親子で楽しむ乗船体験〜一艘の舟から始まる川物語(第2章の1)〜

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国道254線を北へ、入間川、小畦川、越辺川を跨ぐ落合橋 川島町側の橋のたもとではためく「船乗り体験」の青い旗。 川島町網打連合会主催で6月12日に越辺川で船乗り体験が行われました。 ‖…

幾多の手を掛け間もなく完成~一艘の舟から始まる川物語・その5~

3週間振りに訪れた那珂川の舟大工、峰岸さんの作業場。 見た目にはもうすっかり出来上がったように見えます。 フォルムにもこだわったおかげで、見た目がとても美しい。 舳先の立ち上がりや膨らみのカーブに惚れ惚れします。 おもりは舟底をより平らにするためのもの。 幅も1.5mあって、大人二人がゆったりと座れる広さです。 やおら声を掛けられ、みんなで舟を傾けます。 ホケ(舟のサイド)を手斧(ちょうな)で削って形を整えます。 舳先に至る美しいカーブも、まずは、このように手で削ったものです。 そのあと、電動カンナでより滑らかにします。   ‖…

今年もボランティアとして参加しました〜川越パンマルシェ〜

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「昨年はお客さんで」「パンが好きなので」「引っ越してきたばかりで友達づくり」etc。 様々な思いをもって川越パンマルシェに参加したボランティアに50名。 本番まであと1週間と迫った日曜の夜、最後の打ち合わせが行われました。 多くのボランティアを運用するのは難しく、どんな方法がよいかは未だ試行錯誤。 昨年はローテーションで担当場所を変えましたが、今年はチーム制。 誘導、総務、棒パンBBQ、総合案内、セット販売、受託販売、広報の7班。 それぞれが、最初から最後まで同じところを担当します。 記者は誘導班に所属となり、この日は、主として会場となる広場などを確認。 「どういう風に並ばせるのがいいのだろう?」 机上だけだと分からない色々な気付きがあります。 ギャラリーでは、製作物の作成やチェックが進められてました。 どんなふうにすれば、お客さんを待たさずにスムーズに流せるか? みんなで出し合ったアイデアがどんどんと形になっていきます。 裏手にもパン屋のブースを設け、駐輪場、ベビカー置き場は蔵里の外へ。 昨年とはまた違う会場のようすにお客さんが困らないようにしたい。 そんな気持ちが込められています。   ‖…

