舟運の面影残す蔵、そのセカンドステージは?~旧・江戸屋 文庫蔵(ふじみ野市)~

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先日、川越市主催「川越エリアリノベーション/まちあるきワークショップ」に参加してきました。 1月末にも「まち歩き物件探索ワークショップ~川越路地裏ツアー~」の取材をしましたが、実際ワークショップに参加したのは今回が初めてでした。 古い建物や使われていないものに新しい価値を見つける、物件だけでなくその周辺エリアに対してどう価値を見つけるか考える、今あるものを活かして新しいまちの使い方を提案する、というのが、このワークショップの主なポイント。   参加の皆さんは、講義の後にそれぞれ決められたエリアに出かけます。街の発展から取り残されて時が止まってしまった空き家(とおもわれる物件)や、長年放置されてツタに占領されてしまっている古い民家などを見つけては「うおー!これは面白い!」と始終ワクワクし通し。(通りがかりの人には変なオトナの団体にみえたかもしれません。笑) まちを歩きながら、物件の魅力や使い道を模索、そしてエリアを見渡してもっと魅力的にしていくには?等々を話し合い、ワークショップの最後にプレゼンを披露しました。 そんなワークショップで知り合ったのが中原町にある川越ホームさん。何気ないやりとりから、ちょっと話が広がり、とある興味深い物件の資料を見せていただきました。 それはなんと「蔵」!「土蔵」です! 先週の金曜日の記事にちらっと登場していましたが、ふじみ野市「福岡河岸記念館」の目の前にある旧「江戸屋」さんの文庫蔵です。 築年月は不詳。推定、明治時代であろうとのことです。 物件の平面図と立面図、改修前の写真が小さく掲載されている資料を見て、更にグーグルマップで周囲の様子を確認してみます。 まち歩きワークショップで培った「視点」と「テンション(!)」で、我々カワゴエ・マス・メディアのメンバーも古い土蔵の使い方をあれこれ考えてみました。 一同「うーん、この雰囲気だとギャラリーやカフェかなぁ。」「パンを売るのはどう?」「コンサート、できるかな?」とワイワイ。 この土蔵、上福岡駅から徒歩20分程で、賃料は1か月100,000円(税別)とのこと。(敷金等は別途かかります) ギャラリーにすると駅から遠く、さらに何を展示するかによって採算がかなり左右されそうです。まち歩きをする人や近隣の皆さんの為のカフェやパン屋さんは、火の扱いに制限があるので難しそうです。 カフェを経営している知人に物件資料を見せてみると「この蔵だと、広さはこのくらいかな?」とお店を見渡し広さを示してくれました。 ・・・うっかりしていました。蔵というだけで舞い上がり、広さについては頭にありませんでした。 こちら2階建ての土蔵、1階29㎡、2階25㎡。 収納、保存する蔵としては十分な広さですが、たくさんのお客さんがいちどきに滞在するにはちょっと窮屈かもしれません。   だんだんと口数が少なく悶々としてくる私たちに、川越ホームさんから「この蔵、今改修中なんですが、現場に行って内部をみてみますか?」との声。   ということで、川越ホームさんにご協力をいただき現場に行ってきました!   現在がっちりと足場が組まれ、改修中の文庫蔵。少し坂道になっている道路との高低差もあって、やや大きく見えます。 江戸屋住宅の広い敷地の端にその蔵がありました。 入り口は1箇所。大人の横幅より少し広いくらいの通路を通ります。 ちょっとずつ、みんなの子供心が騒ぎだします。 根太(床板を支えるための横木)は大引きの上に乗せられただけの状態。 この日は大変よい天気で、明り取りの窓からたっぷりとした日が差し込んでおり、影と光のコントラストが見事でした。 脚立を使って2階にあがりました。こちらは、昔のままの状態です。 今日は天気がいいから保管しているものは虫干しして、今はちょっと片づけをしている最中、といった感じです。 棚はかなり奥行きがあります。文庫蔵なので帳簿類を保管していたのでしょうか。 収納場所としても申し分ないですが、戸を全部とっぱらってしまって何かを見せる棚としても活用できそうです。 2階の窓の周辺の床は、四角く切り取られていて下が見下ろせます。 ここは、このままにして下に落ちないように柵をめぐらせるのがいいかしらと眺めていると、窓にはめ込まれた鉄格子の美しさにも気が付きます。 この写真でお気づきかもしれませんが、天井には結構立派な梁が渡っています。 この梁がある高さは、現代人にはちょっと低めかもしれません。私の身長が164cmで、あと10cmほどは余裕がありそうでした。 しかし、長身の人だと梁に頭をぶつけてしまうかもしれません。 窓の向こう側には福岡河岸記念館が借景のように臨めます。内部が暗いので、ことさら外の景色が美しくみえます。 昔は川越舟運の河岸場で、さそがしにぎわっていたと思われる界隈ですが、この日は鳥たちの鳴き声が空いっぱいに響き渡り、のどかな雰囲気でした。 この日は、この蔵をこれからどうやって利用していくか?というより、この蔵を含めてこのあたりはどんな歴史を経てきたのか?の方にフォーカスしてしまいました。 私が現場にきて思いついたのは、陶芸教室くらいでしょうか。一階には陶器をはじめ器類を並べて販売、二階が陶芸教室といった感じ。 舟運の歴史がうかがえる周辺一帯を入れて考えてみるともっと良い利用方法もありそうです。 文庫蔵の改修は12月に終える予定です。前述のとおり、この蔵は賃貸されます。 ご興味のある人は「川越ホーム」様へ問い合わせてみてはいかがでしょうか? http://www.kawagoehome.com/shop-kura ちなみに「江戸屋」さんの母屋ですが、今年の4月に気になる記事がでていましたのでご紹介しておきますね♪ 舟運の歴史を語り継ぐ ふじみ野の船問屋・旧「江戸屋」保存に向け調査へ http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201604/CK2016040802000182.html INFORMATION 旧江戸屋「文庫蔵」 【住所】ふじみ野市福岡3-5-16(一般宅のため敷地には入れません) 【問合】有限会社…

