子頭にはクッションとして藁が詰められています。 これが無いと頭が痛いのだそう。踊り手の交代の度にさらに詰め込みます。   獅子頭は大きく振り回すので2〜3人がかかりでガッチリと固定。 喋れないくらいきっちりと締めるので翌日は顎が痛くなるそう。   水引を被せて獅子が完成しました。   踊り手は水引で全く前が見えない状態で踊ります。   神様に仕えるため、お神酒で身体を清める。 この後、拍子木が打たれ舞の準備ができたことが告げられます。   ささら獅子舞の演舞(半庭)   ささら獅子舞では一庭半を舞ってその日の祭事を終えます。 これは半庭を翌年に残すという意味があります。   山の神が回ればそれに合わせてゆったりと回る三頭の獅子。 踊りの緻密さ、優雅さに改めて感動させられます。   半庭が終わって終演、観客からは惜しみ無い拍手。 「石原のささら獅子舞」を続けてきた人々の思いを感じられたのでは無いでしょうか   「千秋楽の〜♪」と終わりを告げる唄   保存会の内田氏から観客やウェスタ川越のスタッフ、裏方へのお礼。 今年は陰まつりで4月14日(日)に観音寺で行われることを案内。   最後は、祭礼が無事に納まったことを祝って全員で手締め。 シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャンと川越ならではの7つ締めです。   今年の「石原ささら獅子舞」は4月14日(日)に石原町の観音寺で行われます。 400年以上も伝承されて来た民俗芸能を見に、是非、お越し下さい。 カワゴエ・マス・メディアでも当日の模様を取材する予定なのでお楽しみに! INFORMATION 石原のささら獅子舞(レクチャー公演) 【開催】平成31年2月11日(月・祝)14:00〜16:00 【場所】ウェスタ川越小ホール(川越市新宿町1-17-17) 【主催】ウェスタ川越…

”2019年版”あなたはどちらから?ようこそ川越へ!~川越駅・川越市駅・本川越駅~

  取材・記事 本間寿子   川越の観光客数についてこんな新聞発表がありました。 川越の観光客、734万人で過去最高 テレビ番組の放映増も要因か 外国人も過去最高、さらに増加も見込む (埼玉新聞のサイトより) この記事によると、昨年(2018年)は天候にも恵まれたことも要因のようです。蔵の街に行くと、曜日にかかわらず本当に多くの観光客の方が行き交っています。 2014年に「あなたはどちらから?ようこそ川越へ!~川越駅・川越市駅・本川越駅~」の記事を書いた時は、こんなに急激に川越が観光客でにぎわうとは思ってもみませんでした。 さらに、こんなニュースも発表になりました。 「川越特急」東上線に新設…

