川越古代史ロマン探訪
街中に突然現れる密集した木々
普段見慣れた街並みに突然木々が密集して生い茂った、何か特別な雰囲気を持った場所が目に入ってきたことって無いですか?
自宅から南大塚方面に向かって歩いていたら、まさしくそんな風景が僕の視野に入ってきました。
沸き立つ好奇心に導かれ近くに寄ってみると、そこは市指定史跡「山王塚」と呼ばれる古墳でした。
この一帯を「南大塚古墳群」と言うのも初めて知りました。
説明書きから古代を馳せる
古墳の形には意味がちゃんとあって、その時代背景や古代国家の勢力なんかもわかるそうです。
川越市による発掘調査では、牛塚も山王塚も作られた時代は7世紀くらいだそう。
双方の古墳群の主古墳の形状が異なることから、入間川を挟んで対峙して存在していた別勢力による村国家の存在が想定されます。
前方後円墳は大和朝廷のシンボリックな存在なので、牛塚の主は大和朝廷勢力下のローカルな王様だったのでしょうか?!
対して山王塚は全国的に珍しい上円下方墳というタイプのもので、ちょっと埋葬者を考察するのはハードル高く、かつ興味深いです。
なんたって川越含めて現在全国(奈良県奈良市、静岡沼津市、東京府中市&三鷹市、福島県白河市)でわずか6か所しか確認されてないそう。
また川越の山王塚が同種の古墳では最大規模という事も何だか気になります。
きっと位の高い王様が今の南大塚辺り周辺を治めていたのでしょうか?!
まさに歴史ロマン!!
ちなみにこの珍しい上円下方墳、近代に入って明治、昭和天皇陵に採用されているのがこれまた興味深いです。
山王塚に足を踏み入れてみる
で、周りをくるりと散策してみました。
この角度だと盛り土の様子がわかりますね。
鳥居は比較的新しいので、周辺住民の方々からはきっと神聖な場所と長年思われているのでしょう。
頂上には祠があって、中を覗いてみたら江戸期のものでした。
頂上の祠の脇には「榛」?の文字が刻まれた石塔が幾つかありました。古墳の時代よりは後の物でしょう。
古代の物流を想う
埋葬品などからも山王塚の手がかりがわかると思ってさらに調べました。
平成15年に行われた川越市の発掘調査時に円筒埴輪が出土しています。
これは、鴻巣市生出塚(おいねづか)埴輪窯跡で焼かれたもので、川越市周辺で見つかるほとんどの埴輪が生出塚産です。
参考)川越市ホームページ 「南大塚古墳群発掘調査現地説明会当日配布資料(概略版)」
生出塚の埴輪は行田市にある大規模古墳群「さきたま古墳」を始め県内の多くの古墳からも見つかってます。
ここから、古代物流の姿が浮かび上がってきます。なんか今とあまり変わらない人の営みだったりして?!
蔵の街や繁華街も良いですけど、普段僕らが目にする街の姿って、実は表面的なほんの一部に過ぎません。
視点を変えて街を眺めてみるとまた違った姿が見えてきそうで楽しいですね!
WRITER KAWAGOE WALKER
INFORMATION
山王塚(南大塚古墳群)
【電話】049-224-6097(直通)教育委員会教育総務部文化財保護課調査担当
【住所】川越市大塚1-21-12
【HP】南大塚古墳群発掘調査現地説明会当日配布資料(概略版)