川越古代歴史ロマン探訪〜山王塚古墳 発掘調査第3次見学会〜
取材・記事 白井紀行
朝から激しい雨の降った8月27日、山王塚古墳第3次発掘調査の見学会が行われました。
山王塚古墳とは?
山王塚古墳については、3月12日に行われた第二次調査会で詳細を記述しています。
かいつまむと、川越には4つの古墳群があり、山王塚古墳は南大塚古墳群に属す。
7世紀後半に造られたとされ考えられ、日本最大の上円下方墳とされています。
未だ埋葬者は不明ですが、川越市では平成24年から発掘調査を行っています。
当日配られた資料に想像図(イメージ)を重ね合わせてみました。
注)簡易的にトレースしたものなので正確ではありません。
こちらは資料の表拍子の図にトレンチを重ね合わせたもの。
これを頭に入れながら古墳を巡ってみたいと思います。
‖見栄坊だった山王塚古墳
当日は生憎の雨で、低いところには水たまりができていました。
しかし、これが怪我の功名。この低くなった処が周溝だったことが分かります。
その周溝を調べるために設けられた9-A号トレンチ。
このなだらかに掘られたのが周溝。
幅は15メートルあるのですが、深さは50cmと浅い。
遠くから見ると(溝の幅があるので)古墳を立派に見せることができる。
これが、山王塚古墳が見栄坊と云われる由縁です。
その先に有るのが9-B号トレンチ。
下方部の構築の様子が分かります。
一番深いところは3m程ありますが、赤土が出ていないので、まだ基底に達してないとか。
写真では少し分かり難いですが、方形部の縁も少し盛り上げてあります。
そうすると、下から見上げた時により高く見えるのも見栄坊です。
円形部の高さは約4mあるそうです。
第3次調査では、これまで、あまり手を入れてない下方部の北側の周溝も調査。
その結果、こちら側も溝の幅は15m位はあったのではと考えられるそうです。
注)この先の溝は江戸時代に掘られたと推測されています。
雑木林としても価値がある山王塚古墳
ここで、古墳に生えている樹木について話しがありました。
山王塚古墳にはたくさんの木々が植わっており、雑木林としても価値があります。
それを活かすために1週間かけて植生を調査したそうです。
古墳をぐるりと時計方向に回ります。
10号トレンチ。この先の道路は「く」の字に折れています。
これまでは、周溝がこのようなカーブを描いていたと考えれれていました。
しかし、調査の結果、実際には道路の下まで周溝があることがわかりました。
山王社の参道の脇に設けられた13号トレンチ。
この立ち上がりから参道の部分が石室へと続く、陸橋だったことが分かりました。
その陸橋を渡って石室へと向かいます。
12号トレンチが石室の前庭部(祭礼などを行ったところ)になります。
床面部分には握りこぶし大の河原石を敷いた床面が見られます。
上から見た様子
こちらでは、石室の閉塞に使われた人頭大の河原石が崩れた状態で見られます。
石室は緑泥片岩と見られ、それが少し顔を出しています。
埋葬者を推測してみる
当日の説明会にはありませんでしたが、前庭について興味深い論文がありました。
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005748163
これによると、横穴式石室の前庭は高句麗の王陵に採用されたものなのだそうです。
上円下方墳は有力な支配層の墓であり、前庭は高句麗の王陵に見られるもの。
そして、高句麗の人が住んでいた高麗郡には川越も含まれていた。
これらから相当に位の高い人が埋葬されているのは間違い無さそうです。
この山王社の下に眠る埋葬者。
今後、調査が進み川越から歴史の一ページを塗り替える日が来るのかもしれません。
INFORMATION
山王塚(南大塚古墳群)
【電話】049-224-6097(直通)教育委員会教育総務部文化財保護課調査担当
【住所】川越市大塚1-21-12
【HP】川越市 山王塚古墳 第3次調査
当日の資料はこちらからダウンロードできます。▼