五穀豊穣と子供の成長を願う〜県指定文化財「古尾谷八幡神社のほろ祭」〜

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取材・記事 白井紀行   9月16日(日)古尾谷八幡神社の神幸祭「ほろ祭」が行われました。 毎年、天候や用事で行けなかったのですが、今年、ようやく取材ができました。 同神社は古尾谷庄(古谷地区と南古谷地区)の総鎮守となっています。   「ほろ祭」は平安時代から続き、県から無形民俗文化財に指定されています。 古尾谷本郷で生まれた上組・下組の8〜9歳の長男が参加する元服式の一種。 ホロと呼ばれる薄桃色の紙花の付いた傘状のものを背負って左右と回転します。 ホロを背負う男の子は「ホロショイッコ」と呼ばれます。   古尾谷八幡神社とは? 記者は、古尾谷八幡神社自体、訪れるのが初めて。 ほろ祭が始まるまでの間、同社を紹介することにしましょう。   同社は貞観4(863)年、比叡山延暦寺第三代坐主僧「円仁」が創建したもの その後、源頼朝、藤原時景、北条氏政、徳川家康と歴史に名だたる人の手によって再建が行われ、現在の本拝殿末社は享保7(1722)年に氏子らによって再建されました。   創建 清和天皇の御代貞観4(863)年、比叡山延暦寺第三代坐主僧「円仁」来たり法を修するの時、神霊を感じ神社を建て、これを天皇陛下に申し上げ「石清水八幡大神」の分霊を奉じ来りてお祀りした、天皇陛下は詔(みことのり)を下され古尾谷庄の税を免じ祭祀の資にあてられたのが当社の始まりで社殿も壮麗に造られた。当時古尾谷庄は石清水八幡宮の荘園であった(パンフレットより)   こちらの案内板も併せてご覧ください。   平成26年に社殿修理工事を終えたとのことで、建物の装飾は色鮮やか。       しばし、その荘厳さ美しさに圧倒されていました。   ほろ祭でなくともこの神社を見に来るだけでも価値があります。   本殿拝殿末社(旧本殿)も県指定文化財となっています。   参道には屋台が立ち並んで賑わい、地区のお祭りという雰囲気を感じます。   祭典 13時になると艶やかな衣装に身を包んだ神職が姿を見せました。   拝殿横に設えられた祭壇で祭典が始まりました。     その後、参列者らは拝殿の中へ、一人一人お祓いを受けます。   氏子らは拝殿の外で直立不動で待たれていました。   2時ごろからは特に動きもなく、まったとした時間だけが流れます。 この間は、ホロを背負うホロショイッコは近所に挨拶回りをするそうです。   ホロショイッコの到着 15時になると神職が再び参道へ。ここから祭は急に慌ただしくなります。   提灯を持つ先導の二人に続いて、四人の子供巫女がやってきました。   その後ろに薄桃色のホロを背負ったホロショイッコが続きます。   さらに笛や太鼓も賑やかに屋台囃子が子供達に引かれてやってきました。   屋台囃子は境内の庭をぐるりと回ってしばし待機。   陣羽織に腹掛け・手甲・脚絆・黒足袋のいでたちのホロショイッコら。 顔には化粧が施され、頭にはハチマキを巻き凛々しい姿。   ホロショイッコと子供巫女は拝殿でお祓いを受けお守りを頂きます。   お祓いを受けたあと拝殿を背に整列。   御旅(みたび)へと出発 神幸祭において、祭神(お神輿)が巡幸の途中で休憩や宿泊する所。 或いは、目的地を「御旅所」といい、神社からは100mほどのところにあります。 天狗(猿田彦)を先頭にホロショイッコ一行が御旅へと出発します。   資料や過去のYouTubeを見ると二頭の獅子頭が先頭に立っていたようです。   それに続くのは榊(さかき)。   太鼓。背後にはお神輿が見えます。   櫃(ひつ)・鉾(ほこ)   そして、錦旗(きんき)   ホロを背負うホロショイッコ。   ホロは36本の竹ひごに薄桃色の紙花をつけたものを籠に指したもの。 籠の中には重り石と鈴が入っているので小学生には結構な重さだとか。   上組二人、下組二人のホロショイッコに続いて祭神を乗せたお神輿。   弓を持った右大臣、左大臣。   赤い傘の下に神官   子供巫女の後ろに楽人(屋台囃子)、氏子総代、崇敬者が追いかけます。     ホロのお練り 御旅の中で両親や親族らを始め見物客の前で披露されるのが「お練り」   「1、2の3、ヨイショ」という周りの掛け声に合わせて六方を踏む。 片足を軸に180度体の向きを反転します。   ホロは籠に仕込まれたチリンチリンと鈴の涼やかな音とともに左右に回転。 ほろ祭の最大の見どころです。   ホロが回るたびに歓声があがり、シャッターの音が途絶えません。   ホロショイッコの体力に合わせて、所々、休ませながら、進む一行。   賑やかな屋台囃子もそれに続きます。   御旅所 30分ほどをかけて一行は御旅所に到着。   神輿は祭壇に祀られ扉の前の幕が外されます。   米・酒・魚・野菜・果物・塩・水等の神饌を奉納。     祝詞を読み上げます。頭(こうべ)を垂れる参列者ら。   神職、地元の代表者に続いて、ホロショイッコによる玉串の奉納。   子供巫女も一人一人玉串を奉納。その後、親御さんの代表者が奉納します。   先ほど、捧げた神饌を下げていきます。   お神輿の扉の幕を下ろされ、今年のほろ祭も無事に執り行われました。 INFORMATION 古尾谷八幡神社のほろ祭 【開催】平成30年9月15日(日)13:00〜16:00/毎年敬老の日の前日 【場所】古尾谷八幡神社(川越市古谷本郷1408) 【HP】県指定文化財…

