
梅雨の晴れ間に紫陽花を巡り、夜はホタル観察会〜川越大師喜多院ほか〜
街取材・記事 白井紀行
関東も先週に梅雨入りして傘が手放せない日々が続きます。
この時期にFaceBookやTwitterを賑わすのが紫陽花の花。
通い慣れた道をしっとりとした青や紫色に彩るこの季節ならではの花ですね。
川越にも数多くの紫陽花の名所があるので、その幾つかを巡ってみました。
また、この日は喜多院でホタルの鑑賞会もあったので合わせてご紹介します。
ちなみに平成30年のホタルまつりは6月16日(土)です。(2018/6/14追記)
http://events.koedo.info/event/180616hotaru/
川越八幡宮
喧噪に包まれるクレアモール商店街と並行し、静かで落ち着いた趣きの川越八幡通り。
その通りを北に向かい「まるひろ百貨店」が見えて来る辺りにあるのが川越八幡宮です。
紫陽花が参道を覆い尽くすというイメージがあったのですがちょっと違ってました。
朱塗りの柵の内側に満開の紫陽花を見つけることができました。
そして、全く意識していなかった駐車場に沢山植えられています。
こちらは日当りがいいのか、少し見頃を過ぎていました。
濃いめの紫系統の色が中心です。
川越八幡宮の見所は青や紫、そしてガクアジサイが咲き誇る階段の左右ですね。
押し寄せんばかりの紫陽花の海
手水舎の水口は龍を象ったもの、紫陽花を背景にしてみました。
紫陽花を自慢するかのごとく、どことなく「どや顔」の狛犬。
境内には夏の始まりを感じさせる2つのイベントが告知されていました。
ひとつめは、こども相撲大会。
年少から小学校4年までの子供たちが学年別にクラス分けされて戦います。
https://www.facebook.com/kodomozumou
そして、6月30日から始まるのが茅の輪くぐり。
「夏越大祓」とも云われ、夏を乗り越え無病息災を願う神事です。
川越大師…

21基の赤い鳥居は異空間へと導く扉の入り口!?〜篠田塚稲荷神社〜
街川越の中心街から見て西側に位置する石原町。
住宅街の中に出し抜けに目に飛び込んできたずらりと並ぶ赤い鳥居。
「篠田塚」という名前にも興味をそそられて立ち寄ってみました。
異空間へと誘うかのように続く大小様々の21基の鳥居をくぐり抜ける。
鳥居をくぐり抜けると狛犬ならぬ狛狐がお出迎え。
お賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らして、二拝二拍手一拝のお参り。
中の様子を見ると日常的に人が出入りしている雰囲気が感じられます。
無数に並ぶ狐の置物。そして、鳥居の下にご神体の鏡が置かれています。
拝殿の後ろに回ると小高く土が盛られており、これが「篠田塚」なのでしょう。
塚の頂上に本殿(内宮)がありました。
左右の動物はおそらく狐で、真ん中に壷のようなものが描かれています。
壷の左右からは煙のようなものが立ち上っています。
直ぐ横に石碑があり「篠田塚稲荷神社の由来」が記されていました。
※石碑の写真から文章を起こしていますので、もし、間違っていたらご指摘下さい。
当社は今を去る凡そ八百年前川越の大官篠田三郎行家この地に居住し館の屋敷内に稲荷神を奉安して大願成就七福即生七難即滅の御誓祠とせられた。爾霊光あらたかなること無限にして霊験六顕著である。古来世人崇敬して篠田塚稲荷神とあがめ奉り霊験を祈願して参拝する者たえず。昭和34年9月伊勢湾台風の余波より腐朽せる宮を大破したので直に信者相はかり此処に石造の内宮を再建し永久に御加護を乞い奉る。
昭和35年4月 祭主 室岡太孝 発願主 室岡 勝
文中の「七福即生七難即滅世」とは、七つの大難は即消滅し、七つの福が生まれるということ。
七つの福はいわゆる七福神のルーツで、800年も前から信仰されていたんですね。
石碑の背後には社が3つ。うち2つは真っ赤に塗られています。
向かって右側の社は扉が開放されていて駒狐が鎮座。
向かって左側には大小2つのお社。大きい方は扉が閉じられています。
境内にはもう長い間使われていない様子の手押しポンプ。
その下のバケツとともに錆が目立ちます。
右にある井戸は底が埋められておりその役目を終えています。
境内では紫陽花が色づき始め、鳥居の赤とのコントラストが美しい。
住宅地の中に突如と言う感じで現れる赤い鳥居の列。
「塚」とあったのでもしや古墳と思い立ち寄ってみましたがそうでもなさそう。
ネットで調べてみましたが石碑以上の詳しい情報は得られませんでした。
いつもの中心街へと入るルートをちょっと離れて見つけた「篠田塚稲荷神社」
ひとつ曲がり角を変えれば、未だ未だ知らない川越の姿が発掘出来るのかもしれません。
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天気のいい日は湖畔を散策しよう〜伊佐沼周辺の蔵巡りVol4〜
街埼玉医大での診察を終えての帰り、お昼ご飯までにはまだ時間がある。
天気も良いので何となく伊佐沼までブラブラと歩いていると蔵発見!
