
今年の桜も終わってしまいましたね〜春の風物詩・誉れ桜と舟遊〜
街4月の第一土曜日は、川越氷川神社裏手の新河岸川で春の舟遊が開催されます。
乗船には整理券が必要で配布は終わっていましたのですが、終演を迎える桜を眺めてきました。
案内板の矢印に従って進めばすぐに新河岸川ですが、氷川神社に寄ってから行きましょう。
氷川神社の境内には桜は植えられていないのですが、参道には桜の枝が飾られていました。
新河岸川へ行くには本殿の横を通ります。
本殿の裏手には樹齢600年を超えるご神木があります。
周りには石段が組んであり、周りを巡れるように8の字に石段が組んであります。
この先が、新河岸川になります。
新河岸川に掛かる氷川橋。生憎の曇り空ですが、橋の上には写真を撮る人が大勢。
ここから見る桜はとても美しいのですが、少し散り始めたところですね。
この新河岸川沿いに咲く桜は、ソメイヨシノですが、誉桜とも呼ばれます。
案内板があったので、そこから引用します。
「誉桜(ほまれざくら」は市内、幸町の菓子舗「亀屋栄泉」の十九代目当主、中島良輔氏によって昭和32年300本の若木が川越市に寄贈され、ここ氷川神社裏から川越本丸御殿にかけての新河岸川河畔に当時の初雁中学校生徒達によって植えられたものである。
中島家によると、当初「戦勝桜」と命名すべく戦時中から500本ほどの桜苗を農家に依頼してあったというが、第二次世界大戦の結果多くの戦没者の名誉と慰霊の意味を込めて「誉桜」として植えられたもので、氷川神社境内にはその記念碑も見られる。
桜の種類は「ソメイヨシノ」。現在、約100本が毎年、水辺の桜花爛漫を堪能させてくれる。平成17年全国地域新聞39社による「ニッポンの桜だより」桜100選にも選定されています。
乗船場は氷川会館の裏手にあたります。
ちょうど乗船を終えて出発するところでした。
ゆるゆると川面を進む「ひらた舟」
向こうから来る舟とのすれ違い。
川面に浮かぶ桜の花びらの絨毯をかき分けるように進みます。
舟には乗れませんが、せっかくなので、川沿いを少し歩いてみましょう。
シートを敷いて本格的なお花見をする姿はそれほど見かけません。
先週位がおそらくピークだったのでしょう。
それでもお花見をするにはまだまだ十分ですね。
こうして見れば満開気分♪
川面に映る桜もまた目を楽しませます。
田谷堰までやってきました。
このレトロな雰囲気の橋と桜との組合せも川越の絶景ポイントのひとつ。
平成21年に川越を舞台にしたNHK連続小説「つばさ」のロケ地でもあります。
この木製のゲートを下げて新河岸川の水量を調整する仕掛けになっています。
田谷堰の上に登ってみました。
「つばさ」では、母と子が和解する名シーンで、ここではなんとサンバが踊られました!
川面からだと結構な高さを感じますが、ここから、美しい誉桜を眺めることができます。
川越春まつりの併催事業として、新河岸にある旭橋でも4月29日にひらた舟乗船体験があります。
参考)川越春まつり併催事業チラシ
かつて舟運で栄えた川越の雰囲気を味わいに出かけてみてはいかがでしょうか?
関連記事:新河岸川河岸場跡と新河岸&南田島付近の蔵巡りVol.3
http://koedo.info/150206shingasi/

いよいよ花見の季節です!〜3月29日の市内の桜の様子を見てきました。
街関東では先週より開花宣言が出され、川越でも桜の開花が伝えられるようになりました。
3月29日(日)に中心街の桜の様子を見てきましたのでお花見の参考にしてみて下さい。
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サワディ・クラップ!川越にタイがやってきた〜ミニ・タイ・フェア〜
活, 街, 食平成27年3月21日(土)、22日(日)に小江戸蔵里で第2回アジアフェスが開催。
今年は、埼玉県在住タイ人クラブが主催し、タイにフューチャーした催しとなりました
タイは日本にも比較的馴染みのある国ではないでしょうか?