川越一番街商店街シリーズ~初山 香代子さん〜「Mie Coco(ミーココ)」店主~

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  ウィーン国立音楽大学を卒業し、ピアニスト、ピアノ講師、学校の先生と活躍してきた初山 香代子さん。 蔵の街一番街のメイン通りからちょっと横道に入った場所に、ウィーンと猫がテーマのオーストリア料理のお店「Mie…

心地良い夜風に吹かれて街歩き〜食と音と灯りの融合 Kawagoe REMIX 2018〜

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取材・記事 白井紀行   「食」と「音」と「灯り」のキーワードに川越の夜の街を楽しむ「Kawagoe REMIX」。 例年は11月初旬にだったのを今年は、2ヶ月の前倒しで開催。 9月8日(土)に細君を連れ立って、街へと繰り出しました。 本川越の観光案内所で蔵まちバルチケットを購入♪   Kawagoe…

カワゴエ・マス・メディア的神社で夏の七福神めぐり(仮)

取材・記事 白井紀行   川越一番街にある和雑貨のお店「椿の蔵」。 その前を通りかかったときに2セットの写真に目が止まりました。 一つは、川越七福神で巡る中心街の七つのお寺。 もう一つが中心街にある七つの神社巡り。 川越氷川神社の「縁むすび風鈴」は今や夏の風物詩となっています。 これをアレンジして神社で「夏の七福神めぐり」ができるのではと閃きました! 題して「カワゴエ・マス・メディア的神社で夏の七福神めぐり(仮)」 それらを巡れば同時に川越の名所も回れる10社を候補に挙げて見ました。 …