地元の人の手で守り続けられる五穀豊穣の神事〜老袋の弓取式〜

取材・記事 白井紀行   立春が過ぎ暦の上では春を迎えましたが、この日は凍えるような気温。 2月11日の建国記念の日に下老袋氷川神社で「老袋の弓取式」の神事が行われました。 昨年は事情で伺えなかったので2年ぶりとなります。   神社の入り口に掲げられたこの幟。「勝海舟」の書なのだとか。   境内で神事の開始を待つ参列者、地元の人、アマチュアカメラマンら。 「今年は寒いねぇ」という言葉が飛び交います。   神社の外では保存会の皆さんが準備に勤しんでいました。   弓取式の神事が始まりました 9時半になり鳥居をくぐって弓取り式の行列が参道を進むます。   宮司を先頭に氏子総代、地区総代、ユミトリッコと呼ばれる氏子の長男が続く。 今年は下老袋から6歳、上老袋から10歳と11歳の3人がこの神事に参加しました。   「弓」と「矢」、そして「的」となる竹。   甘酒の入った樽。   豆腐に味噌を塗った豆腐田楽。 古来の流儀に則(のっと)り進んでいきます。   豆腐田楽は一度、拝殿へと運び込まれ、参列者が席を埋めていきます。   拝殿から出て来て宮司が、大幣(おおぬさ)を降って見物客もお祓い。 その後、五穀豊穣を願う祝詞が始まりました。 参列者の名前を一人ずつ呼んでの祈祷が行われます。   その傍らでは、竹を組み合わせて的を作ります。   白い紙に黒の同心円が描かれた的。 白と黒のどちらに刺さった矢が多いかで今年の天候を占います。 「昨年は真ん中に2本矢が刺さったので台風が2回来た」 そんなこともおしゃっていました。   祝詞が終わり用意された席に着く参列者ら。   祭主となる宮司と、ユミトリッコの代理で弓を引くユミトリの紹介。 ユミトリは下老袋、上老袋、中老袋、上老袋、東本宿の地区総代。 そして、下老袋の氏子総代の5人からなり、世話人と呼ばれます。   待ち兼ねるカメラマンのために撮影タイム。 カメラやスマホのシャッター音が響きます。   春夏秋の3つの季節ごとに一の矢、ニの矢、三の矢と3回放たれます。 まずは、春の天候を占います。   バシッ!バシ!と的に矢が当たれば、見物客から「おおっ!」とどよめきの声。 3回目の結果、白い部分に当たった矢が多いようです。   的に当たった矢はすぐに回収してユミトリの元へ。   続いて、夏の天候を占います。   3回目の結果、黒の方が多いでしょうか?   最後は秋の天候です。   3回目の結果、黒い部分に当たった矢が多いようです。   集計の結果が紹介されました。 「春」黒い部分が白い部分が多かったので晴れの日が多い。 「夏」黒い部分が多く白い部分が少なかったので雨の日が多い 「秋」黒い部分が多く白い部分が少なかったので雨の日が多い。 ということは、今年は比較的雨が多く降るのでしょうか?   矢と的は縁起物、魔除けの利益があり子どもが丈夫に育つとされています。   祭事が終わると境内に人が集まり紙コップが配られ始めました。   老袋の弓取式は別名「甘酒まつり」と言われ奉納された甘酒が振る舞われます。 冷えた身体に温かい甘酒が染み渡ります。   そして、豆腐の味噌田楽のご相伴に預りました。 甘酒と味噌田楽を頂くことで一年間に元気に過ごせるそうです。   くらづくり本舗の「明治20年…

【街歩き】川越城散策見学コース(仮)を歩いて見ました

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取材・記事 白井紀行   1月15日号では地図を元に川越城の大きさを歩いて実感して見ました。 https://koedo.info/190115kawagoejyo/ その際に参考にしたのが「川越市初雁公園基本計画審議会」の資料3。 ▶︎http://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisei/seisakushisaku/fuzokukikan/kaiginokekka/toshi_seikatsukiban/koenseibi.html 118ページに渡り川越城本丸を中心とした城址公園の構想がまとめられています。 P56に見学動線が紹介されてたので、今回はこれをベースに歩いて見ましょう。 なお、記事では見学動線を「見学コース」と呼んでいます。   ※PCを使っている人はGoogle…