伊佐沼付近も旧家が多いので沢山残っているんですね。
という訳で、川越の蔵巡りシリーズVol.4の始まりです♪
奥に入って全体が見えませんが、青いトタン屋根がアクセントになっています。
窓も中央でなく正面から見て少し右に寄っているように見えます。
庇もほとんどなく屋根に温水器を付けたタイプ。
こちらは全体に大きめで1階の屋根もかなり立派です。
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ここから手紙を送ればうれしい返事が届くかも!?〜川越丸ポスト巡り〜
街電子メールやSNSでメッセージを送り合える時代。
今やハガキ・手紙・封書を送るのは年賀状、仕事、何かの応募くらいではないでしょうか?
そのとき郵便物を投入するポスト形は四角がほとんど。
でも、川越には未だ未だ丸ポストも健在なんです。
今日はそんな丸ポストを求めて街を散策してみました。
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4月29日開催!川越ハンドメイドの雑貨市〜スタンプラリールート〜
活, 街, 買新緑も美しく過ごしやすい季節となりました。
今週の水曜日、4月29日は昭和の日で祝日です。
この日、全90ブースが出店する「川越ハンドメイドの雑貨市」が開催されます。
http://shirotsumezakka.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
会場は小江戸蔵里を本部として15ヶ所の会場で全90ブースの出店です。
15ヶ所の会場を全て巡るか、9ヶ所+スタンプラリー協力店で買い物となります。
その会場を一足早く巡ってきましたのでお伝えします。
なお、スタンプラリーの用紙は本部となる小江戸蔵里と各会場で配布します。
ただし、配布枚数の関係上、蔵里で入手するのをオススメします。
JR/東武東上線川越駅
推奨ルートの出発はJR/東武東上線川越駅ですので、まずは、東口に出ます。
左手に曲がってアトレマルヒロを通ればクレアモール商店街の入り口に着きます。
「カラオケマック」が左手に見えたら
そこを右折して下さい。
Twelve
白い壁がおしゃれなHonor…

八重桜の咲き誇る境内で奉納された上戸の祭礼〜ささら獅子舞〜
子, 活, 街ソメイヨシノの花が散り、八重桜に主役が移った上戸日枝神社。
ここで4月19日(日)に上戸芸能保存会による「ささら獅子舞」が奉納されました。
(ちなみに同じ日に石原の観音寺でも「ささら獅子舞」が行われていました。)
鎮守御祭禮と祭礼を意味する奉納のぼりも掲げられています。
神主による祝詞の奏上。
上戸日枝神社の獅子は、女獅子、中獅子、大獅子の3頭。
享保3(1718)年の作で川越市内では最古の獅子頭だそうです。
奏上が終わったら獅子頭を身につけます。
参道をしずしずと進む一行。
そして、境内に描かれた円陣を回ったら定位置にスタンバイ。
上戸のささら獅子舞は、悪霊を追い払い境内を清める踊りから始まります。
次に黄泉の国との境を表す竿の下をくぐり抜けて行く。
篠笛の演奏に合わせて唄人が祭りを盛り上げます。
それに応えるように獅子頭の舞いにも熱が入ります。
天下泰平、国家安穏、五穀豊穣などを願う口上の読み上げ。
それを神妙に聞く仲立ち(蠅追い)と三頭の獅子
それに対するお褒めと御礼の口上のやりとりがされます。
写真右の被り物が「ささら子」と呼ばれ、手に持った楽器を演奏します。
獅子は腹に括り付けた太鼓を打ち鳴らす。
仲立ちが軍配と語弊を降ると、獅子頭はそれに合わせて飛んだり撥ねたり。
こうして、30分程で今年のささら獅子舞の奉納が終わりました。
その後は、獅子と一緒に撮影タイムが始まりました。