平成最後の夏を満喫〜川越百万灯夏まつりと氷川神社の縁むすび風鈴〜

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取材・記事 白井紀行   「平成最後の夏」を記憶に止めようという意思さえ感じるほど今年は暑いですね。 川越では毎年7月末の土日に「川越百万灯夏まつり」が開催されます。 7月28日(土)は東から西という類を見ないコースを辿った台風で止む無く中止。 翌29日(日)は天気も持ち直し予定通り行われ、記者も街へと繰り出しました。   午後3時半頃に到着すると、川越ゆかりの時代行列で火縄銃の演舞に遭遇。 何度見ても迫力があります。   連雀町交差点まで時代行列を追いかけて、一旦、駅の方へと戻るルートへ。   小江戸蔵里では新富町一丁目の山車が登場し、お囃子でまつりを盛り上げます。   甘味処クールハウス こちらに来たのは甘味処クールハウスでかき氷を食べるため。 待つかなと思いきや、列はすぐに進み5分ほどで冷んやりした店内へ。   注文したのはかき氷の定番「イチゴみるく」。 シロップでなく本物のイチゴを使っていて美味しい♪   細君は抹茶ミルクを注文。食べてみるとすごい抹茶感に驚かされました。   川越百万灯夏まつりの会場へ かき氷でひと心地着いたところで本川越へ。特設ステージでは民謡踊りを披露。   キャラクター祭りでもお馴染み「まねっきー」が頑張っていました。     連雀町繁栄会ロータリー前では、オールディーズのライブ。   熊野神社にも立ち寄ると「夏越の大祓(夏詣)」の祭事が行われていました。   提灯が飾られ、大勢の人で賑わう「大正浪漫夢通り」     沖縄物産「真南風(まはえ)」前では、エイサーの演舞を見入る人たち。   提灯で彩られた川越のパルテノン神殿こと、川越商工会議所の建物。   一番街商店街へ 交通規制が敷かれ、たくさんの人でごった返す一番街商店街。   仲町交差点近くの鍛冶町広場では、川越市囃子連合会によるお囃子の競演。   富山市八尾町で9月1日〜3日に行われる「越中八尾おわら風の盆」 収穫前の稲が風の被害に遭わず豊作になることを祈願する踊りと言われています。   笠を目深に被り顔を少し覗かせる。ゆったりと静かで荘厳な踊りです。 細君と二人で足を止めしばし見入ってしまいました。 ホームページを見ていたら街道沿いの古い町並みもあって行きたくなりました。 http://www.yatsuo.net/kazenobon/index.html   「陶舗やまわ」の蔵造りの黒壁が提灯の鮮やかさを引き立たせます。     その先を右に曲がって「時の鐘」。こちらも混んでます。   川越氷川神社 川越百万灯まつりは提灯に明かりが灯った幻想的な光景がみどころ。 足を伸ばして「縁むすび風鈴」の祭事が行われている川越氷川神社へ来ました。   まずは参拝   本殿横の風鈴回廊まで長い列ができていました。   う〜ん、なかなか遅々として進まない。   ようやく風鈴回廊へ。なかなか進まなかったわけは...   みなさん、誰もいない風鈴回廊を写真に収めたかったからのようですね。   透明な風鈴が吊るされた「風鈴小径」。ライトアップが映え始めました。   風鈴小径を抜ければ「絵馬トンネル」。なんか神秘的です。   風鈴回廊は未だ未だ列が途切れません。   あたりは薄暗くなり、さしもの暑さも和らいで来ました。   午後7時、夏空の天の川に見立てて境内の小川に明かりが灯りました。   川越氷川神社の由緒にまつわる「光る川」の伝説にならったものだそうです。   夜の帳(とばり)が降りて すっかり日が暮れ、無数の提灯に明かりが灯りました。   蔵の街もいつもと違った幻想的な表情を見せます。   鍛冶町広場ではお囃子の競演が続けられていました。   川越昭和の街、どこまでも連なる提灯が美しい。   お腹も空いたしクレアモールのお店で晩ご飯にしましょう。 この後、韓国料理屋さんへ行ってビールで喉を潤し、夏を満喫しました♪   INFORMATION 川越百万灯夏まつり 【開催】平成30年7月29日14:00〜20:00 ※28日は台風のため中止 【場所】川越市中心街(交通規制はクレアモールから札の辻まで) 【主催】川越百万灯夏まつり実行委員会(川越商工会議所内) 【HP】https://www.kawagoe.or.jp/natsumatsuri/ 【FB】https://www.facebook.com/川越百万灯夏まつり   川越氷川神社「縁むすび風鈴」 【開催】平成30年7月7日〜9月9日 9:00〜21:00 【場所】川越氷川神社境内(川越市宮下町2-11-3) 【HP】http://www.hikawa-fuurin.jp/ 【FB】https://www.facebook.com/hikawa.kawagoe/  

ほしおさなえ先生の小説で巡る小江戸川越のまち(スタンプラリー)

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取材・記事 白井紀行   小江戸川越で昔ながらの活版印刷所「三日月堂」の店主 弓子さん。 彼女の元にはいろんな悩みを持った人が訪れる。 活字を並べて印刷物を作るなかで、自分なりの答え(言葉)を見出していく。 川越を舞台にしたほしおさなえさんの小説「活版印刷三日月堂」 星たちの栞、海からの手紙、庭のアルバムと続き、いよいよ4巻で完結します。 小説で描写されるお店や景色は、私たちが暮らす川越の今と重なっている。 そんな街を巡るスタンプラリーが8月1日〜17日まで開催されています。   まずは蔵の街の本屋さん太陽堂へ 4巻目の「活版印刷三日月堂・雲の日記」の発売日は8月5日。   一番街にある「太陽堂」で買い求めることにしましょう。   中は昔ながらの本屋さん。どこかほっとさせる雰囲気。 川越に関する本をまとめたコーナーがあって、記者も何点か買い求めています。。   お目当ての新刊は一番目立つ所に、既刊とともに並べてありました。   スタンプラリーの台紙となるパンフレットもこちらで入手。 スタンプを5箇所以上を集めれば活版印刷の限定ハガキがもらえます。   暑い中、律儀にしなくても良いのですが、①から巡っていきましょう(笑) ①…