着物仲間で川越の街を歩けば皆んなが注目〜きもの姿で七福神めぐり〜

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取材・記事 白井紀行 川越は成人式ということで雪予報が心配された1月13日(日) 幸いにも晴天に恵まれ、振袖や袴姿の新成人を目にしたこの日。 「川越の街にきもの姿を増やす会」主催の「きもの姿で七福神めぐり」が行われました。 参加する条件は、ただ一つ「着物姿で来ること」。 皆んなで着物姿で街を歩くことで目を引かせ、その美しさをPRするのが狙いです。   護衛するのは「川越藩行列保存会」の皆さん。 武士姿がひときわ目立ち、出発を待つ間には多くの人と記念撮影を撮っていました。     そうこうしているうちに、そろそろ出発の時間。 「川越の街にきもの姿を増やす会」主宰の小杉亘先生による挨拶。   「きもの姿で七福神めぐり」の白い旗を先頭に連なる着物姿の一行。   30名以上の着物姿が一団というのは歩くだけで様になります。   しんがりは黄色い旗。その後を、武士姿の川越藩行列が続きます。   第一番「妙善寺」 小江戸川越七福神めぐりの第一番は毘沙門天を祀る「妙善寺」。   この日は緑の帽子を被った小学校の一行も七福神めぐり。 同様のコースを辿るのでこの後も度々遭遇することになります。   妙善寺では境内から見上げる写真を撮影するのが恒例なのだそう。 この写真が「きもの姿を増やす会」のFacebookのカバーを飾ります。   次の目的地は仙波町にある天然寺ですが、ちょっと遠回り。 着物を着ているという一体感が自然と会話を生み出します。   仙波氷川神社のそばを通っていきます。 3月31日に「仙波の桜を着物で散策」を企画してその下見を兼ねたもの。 取材も依頼されたので、今度は春の装いの着物姿をお届けできそう♪   住宅街をスタスタと歩く着物姿の行列はなんとも壮観。 着物に草履というとゆっくり歩くイメージがありますが以外にも早い。 取材しながらでしたが運動靴の記者が追いかける感じでした。       坂を下る様子は先頭で黄色い旗を持つ山田さんのリクエスト。   第二番「天然寺」 七福神めぐり第二番は寿老人を祀る「天然寺」。   長寿を願って参拝。   次の目的地は中院と喜多院。 右端の帽子姿の宮本さんは初めての参加でこれが着物デビュー。 着付けはどうされているんですかと尋ねると 「私たちの子供の頃は着物で走り回っていたからねぇ」と話されました。   と、中院手前の光西寺で「川越藩行列保存会」の方が皆の足を止めます。 行列保存会の活動の中心は母体は、川越藩最後の城主「松平(松井)周防守」。 その転封先だった島根、棚倉を始め川越藩ゆかりの地で行列を行っています。 その菩提寺が光西寺で、松井家累代之墓と書かれたお墓もあります。   一行は中院へ、   狭山茶発祥の地の記念碑や島崎藤村ゆかりの不染亭を見学。   中院を出たところで「妙善寺」で出会った子ども達と遭遇。   道中、色々とお話しを伺いました。 常連さんや知り合いに誘われての参加で、過去には70人を超えたこともあったとか。 着物はお祝い事などの節目に来たりお茶を習う時に着ているのだそうです。   仙波東照宮の鳥居をくぐる川越藩行列保存会の皆さん。 まるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう。シャッターチャンス!   思いがけないお侍さんの登場にビックリする子ども(笑)   第三番「喜多院」 大黒天を祀る喜多院は、まだお正月の名残が感じられます。   ここでトイレ休憩。イベント記念の撮影をしている風景を撮影。   第四番「成田山別院」 成田山別院は喜多院のすぐ隣、恵比寿天が祀られています。   ここで七福神は折り返し地点。 風もなくて穏やかで散策には最適の日、自然と話も弾みます。   成田山だんごで小休止。「着物を増やす会」からお茶と団子のサービス。 小腹が空いたところで醤油味のお団子は嬉しいですね。   一行は立門前通りを通って蓮馨寺へ向かう。   春に取り壊されてホテルになることが決まった「旧鶴川座」。 このように皆んなで着物姿で集合写真が撮れるのも今年が最後。 平成の終わりとともに川越の街からまた一つ思い出が消えていく。 二度と撮ることができない貴重な写真となりました。   第五番「蓮馨寺」 子育て呑龍様と親しまれている蓮馨寺には福禄寿神が祀られています。 ここにはとある待ち人がお出迎え。   参拝の後、おびんずる様への願掛けも人気でした。   待ち人は「NPO法人川越きもの散歩」の藤井美登利さん。 川越藩行列保存会の皆さんと記念写真。   七福神の順番としては見立寺ですが、先に妙昌寺を周ります。   鎌倉中期に創建された妙養寺の前をスタスタと。 特徴ある立派な山門に皆さん興味が惹かれるようです。   第七番「妙昌寺」 住宅街の一角を曲がると立派な本堂見せる「妙昌寺」。 七福神では唯一の女神である弁財天が祀られています。   厨子の中に鎮座する弁財天に参拝。 ここで同行していた一瀬さんが皆んなに声をかけました。   一瀬さんが見せたかったのは、こちらの「漆喰画の富士山と天女の舞」。 記者も七福神めぐりで何度も来ているのに気づきませんでしたf^_^;)。 「駐車場になっているところは以前は池で浮島があったんですよ」。 そんな興味深い話も伺いました。   「高台なので江戸時代には富士山がここからよく見えたんです。」 その言葉を聞きながら、当時の景色に思いを馳せます。   新河岸川沿いを歩く一行。 ほころび始めた梅の花に足を止め春の兆しを感じます。   第六番「見立寺」 「きもの姿で七福神めぐり」の本日のゴールは布袋尊を祀る「見立寺」   道々で遭遇してきた小学生もここがゴールだったようです。 侍姿が気になっていたのか、保存会のみなさんに話しかけていました。   着物で七福神めぐりを終えて、小杉先生の一言。 天気に恵まれて皆さん色々お話しして楽しまれたかと思います。 これからも着物生活をどんどん実生活にも取り入れてください。 着物は12メートルの反物を8つのパーツに分けて作る男物女物もない。 親戚に行けば着物があるので壊して作り直して自分たちで大事に着る。 是非、着物ライフを楽しんでくださいと結びました。   最後に、着物デビューの宮本さんを紹介。   川越市観光課から七福神めぐりのクリアフォルダーのプレゼント。   そして、完歩賞が配られて解散です。 国民的アニメである「サザエさん」の時代背景は昭和40年代の日本。 磯野フネさんが着物姿で家事をする姿は誰もが思い浮かべることができるでしょう。 また、波平さんも会社ではスーツですが、休日は着物姿で散歩に出かけます。 ほんの半世紀前の日本では着物は普段着でした。 着物に興味があるなら、是非、参加して着物デビューをしてみてはいかがでしょうか? INFORMATION 第15回…