ささら獅子舞は関東地方を中心とした東日本に広く分布しています。
http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/3231/1/KH_026_2_001.pdf
二頭の獅子が一頭の雌獅子を巡るストーリー展開があるなど、地域毎に特色があります。
かつては一行が各家々を回り、村長にご馳走になって獅子舞で終わるものでした。
今は、上戸芸能保存会の方が伝承していますが、後継者不足に悩んでいるそう。
奉納の際に踊りの意味を解説していましたが、HPにあればより興味を引くかもしれません。
5月3日の川越春まつりでは、11時にまつり会館、12時に蓮馨寺でも披露されます。
石原のささら獅子舞も見られるそうですので、ぜひ、おいで下さい。
INFORMATION
奉納ささら獅子舞
【住所】川越市上戸316-1(上戸日枝神社)
【踊り】上戸芸能保存会

旦那さんに教えてもらい急遽行ってきました〜雪塚稲荷神社の例大祭〜
街我が家では、鰹節の代わりに中市本店のいわし節と決めています。
おひたしに振り掛けたり、納豆とまぜたり、ご飯と醤油でネコマンマにしたりと大活躍!
大人気の「ねこまんまおにぎり」にたっぷりと振り掛けてあるのと同じものです。
残り少なくなったので買いに行くと、旦那さんが「今日は神社でお祭りなんだよね」と呟く。
頭にピン!と来まして「雪塚稲荷ですか?」と聞くと「そうだよ」との答え。
昨年の12月に「長喜院&雪塚稲荷神社」を取り上げました。
http://koedo.info/141219-yukiduka/
その時に、例大祭の日が毎年4月12日とあったのを思い出したのです。
今日は別に予定があって10分位しか時間がないのですが、とりあえず駆けつけました。
だって、今日を逃したらまた一年後ですからね。
という訳でやってきました雪塚稲荷神社。
扉がすっかり取り外されていて、能舞台のような様相となっています。
こちらが普段の雪塚稲荷神社
普段はなかなか見れない神社の中。幕の後ろが気になりますね。
白いのは天狐の髪でしょうか?
お囃子が始まりました。
一番街の大通りまでは聞こえませんが神様に奉納できれば役目は果たすのでしょうね。
裏通りに入った人は、時ならぬお囃子に驚きながらも聞き入っていました。
ちなみに、次回、4月12日が休みの日に当たるのは2020年4月12日(日)。
平日は都内で仕事をしているので、取材ができない記者(T^T)。
今日、中市本店に行って例大祭の話しが出たのはまさに奇跡のタイミングでした。
INFORMATION
雪塚稲荷神社
【住所】川越市幸町5−8

日本三大奇襲のひとつ川越夜戦の地で猫と戯る〜東明寺〜
街観光客で賑わう一番街商店街をさらに北へ。
それまでの喧噪が嘘のように静まったところに、ひっそりと東明寺の参道があります。
時代を感じる川越市志多町という看板。
東明寺の近くにはこんなモダンな外観の建物も。
川越の歴史を語る上で欠かせない東明寺。
知名度とは裏腹に割とこじんまりとしたお寺です。
境内に入るとまず目につくのが「川越夜戦跡」の大きな石碑。
背後には、秋に美しく色づく大銀杏。
川越夜戦については、入り口にある案内板に説明があります。
川越夜戦跡
天文6(1537)年の戦いで北条氏綱に川越城を取られた扇谷上杉朝定は、再びこれを奪還すべく山内上杉憲政、古川晴氏と連合して総勢8万余騎を持って、天文14(1545)年10月に川越城を包囲した。
一方、福島綱成の率いる城兵は、わずか3,000人で立てこもっていたが、翌年(天文15(1546)年)春には既に兵糧も尽きて非常な苦戦に陥っていたところ、北条氏康が8,000騎を率いて猛攻撃を開始し、これに呼応して城兵も城門を開いて打って出たので東明寺寺口を中心に激しい市街戦となった。