正式には「タイ王国」といい、東南アジアにある熱帯性気候の国、首都はバンコク。
世界遺産のアユタヤを始めとする観光地があり、タイ料理、タイ式マッサージ、ムエタイが有名。
日本企業も多く進出しているので電化製品を見るとMaid…

子供の頃に遊んだ近所の公園を散歩しよう!〜霞ヶ関東第1〜6公園〜
街今や3,700人近くの会員を抱える「フェイスブック小江戸川越会」。
その分科会である「かすみがせきを元気にする会」にこんな投稿がありました。
「昔遊んだ、霞ヶ関東五丁目付近にあった、お家の遊具?(縦穴式住居みたいな)があった、公園ってまだありますか?夜遅くですが、犬の散歩でそのあたりを、何度か通ったのですが、見当たりませんでした。
キノコの公園は、まだ存在していますが…。どなたか、情報をお持ちのかた、教えてください。
これに対して直ぐに反応があり、公園と遊具の所在を確認。
そして、「霞ヶ関東」には第1から第6公園まであることも分かりました。
調べてみるとそれぞれ個性を持った公園のようなので、早速全部回ってることにしました。
東武東上線「霞ヶ関駅南口」を降りて左。
線路沿いを池袋方面に進むと「かすみ自動車教習所」が見えてきます。
右手にかすみ保育園の青い看板が見える道路が「かすみ東通り」です。
その先をさらに進むと広がる閑静な住宅街が霞ヶ関東地区です。
かすみ東通り沿いのお店「かすみ食堂」
本格焼きたてパンのチロル
時々、こちらでパンを買っています♪
店内から大きなオーブンを見ることができ、時間によっては本当に焼きたてパンが頂けます。
菓子屋横丁でお馴染みの「川越ピエロのいちろうくん」もこちらにお住まい。
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埼玉県最古級の方墳がこんな近くに!?〜三變土田稲荷神社〜
街小仙波付近を通りかかると紅い鳥居が連なっているのが目に飛び込んできました。
ここは三變土田稲荷(さんぺんどでんいなり)とあり、喜多院が所有する神社。
三變土田とは、「仏が不浄なる国土を三度変じて浄土としたこと」を指すそうです。
稲荷神社は小高い丘の上にあるのが分かります。
お社では赤い布をまとった2匹の白狐がお出迎え。
小さな鈴や賽銭箱と相まってとても可愛らしい感じの神社ですね。
ところで、竹箒が逆さになっているのが分かりますか?
これは喜多院の「三位稲荷」という伝説に由来しています(詳しくは、別の機会に)。
すでにピンと来た人もいると思いますが、この神社は古墳の上にあります。
三変稲荷神社・古墳
当古墳は、四半世紀後半(古墳時代前期)に、この地域の首長墓として築造された一辺約20メートル余りを測る方墳で、入間郡最古の古墳の一つとされる。近隣からは表採された鼉龍鏡(だりゅうきょう<鼉龍とはワニに似た想像上の動物>)と碧玉製石釧(へきぎょくせいいしくしろ<石製の腕輪>)は、呪術的な首長の権威の象徴として、畿内王権から下されたものである。古墳周溝からは、墳丘を囲うように樹立していた壷型埴輪が出土している。(案内板より、一部補足)
25メートル四方という話しもあって、これは、野球のダイアモンドより一回り小さい位。
長年の歳月を経たために方墳には見えません。
案内板には入間郡最古とありますが、埼玉県最古といっても良いようです。
稲荷神社の背後にはこの古墳のシンボルとなる立派な榎(えのき)があります。
そのため、別名、「榎の木稲荷」とも言われます。
「三變土田稲荷神社(榎の木神社)」にはこんな伝説があります。
むかし喜多院に長い間住んでいた化け上手な白い狐が、正体を見破られたのでお寺を出ることに。白い狐は尊海僧正にお礼として化けている間、一言も声を出さないことを条件に2,500年前の釈迦が布教をしている姿を見せることにしました。けれども、目の前で展開されるその光景に尊海は思わず、「ああ、ありがたや南無阿弥陀仏」と声を出してしまいました。そのとたん釈迦の姿は消え、榎の木に登って化かしていた白い狐はもんどりうって落ちて死んでしまいました。尊海は白い狐を哀れみ、榎の木の下に亡骸をまつりました。それが、この「榎の木稲荷」です。(川越市教育委員会発行 川越の伝説…