職人の機微が触れ合う~一艘の舟から始まる川物語・その4~

前回の訪問から2週間後の2月21日。 再び、茨城県常陸大宮市。那珂川まで3時間ほど掛けてやってきました。 今日は、川越の鍛冶職人である吉澤さんも一緒です。 追加で持参した舟釘を手に峰岸さんから細かな注文がつけられます。 見本と同じように作っていても、頭の角度など微妙な違いがあるそうです。 舟も舟釘も工業製品でなくひとつひとつ手づくり。 職人さん同士でしか分からない、機微の触れ合い。 和舟つくり。今日の目標は、舟底をはぎ合わせて一枚板にすること。 前回も紹介した「擦り合わせ」という技法で板を毛羽立たせ密着させる。 同じカーブで切った2枚の板にわずかな隙間を開け、スリアワセノコで引いていく。 その技法を川島町網打連合会の加藤さんが体に覚え込ましていく。 「擦り合わせ」が完了。2枚の板のカーブが完全に一致しています。 更に隣の板を「ハタ」と呼ばれる締め具(クランプの一種)で固定。 丸ノコでざっと板のカーブを合わせます。 「ハタ」という器具で板同士を密着させながら「擦り合わせ」を行う。 これは、峰岸さん独自で考案した技法とのこと。 ノコギリを引く音をBGMに静かに舟作りは進められていく。 曇っていた空は、いつしか青空になっていました。 全ての板の「擦り合わせ」が終わりました。 板同士を繋ぎ合わせる工程(はぎ合わせ)に移ります。 板の側面を金槌で叩く「キゴロシ(木殺し)」という工程 収縮されると、元に戻ろうとする木の復元力でより接合面を密着させます。 木の節にあたるところは叩いても縮まないので反対側を多めに叩きます。 キゴロシが終わったら接合面に接着剤を塗布。 二種類の溶剤を混ぜて作ります。 これをスプーンで塗っていきます。 接着剤は板同士をより密着させるのと防腐が目的。 接着剤を塗り終えたら板を接合面で重ねる。 予め板に引いておいた基準線を合わせます。 位置が決まったら「かすがい」というコの字型の釘を軽く打ち付ける。 そして、「ハタ」で締め上げて板同士を固定。 舟底の水に接する側には「クギザン」と呼ばれる穴が開けられています。 「クギザン」は20cm弱の間隔で「ハ」の字に開けられています。 この穴に舟釘を打ち込んで板同士を固定します。 こんな感じで底板を繋ぎ合わせます。 舟釘は先端が丸まっており、一般の丸釘より柔らかいので、直接打ち込めません。 そこで使うのがこの「ツバノミ」 これでまず、舟釘を通すガイド穴を作ります。 飛び出した「ツバ」の部分は「ツバノミ」を引き抜くのに使います。 「クギシメ」という道具を使って舟釘を打ち込みます。 表(おもて)面に出てしまわないように、細心の注意を払うところ。 「クギサン」に打ち込まれた舟釘。 この後「埋木」を使って「クギサン」を埋め、カンナで面を整えます。 舟釘の微調整。 真っすぐだと、表(おもて)面に出てしまうので少し反らす。 峰岸さんによって最終加工が行われた舟釘を手に取る吉澤さん。 グラインダーを使って、舟釘の先を微調整。 ほんのちょっとの違いで、舟釘の入りやすさが違うそうです。 次の板の側面も「キゴロシ(木殺し)」を行う。 通常、はぎ合わせるのは3枚ですが、今回は幅が必要なので5枚。 「ハタ」も手持ちの長さだと足りないので2本繋げるなど、船大工さんも苦戦。 とここまで進んだところで日が陰ってきました。 まだ、目標には達してませんが、今日の作業はここまでとなりました。 (お断り) この後、舟の製作は、ホケ、タチド、ゴバンの取り付け工程に進みます。 残念ながら、スケジュールの調整がつかず何回か取材に行けませんでした。 そのため、次回は、組み立てられた状態からのレポートになります。 取材・記事 白井紀行 INFORMATION 川島キャスティングネット(川島網打連合会青年部) 【HP】http://kawajimacastingnet.jimdo.com/ シリーズ連載(第一章) 第1回 http://koedo.info/160401kawajimawasen/   第2回 http://koedo.info/160411yoshizawa/   第3回 http://koedo.info/160429mineghshi/   第4回 http://koedo.info/160606wasenzukuri/   第5回 http://koedo.info/160617wasenzukuri/

水ぬるむ5月の青空の下、みんなで田植え〜かわごえ里山イニシアチブ〜

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気持ちのよい青空の下、代掻きも終わって水の張られた田んぼ。 5月21日(土)に「かわごえ里山イニシアチブ」の田植えが行われました。 畦道には先週作成した目印付きのロープが張られています。 反対側からみたところ。 こちらは田んぼの中ほど(今日、手で田植えをする範囲)までのロープ。 この2本が組になって縦方向の位置決めをします。 棒に結びつけられているのは、横方向の位置決めするロープ。 こちらは、苗を一列植えるごとに縦方向に移動させていきます。 田んぼにはすでにポット苗の苗が浮かんでいました。 昨日から準備を行っていたそうです。 網を片手に用水路を覗き込む子ども達。 最近はこういう光景も見られず、ゲームの影響なのかなと思っていました。 でも、色々と学ぶうちにもう一つの理由に農薬もあると気づきました。 そもそも、田んぼに魚や虫がいなければこういう遊びもできないんですね。   ‖…

マコモの田植えのお手伝い&田植えの準備をやってきました

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川越北環状線が国道254号に接続する福田。 田園が広がる中にマコモの田んぼがあります。 昨年の9月25日号の記事で、マコモタケのことを取り上げました。 http://koedo.info/150925makomo/   今年もマコモを栽培するとのことで、田植えを手伝ってきました。 マコモは種も出来るのですが、一般的には株から育てます。 用水路で成長させたマコモの苗を株分け 葉っぱだけだとマコモタケは育たないので、茎がある株だけを植えます。 クローラー(運搬機)でマコモの田んぼに運びます。 マコモの田んぼは、文字通り「田」の字になる通路を設けて4区画に分けます。 上の写真の赤い線のところには、90cm間隔で目印が付いたロープが沈められてます。 先ほど運んで来た苗をボートに積み替える。 それを田んぼの中へ運んでいきます。 15cmほど足が泥の中に埋まるので足を取られるのでかなり大変。 先ほどのロープの目印を目安に苗を植えていきます。 真っすぐにしたつもりですが、等間隔にするのは以外と難しい。 苗は倒れていますが、成長するにつれ直立します。 時ならぬ騒ぎに驚いて出て来た「トウキョウダルマガエル」 当日は「田」の字の1区画を終了。後日、2区画の田植えをされたそうです。 1区画が残っているのは、川越蕎麦商組合の方が田植えをする分。 昨年よりマコモの勉強会が始まっていて、今年から旬の一品として取り組むそう。 川越まつりの頃(9月下旬以降)には、メニューとして並ぶ予定で今から楽しみ♪ 参考)https://saimen.or.jp/news.html (2015/11/02…