新河岸舟運の名残を訪ねて〜福岡・古市場・渋井界隈〜

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かつては、川越舟運の河岸場となっていた養老橋付近。 川を挟んで福岡河岸(ふじみ野市)と古市場河岸(川越市)があり賑わっていました。 案内板には享保18(1733)年に開設、昭和10(1935)年に役目を終えたとあります。 約200年の歴史ですね。   ‖…

野田五町の八幡太郎の山車に2日間密着しました〜川越まつり②〜

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川越まつり2日目、今日も抜けるような青空。 鳶の方は提灯を取り外し、出発の準備を進めています。 グリスも入念に塗り直します。 札の辻の定点カメラも位置を調整しながら取り付け中。 交通規制が始まり、札の辻を川越市の猩猩の山車が通り過ぎていきます。   ‖…

野田五町の八幡太郎の山車に2日間密着しました〜川越まつり①〜

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10月15日午前6時前、軒端揃いの紅白の幕が静かに揺れる野田五町。 野田神社では山車が曳き出され、朝囃子が川越まつりの始まりを告げます。 境内には町内の人が集まってきました。 川越まつりとラジオ体操、ハレとケが交錯する。     ‖…

川越まつりの便利な情報をお届け〜川越まつりパンフレットより〜

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10月15日、16日は「川越まつり」。川越が一年で最も熱くなる2日間です。 観光案内所ではパンフレットの配布も始まりました。 そこで、今回はパンフレットを元にちょっと便利な情報をお届けします。   なお、この記事では川越駅を出発して北へ向かうルートを取ります。 途中で東西や並行する道も通るのでマップがあると分かり易いです。 ※ここでパンフレットがダウンロードできるので、それを見ながらお読みください。 http://kawagoematsuri.jp/download/index.html   ‖…