これから注目のスポットで開催!〜はんどめいど☆フェスタ川越もっこ館〜
情報, 活, 街川越観光では一番街と並んで人気の観光スポット「菓子屋横丁」。
さらに西に進むと新河岸川(赤間川)を渡る高沢橋に差し掛かります。
ちなみに橋の手前を左に曲がると七福神でもお馴染みの「見立寺」。
橋を越えて川沿いの道をほどなく歩くと
ここが川越の新たな集客スポットとして準備中のもっこ館
ここで、2月28日、3月1日の土日に「はんどめいど☆フェスタ川越もっこ館」が開催されました。
お伺いした時間が3月1日の2時半過ぎ、雨も降っていたので、ほぼ片付け前(^^;)。
昨日は天気も良くて盛況だったとのこと。
主催者の「すきっぷ実行委員会」さんのブース。
川越では雑貨市などのイベントといえば、小江戸蔵里か蓮馨寺で開催されることが多い。
この会場は『川越の新たな魅力を』という思惑が「もっこ館」の方と一致して選んだそうです。
川越駅東口で時々お見かけする「三つ葉を伝える路上詩人…

ワンコイン(100円)で川越の貴重な歴史に触れよう〜蔵造り資料館〜
活, 街蔵造りの街並が連なる川越一番街商店街。
時の鐘入り口となる信号のその先にある「蔵造り資料館」。
元々は、明治26年3月の川越大火の直後に、煙草卸商を営んでいた小山文蔵氏が建てたもの。
店の屋号は「万文(まんぶん)」でした。
入館料(なんと100円!です)を払って邸内に入ると目につくのが屋根の模型。
店蔵の屋根にある鬼瓦、影盛、箱棟は川越の蔵造りを語る上で特徴的なものです。
普段は見上げるだけですが、こうして目の前にあるとその大きさに驚かされます。
箱棟の構造を知りたいという私みたいな人(笑)のために中が覗けるようになっています。
窓を開けると箱棟は木組みで作られていることが分かります。
それでは、蔵の中を見学することにしましょう。
最も奥の蔵(三番蔵)は、煙草卸商だった「万文」ゆかりの品々が展示されています。
「万文」の主な商品は3銭の徳用煙草でしたが、高級煙草の販売も行いました。「万文」の全盛時代は、煙草民営時代の最盛期であった明治27年から専売制(官営)となる明治37年までの10年。この頃には、販売権を所沢、飯能まで延ばしました。また、煙草の三大メーカと呼ばれた岩谷商会、村井兄弟商会、千葉商店などの販売店でした。
明治37年、煙草が専売制になると小山文蔵は煙草元売捌人(もとうりさばきにん)になり、昭和に入ると息子の小山三省(みつお)は将来を考え、東京地方販売所の設置に協力し、店舗を貸与するとともに廃業しました。(案内文より抜粋)
煙草の定価表、官営と元売捌人という文字があるので専売制になってからのものですね。
当時の煙草のパッケージはこちらも参考に♪
http://www.lsando.com/oldcigarette/oldcigarette15.htm
左から算盤、刻煙草製造帳、万文の店頭の様子、新旧略歴
煙草を配達するのに使われた「万文の荷箱車」
一番街が今の蔵造りの街並になったきっかけが明治26年の川越大火。
二番蔵には町火消しに関する資料が展示されています。
刺子半纏が展示してありました。
猛火から身を守る重要な防火着である刺子半纏。分厚く仕立てられた半纏は布地がクッションの役割をするため少々の落下物による衝撃をやわらげます。半纏の表地は藍染めによる藍色一色で、裏地は着る人それぞれが趣向を凝らした図柄となっています。(案内文から抜粋)
無事鎮火した後は半纏を裏返して颯爽と引き上げたそう。実に粋ではないですか!
左の2つはポンプ、手榴弾型の消火器、転倒式消火器
川越大火の範囲を表した地図。
連雀町〜札の辻の先、市役所〜松江町あたりまで広い範囲の火事だったことがわかります。
見学ルートには店蔵の2Fも含まれています。
階段の側面に引き出しがあるのは見かけますが、こちらは段そのものが引き出しです。
その階段を慎重に(急なので)登って行くと…
このような6帖2間の部屋に出ます。
舟運で栄えた川越を象徴する「川越夜舟」の模型。
ここからは、普段見ることのできない「時の鐘」の姿が見られます。
万文の主人だった小山文蔵氏も「時の鐘」を搗く様子を見ていたのでしょうか?