峰岸進さん(那珂川の舟大工)~一艘の舟から始まる川物語・その3~

話しは遡ること約3ヶ月前。 川越でも雪景色の見られた2月7日(日)午前5時。 川島網打連合会の方々と車で移動すること約3時間。 やってきたのは茨城県常陸大宮市。きらきら光る水面が美しい那珂川の傍。 陶器で有名でSLが走る真岡を越え、ツインリンクもてぎ(茂木)の先。 これで、おおよその距離感や位置は分かるでしょうか? 那珂川の堤防沿いをテクテクと歩く。   ‖…

今年も米作りを追いかけます!〜有機稲作ポイント研修会(苗床づくり)〜

「かわごえ里山イニシアチブ」が主催する「有機稲作ポイント研修会」。 川越市北部地域ふれあいセンター(山田1578-1)で4月16日に開催されました。   ‖ 午前の部 (座学) 講師は「NPO法人…

吉澤典史さん(鍛冶職人・吉澤刃物)~一艘の舟から始まる川物語・その2~

取材・記事・写真 本間寿子   「忙しかった前職の飲食業を辞めて、ストレス解消に二週間くらいバイクで北海道を回ろうかなと思ったんです。でもこの機を逃したらもう一生できないかもしれないと考え直して、期間をきめないで日本一周に行こうと決めたんです。結局一年間かけてバイクで日本を回りました。そこで鍛冶屋さんに出会いました。」   そう語るのは鍛冶職人の道を歩み始めてまだ間もない吉澤典史さんです。 川島で進水式を行ったあの和舟の舟釘(以降、和釘)を製作した職人さんです。   日本一周バイクの旅の途中の高知でひょんなことから鍛冶屋さんに出会い、その後も様々な鍛冶屋さんを巡りこれは素晴らしい技術だと実感したそうです。しかし鍛冶屋さんは60歳70歳の方が多く、弟子も跡継ぎもいない、当代で終わりという所も多いのが実情です。土佐打ち刃物は地場産業としては盛んですが、毎年一軒、二軒はつぶれていくのです。外国では売れる、しかし国内では売れずに、安くてお手軽なものが主流となりつつある・・・   そんな状況を目の当たりにして、これはもったいない!と吉澤さんは強く心を揺さぶられました。 「雑誌で前から知っていた親方のところを訪ねてたまたま話をしていたときに、教えてあげるよと声をかけられたんです。そのときこれをこれからの職業にしよう、一生やっていこうと思いました。親方が作っていたのは先がとがっている土佐独特の鉈(なた)、剣鉈(けんなた)でした。真っ赤な鉄がどんどん変わっていく、鮮やかに加工されていくさまが見ていてとても気持ち良かったですね。」   できるだけ長く滞在して技術を学ぼうと決心、夜は生活のために飲食店で働き、昼は鉄をたたく、そんな修行生活が始まりました。ところが一年半たった頃に親方の体調が悪くなり、その親方の元を去らなければならなくなりました。まだまだ納得がいくような仕事ができず、新しい修行先を探し回る日々・・・将来高知で開業するのであれば面倒をみてあげてもいいという話もあったそうです。しかしそこにはどうしても生まれ育った川越にて開業したいという吉澤さんの強い思いがありました。   「修行をどう続けようか悩んでいた時にある鍛冶職人さんに言われたんです。『親方の元にずっと居たら同じ物しか造れない、伝統っては時代に合った形で残っていくものだ。一年半修行したのであれば最低限の基礎は覚えたはずだから新しいやり方自由な発想でやってもいいんじゃないか。』と、じゃあもうそうしようと(笑)。すぐに川越に戻って、そして独学で頑張ってみようと思いました。」   この職人さんの一言で目の前がぐっと大きく開けました。 もともと、ものづくりは好きだったという吉澤さん。学生時代にバイクが好きで最初はバイクの部品を作る工場で7年働いたということですが、そこで培ってきた技術が今に生かされていると語ってくれました。   広い納屋を一部改装した作業場には吉澤さんが手作りしたという炉、そしてスプリングハンマーなどがならんでいます。 川越に戻って包丁鍛冶屋を始めるにあたり、このスプリングハンマーを据え付けるための土台を依頼したのが鳶職人の加藤さんでした。 