【街歩き】川越城の大きさを歩いて実感して見ました

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取材・記事 白井紀行   川越城は長禄元(1457)年に太田道真・道灌親子が築城。 寛永16(1639)年に松平信綱が大幅な拡張を行い4万6千坪の規模になりました。   しかし、明治維新とともに解体され建物としては本丸御殿などを残すのみ。 堀や土塁も無く往時の面影を辿るのはなかなか難しくなっています。 「いつか、その大きさを実感して見たい」 その思いが常にどこか頭の片隅にありました。   先日、調べ物をしていると「川越市初雁公園基本計画審議会」の資料3がヒット。 ▶︎http://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisei/seisakushisaku/fuzokukikan/kaiginokekka/toshi_seikatsukiban/koenseibi.html 中を見ると118ページに渡りその構想がまとめられていました。   その資料の中で目についたのがP5ページのこの図。 現況図に川越城図が投影されていて位置関係が把握できます。 これを手に早速出かけて見ることにしました。   ※PCを使っている人はGoogle…

7つの福を授かって今年も良い年になりますように〜川越小江戸川越七福神めぐり〜

取材・記事 白井紀行   七福神巡りのスタートは川越駅から 2019年が明けて2日目。風もなく穏やかなお正月。 行き交う人々も和やかな表情を浮かべノンビリとした雰囲気。 毎年、恒例としている小江戸川越七福神めぐりへと出かけました。   小江戸川越七福神巡りは、川越駅を起点に七ヶ寺を回る6kmほどのコース。 川越観光を楽しみながら開運、諸願成就、健康増進を叶えることができます。 それでは、出発しましょう! ※地図はこちらに…

今年もカワゴエ・マス・メディアをよろしくお願いします「初日の出と初詣」

取材・記事 白井紀行   カワゴエ・マス・メディアのブログは今日から2019年のスタートです。 今年も川越のヒト・コト・モノを7つの切り口でお伝えできればと思います…