こちらは店の入り口付近にある地下の倉庫「穴蔵」。
普段は収納用として、火事の時には品物を投げ込む防火施設の役割があります。
江戸では普及していたそうですが、川越で見られるのはここくらいかもしれません。
このように川越の歴史や蔵の様子を知ることができる「蔵造り資料館」。
入館料は100円とリーズナブルで、見所も多いので、ぜひ、一度、訪れてみて下さい。
毎月第2日曜日午前11時、午後2時には、当日直接受付で、資料館ガイドも行っているそうです。
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西雲寺の桜の開花日で豪華賞品が当たる!〜クレアモール 桜の開花予想〜
街川越駅東口から北へまっすぐ1.2km伸びるクレアモール商店街は全国でも有数の商店街。
こちらで毎年春の恒例企画として12回目となったのが桜の開花予想。
この画像は、川越新富町商店街組合様に承諾の上で掲載しています。
商店街にある西雲寺の境内にある桜がいつ開花するかを予想してWebで応募します。
その参考になれば(になるかはわかりませんが(^^;)と、今の様子を見てきました。
西雲寺へ行くには、クレアモールの中心部に位置する「まるひろ百貨店」を目指します。
その真正面に位置するのが西雲寺。
境内に入ると、それまでの喧噪を忘れたかのように静かな空間が広がります。
参道を歩くと、「つくばい」が置いてありました。
「つくばい」って言葉は知っていたのですが、改めて調べました。
つくばいは、漢字で蹲踞(蹲)と書く通り、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢。
手を洗うときには、つくばう(しゃがむ)ことからこの名がその名が付いたそうです。
茶色と白のコントラストが美しい本堂。
板橋中宿の乗蓮寺(現、赤塚・東京大仏)旧本堂の譲与を受けて移築されたものだそうです。
永代供養塔の涅槃堂
西雲寺の本尊は阿弥陀如来。そして、境内には「日限(ひぎり)三体地蔵尊」があります。
お堂の中には木彫りでそれぞれが違った姿をした3体のお地蔵様がまつられています。これは、一本の棒では不安定だが三本合わせればしっかり立つということに由来し、天の三ツ星(オリオン座)を形どったものだとも言われています。
この三体地蔵尊は、むかし、会津若松のお殿様の夢枕にお地蔵様があらわれて「泥深い葦の中に埋まっているので出すべし」とお告げがあったので、早速、掘り出し西光寺に安置しました。
その地蔵様を写して彫刻したものを、あるえらいお坊さんが背負って諸国を行脚し川越にやって来て西雲寺に納めたそうです。(川越市教育委員会発行 川越の伝説…

気象庁より正確!?今年の天候を占う伝統行事〜老袋の弓取り式〜
街古くから栄えた川越では地元に根付いた伝統行事が沢山有ります。
下老袋氷川神社では、毎年2月11日に「老袋の弓取式」が行われます。
下老袋氷川神社は、上老袋・中老袋・下老袋・東本宿の氏神となっています。
老袋の弓取り式(県指定・無形民族文化財)
二月十一日にその年の天候を占い、豊年を祈る予祝行事として行われる。下老袋がミヤモトとなり弓取式に使う弓矢と的、甘酒を用意、上老袋・中老袋が交代で豆腐田楽を作り、東本宿が甘酒の準備を手伝うと、それぞれの役割を持って行事を行います。ユミトリッコと呼ばれる男の子に代って大人のユミトリが境内に用意された的を射る。三本づつ射るが、白い部分に当たれば晴れが、黒い部分に多く当たると雨が多い年になると言われる。式の後、甘酒と豆腐田楽がふるまわれ、参加者の健康を祈る。(案内板に一部加筆)
社殿には紫の幕が張られていて行事に備えられていました。
社殿の傍らでは、的の設営が粛々と進められています。
参列者が参道をこちらへゆっくりと向かってくるところを撮影するカメラマン達。
特に鳴り物はなく、しずしずと参道を進む参列者。
神主、総代(ユミトリ)、ユミトリッコ、弓や的を持つ人、甘酒が入った樽を担ぐ人、
豆腐田楽を並べた盥(たらい)を頭に乗せた人と続きます。
甘酒は神様に奉納された後、参拝者にふるまわれます。
頭の盥(たらい)には豆腐田楽が並べられています。
川合市長も参列者として出席されていました。
参列者と甘酒の樽、田楽の盥(たらい)はそのまま社殿に入り、神事が執り行われます。
奉納される豆腐田楽。
神事に用いられる的と弓矢。
神事が執り行われている間に、的の設置も着々と進みます。
完成した的の大きさは約90cm×90cmくらい。
ユミトリ(総代)、ユミトリッコ、参列者が席に付いていよいよ矢が放たれます。
春、夏、秋の3つの季節の天候を占うために5人のユミトリが、季節につき3本の矢を放ちます。
まずは、一の矢。春の天候が占われます。
続いて、二の矢、夏の天候です。
最後は、三の矢。秋の天候を占います。
刺さった矢の数でそれぞれの季節の天候を読み上げます。
春は白が多いので晴れ、夏は黒が多いので雨、秋はまあまあの天気とのこと。
無事に弓取りが終わりましたので、豆腐田楽が参拝者にふるまわれます。
こちらでは、くらづくり本舗が奉納した「明治20年(あわ大福)」が配られています。
これは、明治20年、初代中野民五郎氏が古谷下老袋から当時の川越町で菓子屋を創業したことに由来します。
くらづくりのあわ大福
二樽の甘酒も無事に参拝者に配り終えられました。
4月11日の老袋の万作は土曜日。また、取材に来ようかと計画しています。
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