水琴窟完成記念「秋の川越七福神巡り」に参加して来ました。

川越の由緒ある7つのお寺を巡る「小江戸川越七福神巡り」。 今年で開場30周年を迎えるにあたって、記念事業として水琴窟が設置されました。 水琴窟とは、江戸時代初期の小堀遠州が考案したものが発祥と言われています。 甕の中に水面に水滴が落ちると空洞に反響して音色を奏でる。 それが、琴に似ていることから水琴窟と呼ばれています。 川越シルバー人材センターでは、その完成を記念して「秋の川越七福神巡り」を企画。 記者もそれに申し込み参加してきました。 受付を済ませた順に15〜20人位のグループを作ります。 記者は緑(グリーン)チームとなりました。 ツアーコンダクターの先導で出発! マインの横を通り抜け、最初に向かうのは妙善寺。 途中の駐車場で、七福神についての簡単な説明が行われました。 日本において七福神が成立したのは室町時代末期。 「秋月」という京都のお坊さんが「七福神の乗合船」を描いたのが最初。 戦前の歴史学者・文学博士の喜田貞吉氏は七福はお経から来た説を唱えました。 「七難即滅 七福即生」という文字が仁王護国般若波羅密教にあるのだそうです。 江戸時代には、七福神信仰は福徳授与の神としてブームになったそう。 このきっかけは、徳川家康の政治指南役だった喜多院住職・天海大僧正とされています。 1月2日には、宝船の絵を枕の下に入れると縁起の良い夢が見れるとされています。 なかきよの…

夜空を焦がす炎とともに願いよ届け!〜雀ノ森浅間神社のお焚き上げ〜

ウェスタ川越の裏で鎮守の森の中にひっそりと佇む「雀ノ森氷川神社」。 こちらの鳥居から入ると、雀の図柄が彫られた岩が鎮座しています。 木々に囲まれちょっと神秘的なお社。 拝殿の龍の彫刻の下では、雀達が遊んでいます。 本殿は覆屋の中にあるため外からはっきりと見ることができません。 案内によると寛政9(1797)年に熊谷住彫工小林正信の作と云われています。 同氏は東松山市の箭弓稲荷神社の本殿を手がけた彫刻家。 江戸彫を多用した小型の一間社流造で川越市の有形文化財に指定されています。 こちらが拝殿を正面にみる参道。いわゆる表玄関。 左手には、この神社の由緒を示した案内板がありました。 当地は古くは荒宿・新ヶ宿とも書き、荒野であったという。新河岸川と不老川に挟まれた台地上に位置する。(中略)。元は、金比羅三社権現と号していたが、江戸期に度々、関東に疫病が発生した際に、各地に須佐之男命を祀った時に当社も、その折に氷川神社と称したと思われる。 由緒を詳しく知りたい人は、写真をクリックすると案内板が拡大します。 または、http://www.tesshow.jp/saitama/kawagoe/shrine_arajuk_szme.html 鳥居の右側は富士山を祀る雀ノ森浅間神社。 鳥居の先は小高く土が盛られた「富士塚」。 頂上には小さな祠(ほこら)があります。   ‖…

雨風に耐えて田んぼを守った勇士達〜南古谷かかしまつり〜

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7月17日から始まっていた南古谷のかかしまつり。 何となく行きそびれていましたが、終盤も終盤の8月31日に見てきました。 道路沿いにずらりと並ぶ40体の個性豊かな案山子達。 1ヶ月以上展示され、台風の襲来もありましたが、田んぼを守り続けていました。 それらを一挙紹介します。   ‖…