この出会いから和舟のための「和釘」を初めて作ることになったのです。   和船のための和釘は3種類、今回は全部で300本作成したそうです。 さっそく和釘の製作工程を見せてもらいました。   炉の温度は20分ほどで1200度あまりになります。すさまじい炎が炉のなかで渦巻いているのが音と空気で伝わってきました。冬でも半袖で十分というくらいの熱気だそう。   大まかな形成はスプリングハンマーで行い細かな調整はひたすら手(ハンマー)でおこないます。   真っ赤になった鉄は思ったより柔らかく、ちょっと叩きすぎると形が広がりすぎたり、曲がったりしてしまいます。舟に多くの本数を必要とする和釘は、大きさをそろえるのはもちろん、厚みもそろえる必要があり、刃物の作るのとはまた違った難しさがあるようです。   「あと難しいのは、釘の頭の角度や幅ですね。(和舟の)職人さんの好みもあるんですが、ちょっとお辞儀しているような感じがいいとか、使いやすいように作ってくれと言われるんです。何度か職人さんのところに行ってるのですが、このちょっと、とか、使いやすいように、っていうのは、実際釘を打ってるのを見てみないと分りません。それは職人同士の感覚にもよるところも大きいですね。」   炉から漏れ出る炎の音を聞きながら、鉄の棒を入れる、赤くなった鉄を叩く、釘の形に整える・調整する、この繰り返しの作業です。朝から晩まで叩きつづけ体が思うように動かなくなったこともあったそうです。   「初めての職人が鍛冶屋って言われてるんです。大工さんの道具は鍛冶屋が作る、料理人の包丁も鍛冶屋が作る。じゃあ鍛冶屋が使う道具は誰が作るか?というとやっぱり鍛冶屋が作るんですよ。自分の道具は自分で作る、それが鍛冶屋なんです。」   鍛冶職人について遠慮気味に、でも誇らしく語ってくれた吉澤さん。 実は他にも料理人として働いた経験もあるので、包丁だとだいたいどんなものが使いやすいのかということがわかるのだそうです。 「一番街の『まちかん』さんにはいずれ自分が作った刃物を置いて欲しいなと思います。包丁だけでなく装飾ナイフなども扱っていきたいですね。」   和釘の納品を終えてホッとしてる吉澤さんに、次に何を作ってみたいのか聞いてみました。   「今はきちんとした機械がまだ手に入っていないので、包丁を作るのは難しいのですが、実は加藤さんから次は碇(いかり)を作ってくれって言われているんです(笑)。実際には使わないようなんですが、舟についていたらかっこいいじゃないですか?時間があったら作ってみようと思います。まさかこんな仕事をいただけるとは思ってもみかなかったです。でも、こういうのいいなって思います。野鍛冶っていうのがあるんですが、それは鉄でなんでも作っちゃうんです。ベルトのバックルなども作ってみたいですね。」   土佐で剣鉈に魅せられた吉澤さんですが、悩んでいたときに背中を押してくれた職人さんのひとこと、そして川越に戻ってから思いもよらぬ出会いによって、鍛冶職人としての可能性が広がりそうです。   吉澤さんありがとうございました!   次は吉澤さんの和釘が、茨城の舟大工、峯岸さんの元に運ばれ、和舟ができるまでの工程をお伝えします。   INFORMATION 川島キャスティングネット(川島網打連合会青年部) 【HP】http://kawajimacastingnet.jimdo.com/ シリーズ連載(第一章) 第1回 http://koedo.info/160401kawajimawasen/   第2回 http://koedo.info/160411yoshizawa/   第3回 http://koedo.info/160429mineghshi/   第4回 http://koedo.info/160606wasenzukuri/   第5回 http://koedo.info/160617wasenzukuri/