【今日から使える知恵袋】~どうして川越は小江戸と呼ばれるの?~

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出会った人に、川越市在住と言うと「知ってる!小江戸川越だよね」と返されることが多くないでしょうか。または「しょうえど」や、はたまた「小京都」など。川越あるあるです。 そして、「どうして、川越は小江戸と呼ばれるのか?」と聞かれることも多くはないでしょうか。この疑問に答えられるよう、今回は図書館とネット情報から色々と調べてみました。 資料を十何冊も読み進めると、この『川越はなぜ小江戸と呼ばれるのか』という小さな疑問が、川越と江戸の奥深い繋がりによるものだと分かってきました。   今回は、『なぜ小江戸?』という疑問に、さっと読んで簡単に理解でき、ふとした時に小ネタとして披露出来るくらいの知識をお届けできたらと思い、江戸と川越の繋がりを以下の7つのポイントにまとめてみました。 川越と江戸との7つの繋がり ポイント1 江戸城と川越城本丸御殿は、同じ年に太田道灌より作られた兄弟城だった ポイント2 徳川家康、秀忠、家光と3代将軍にわたり、川越に何度も訪れていた ポイント3 3代将軍に大きな影響を与えた黒衣の宰相天海が川越喜多院の僧正だった ポイント4 そのため、川越の大火により喜多院が焼失した際には、将軍の命令で兄弟城である江戸城の1部が移設され、更に、川越復興に江戸の職人が携わった ポイント5 当代の藩主松平信綱は、江戸城の1部を移設する際に用いた舟運を整備し、それにより、江戸の文化・学問・芸能などが川越に伝搬することとなった ポイント6 川越と神田明神にある山車は同じ職人が作っており、川越祭りは当時の江戸の祭囃子や舞、山車など、江戸の文化をそのまま受け継いだ祭りでもある ポイント7 戦災により江戸城や神田明神にあった山車が焼失したため、現在、川越は江戸の名残を残す貴重な存在となった   以上のことから、川越は歴史的建造物だけでなく文化や芸能など、日本において当時の江戸の面影を守り続ける貴重な街ともいえます。 もう少しお時間がある方は、この7つのポイントを軸にもう少し詳しくお伝えできればと思います。   1.太田道真・道灌親子の川越城築城 川越市民にとって、『太田道灌』の名前はとても馴染みがあると思います。 何故なら、ユネスコ無形文化遺産にも登録された「川越まつり」に欠かすことが出来ない山車の中の1つに、太田道灌の人形を掲げられています。   また、川越市役所にこの大田道灌の銅像があるだけでなく、バスの乗車中でも『太田道灌』というアナウンスを幼い頃から聞いていたため(恐らく市役所への案内だったと思いますが)、『太田道灌』という名前はずっと頭にインプットされてきました。   では、この太田道灌とは、どのような人物なのか。 実は、太田道灌は江戸城を築城した武士なのです。 そして、現在の川越城(本丸御殿)を築城した人物であるといわれています。 川越城の築城については、太田道灌の父である太田道真と親子で築城した説もあります。 文献によると、江戸城と川越城の築城は同じ1457年と伝えられています。 つまり、川越と江戸を繋ぐポイントの1つ目は、「太田道灌を母として江戸城と川越城が兄弟として誕生した」ということです。   そして、この繋がりはその後に起こる歴史と密接に結びついていきます。 更に、太田道灌は江戸城を築城する際に、現在の川越喜多院の隣にある仙波の山王社(現在の日枝神社)や川越三芳野天神(現在の三芳野神社)を江戸に分祀し、『小江戸』などではく、むしろ『江戸の母川越』といわれる基を作ったと記載している文献もありました。   2.…

川越一番街商店街シリーズ~富岡 勇樹さん〜「観光人力車 いつき屋」代表~

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「断られるのなんて日常茶飯事ですよ!それでもめげないのは、なによりこの仕事が好きだし、どんな人に会えるのか楽しみだから、ですね。」   そう語るのは俥夫(しゃふ)の富岡…

川越の暑い夏を吹き飛ばす男たちの熱い1日〜鴨田八坂神社祭礼「鴨田の天王様」〜

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取材・記事 白井紀行   2016年4月11号にインタビュー記事を掲載した鍛治職人の吉澤さん。 この記事を読んだ方から問い合わせ(クリック)があって吉澤さんに電話。 …