かつては川越もその一員だった〜高麗郡建郡1,300年記念祭〜
JR川越駅から川越線で30分。
川越市の西隣の街、日高市「高麗川」にやってきました。
手前のディーゼル車は高崎まで行く八高線です。
日高まで来たのは、高麗郡の建郡1,300年のイベントが開催のため。
高句麗衣装を身に包んだ「にじのパレード見学」と「高麗神社」を訪ねる旅です。
駅前では、建郡1,300年のイベントチラシを中学生が配布していました。
左手は、JR主催の「駅からハイキング」のテント。
こちらで地図を配っていたので、それを元に日高を巡ります。
ちなみコースはこちら → https://www.jreast.co.jp/ekihai/evdetail.aspx?EvCd=0316006
‖ 高麗郡って?
まずは高麗郡について、高麗神社に掲示してあったパネルを使って紹介。
高麗郡が建郡されたのは今から1.300年前
この頃、日本は中央集権国家として律令体制が築かれスタートした時期。
645年の大化の改新、672年の壬申の乱を経て701年に大宝律令が完成。
そして、710年に日本の首都として平城京が奈良に建造された時代です。
当時の朝鮮半島は「高句麗」「新羅」「百済」という三国が鼎立した時代。
高句麗は紀元前37年〜668年、中国東北部から朝鮮半島に広大な領地を有してました。
その頃の日本は特に百済と交流が深かったといわれています。
663年には新羅・唐の攻勢に対して、百済と連合軍を組みこれを迎えます。
しかし、結局、戦いに敗れた百済は滅び、多くの百済人が日本に亡命しました。
唐と新羅の連合軍に対して高句麗は日本に援軍を依頼。
666年にその使者として来日したのが玄武若光。
しかし、高句麗は668年に滅ぼされため日本で暮らすことになりました。
703年に朝廷より高麗王(こまこしき)という姓を賜ります。
霊亀2(716)年、若光は関東地方の高句麗系の渡来人1,799人を武蔵野国に集めました。
これが高麗郡の始まりです。
ちなみに、5月20日号で紹介した山王塚古墳もこの時期と重なります。
当時の高麗郡は、空開地(無人の地)。
建郡は、渡来人の移住政策と地方行政のあるべき姿を示す目的と考えられています。
建郡当初は高麗郷(日高市南中央地域)と上総郷(飯能市東北地域)の100戸。
それが1180年後には、飯能、日高、入間、狭山、鶴ヶ島、川越まで広がりました。
1896年に入間郡に編入され高麗郡は無くなります。
古代高麗郡の郡役所は、出土品から武蔵高萩付近と推測されています。
※パネルほか「まんが高麗王若光物語」を参考にしました。
‖ にじのパレードの会場へ
と、ざっと歴史を振り返ったところで現代に戻りましょう。
高麗川駅からイベントのメイン会場となる日高市役所へ向かいます。
日高市役所へは、ポッポ道を使うのが近道。
ポッポ道は、高麗川駅から太平洋セメントへの側線を遊歩道にしたもの。
かつての踏切や線路の一部がそのまま残されています。
太平洋セメントの埼玉工場は、要塞を思わせるビジュアルです。
このポッポ道が終わると市役所前の大通りに到着。
丁度、にじのパレードが始まるところでした!
先頭を切るのは、日高から生まれたよさこいチーム「舞人」
迫力のある一糸乱れぬ踊りと名物の大旗を振ってトップを飾ります。
続いては、日高市のマスコットキャラ「くりっかー」と「くりっぴー」
カワセミをモチーフに、日高の名産「栗」と頭には曼珠沙華をあしらってます。
その後は、市内の保育園、幼稚園達の可愛いらしい行進。
沿道のお客さん達に手を振って笑顔で通り過ぎていきます。
沿道のお客さん達に手を振って笑顔で通り過ぎていきます。
フロートに乗ってやって来たのは、コバトンとさいたまっち。
日高市の姉妹都市である韓国の烏山市からカラスのマスコットキャラクターも。
その後を、各種市民団体が続きます。
艶やかな七色の衣装は古代高句麗古墳壁画にものをモチーフにしているそうです。
日高市市長や来賓の方々を載せたフロートが到着。
日高市の谷ケ﨑市長が扮するのが高麗王若光。
くす玉が割られ、高麗郡建郡1,300年記念祭を祝います。
日高市の姉妹都市、韓国の烏山市からの代表団。
京畿道、九里市などの韓国からの代表団が続きます。
日高市の各地区や企業、個人参加の列。
いよいよパレードも終盤、市内の小学校が登場。
七色の旗を持ってにじのパレードを演出していました(写真下)。
東京韓国学校は、これまでと雰囲気の違った衣装
武蔵野銀行日高支店。
最後は、日韓伝統武芸人交流会の列。
パレードは一時間以上続き、まさに日高市民をあげて建郡1,300のお祝いです。
‖ メイン会場(日高市役所)
メイン会場となる日高市役所にやってきました。
大きな鍋で作っているのは高麗鍋。こちらまでキムチの匂いが漂ってきます。
向こうから威勢の良い御神輿がやってきました。
文化体育館「ひだかアリーナ」前では沢山の飲食ブースが軒を連ねてます。
かつては、高麗郡の一員であった市や近隣の市町のブースが並ぶ。
川越市のブースの前にも長い列。
太麺焼きそば、焼き団子、いも茶、ときもストラップとぬいぐるみを販売。
独自に入手した情報では、太麺焼きそばは売り切れになったそうです♪
高麗郡が建郡される前に高麗人が住んでいた所縁のある東国七国のブース。
遥か昔は、高句麗だった京畿道観光公社のブース
餃子入りパイタン高麗鍋、食べたかったけど長蛇の列に断念(T^T)
おっと、COEDOビールを発見!
武蔵高萩からのシャトルバスはイーグルバス。
ついつい、川越に関連したものを探してしまいます。
‖ 高麗神社へ向かう前に
ここから高麗神社は2kmほどの距離。
折角ですので、ハイキングコースのマップに従って歩きましょう。
道すがらもちょくちょく気になるようなものを見かける。
名産である栗畑もあちこちで目につきます。
30分ほど歩いてやってきたのは、弓削田醤油の醤油王国。
近くまでくると醤油の良い匂いが鼻をくすぐります。
そこから更に歩いて、長澤酒造へ。高麗王という日本酒を製造する酒蔵。
中に入るとひんやりと涼しくて、ほてった体を冷やします。
幟も出ていて気になった「高麗王の甘酒アイス」を頂きました。
甘酒独特の優しい甘みが口に広がります。
一息ついたところで、いよいよ高麗神社へと向かいましょう!
ということで後半へ続く。
取材・記事 白井紀行
INFORMATION
高麗郡建郡1,300年記念(にじのパレード)
【開催】5月22日(日)日高市役所前
【住所】日高市南平沢1020