川越古代歴史ロマン探訪〜山王塚古墳 発掘調査第3次見学会〜

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取材・記事 白井紀行   朝から激しい雨の降った8月27日、山王塚古墳第3次発掘調査の見学会が行われました。 山王塚古墳とは? 山王塚古墳については、3月12日に行われた第二次調査会で詳細を記述しています。 http://koedo.info/160520sanodukakofun/ かいつまむと、川越には4つの古墳群があり、山王塚古墳は南大塚古墳群に属す。 7世紀後半に造られたとされ考えられ、日本最大の上円下方墳とされています。 未だ埋葬者は不明ですが、川越市では平成24年から発掘調査を行っています。   当日配られた資料に想像図(イメージ)を重ね合わせてみました。 注)簡易的にトレースしたものなので正確ではありません。   こちらは資料の表拍子の図にトレンチを重ね合わせたもの。 これを頭に入れながら古墳を巡ってみたいと思います。   ‖見栄坊だった山王塚古墳 当日は生憎の雨で、低いところには水たまりができていました。 しかし、これが怪我の功名。この低くなった処が周溝だったことが分かります。   その周溝を調べるために設けられた9-A号トレンチ。   このなだらかに掘られたのが周溝。   幅は15メートルあるのですが、深さは50cmと浅い。 遠くから見ると(溝の幅があるので)古墳を立派に見せることができる。 これが、山王塚古墳が見栄坊と云われる由縁です。   その先に有るのが9-B号トレンチ。   下方部の構築の様子が分かります。 一番深いところは3m程ありますが、赤土が出ていないので、まだ基底に達してないとか。   写真では少し分かり難いですが、方形部の縁も少し盛り上げてあります。 そうすると、下から見上げた時により高く見えるのも見栄坊です。   円形部の高さは約4mあるそうです。   第3次調査では、これまで、あまり手を入れてない下方部の北側の周溝も調査。 その結果、こちら側も溝の幅は15m位はあったのではと考えられるそうです。 注)この先の溝は江戸時代に掘られたと推測されています。 雑木林としても価値がある山王塚古墳 ここで、古墳に生えている樹木について話しがありました。   山王塚古墳にはたくさんの木々が植わっており、雑木林としても価値があります。 それを活かすために1週間かけて植生を調査したそうです。   古墳をぐるりと時計方向に回ります。   10号トレンチ。この先の道路は「く」の字に折れています。   これまでは、周溝がこのようなカーブを描いていたと考えれれていました。 しかし、調査の結果、実際には道路の下まで周溝があることがわかりました。   山王社の参道の脇に設けられた13号トレンチ。   この立ち上がりから参道の部分が石室へと続く、陸橋だったことが分かりました。   その陸橋を渡って石室へと向かいます。   12号トレンチが石室の前庭部(祭礼などを行ったところ)になります。   床面部分には握りこぶし大の河原石を敷いた床面が見られます。   上から見た様子   こちらでは、石室の閉塞に使われた人頭大の河原石が崩れた状態で見られます。 石室は緑泥片岩と見られ、それが少し顔を出しています。 埋葬者を推測してみる 当日の説明会にはありませんでしたが、前庭について興味深い論文がありました。 http://ci.nii.ac.jp/naid/120005748163 これによると、横穴式石室の前庭は高句麗の王陵に採用されたものなのだそうです。 上円下方墳は有力な支配層の墓であり、前庭は高句麗の王陵に見られるもの。 そして、高句麗の人が住んでいた高麗郡には川越も含まれていた。 これらから相当に位の高い人が埋葬されているのは間違い無さそうです。 この山王社の下に眠る埋葬者。 今後、調査が進み川越から歴史の一ページを塗り替える日が来るのかもしれません。 INFORMATION 山王塚(南大塚古墳群) 【電話】049-224-6097(直通)教育委員会教育総務部文化財保護課調査担当 【住所】川越市大塚1-21-12 【HP】川越市 山王塚古墳 第3次調査     当日の資料はこちらからダウンロードできます。▼