多勢を頼んで油断しきっていた上杉・古川の連合軍は、北条氏の攻勢に耐えられず散り散りになって末山口に向かって敗走を始め、この乱戦のなかで上杉朝定は討死にし、憲政も上州に落ちのびたと伝えられている。
敵に比べて問題にならないくらい少ない兵力で連合軍を殲滅したこの夜戦は、戦略として有名である。
歴史を感じさせる本堂
境内社の稲荷諏訪天満宮三社
東明寺についても案内板から。
東明寺は、時宗(開祖一遍上人)の寺で稲荷山称名(いなげやましょうみょう)院東明寺と称し、本尊は虚空蔵菩薩である。
お寺の位置は、川越台地の先端が水田地帯に接する北の端にある。この辺りからは、新河岸川を境として川越の町の北側を入間川を主流とする分流が幾筋も流れ、水田地帯を形成しており、古くからこの穀倉地帯を領する多くの武士団が存在した。
東明寺は、こうした土豪の1人河越氏の庄園の東側に連なる広い寺領を有していた。その寺領は、東明寺村、寺井三か村、寺山村などに及び、広大な境内を有して、その惣門は今の喜多町の中程にあったと伝えられる。
このことから、喜多町の古名を東明寺門前町と称したと言われている。天文15(1546)年4月に戦われた上杉、北条軍の川越夜戦は、一名東明寺口合戦といわれ、この地の要路松山街道を含んだ東明寺寺領と境内で争われたものである。
当時は、今の様子から想像もつかないくらい、広大な境内だったんですね。
ご本尊は、「虚空菩薩像」で本堂に安置されているので普段は見ることができないようです。
名前の由来は、智慧と福徳を大空(=虚空)のように無尽蔵を持っているとのことから。
今は学問と福徳を授ける菩薩で、丑寅の人の守り本尊。毎月13日が縁日です。
本堂脇にある四面塔。
3面に2体のお地蔵様が、残る一面にはこれを造立した縁起が彫ってあります。
境内に訪れる人を静かに見守っています。
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今年の桜も終わってしまいましたね〜春の風物詩・誉れ桜と舟遊〜
街4月の第一土曜日は、川越氷川神社裏手の新河岸川で春の舟遊が開催されます。
乗船には整理券が必要で配布は終わっていましたのですが、終演を迎える桜を眺めてきました。
案内板の矢印に従って進めばすぐに新河岸川ですが、氷川神社に寄ってから行きましょう。
氷川神社の境内には桜は植えられていないのですが、参道には桜の枝が飾られていました。
新河岸川へ行くには本殿の横を通ります。
本殿の裏手には樹齢600年を超えるご神木があります。
周りには石段が組んであり、周りを巡れるように8の字に石段が組んであります。
この先が、新河岸川になります。
新河岸川に掛かる氷川橋。生憎の曇り空ですが、橋の上には写真を撮る人が大勢。
ここから見る桜はとても美しいのですが、少し散り始めたところですね。
この新河岸川沿いに咲く桜は、ソメイヨシノですが、誉桜とも呼ばれます。
案内板があったので、そこから引用します。
「誉桜(ほまれざくら」は市内、幸町の菓子舗「亀屋栄泉」の十九代目当主、中島良輔氏によって昭和32年300本の若木が川越市に寄贈され、ここ氷川神社裏から川越本丸御殿にかけての新河岸川河畔に当時の初雁中学校生徒達によって植えられたものである。
中島家によると、当初「戦勝桜」と命名すべく戦時中から500本ほどの桜苗を農家に依頼してあったというが、第二次世界大戦の結果多くの戦没者の名誉と慰霊の意味を込めて「誉桜」として植えられたもので、氷川神社境内にはその記念碑も見られる。
桜の種類は「ソメイヨシノ」。現在、約100本が毎年、水辺の桜花爛漫を堪能させてくれる。平成17年全国地域新聞39社による「ニッポンの桜だより」桜100選にも選定されています。
乗船場は氷川会館の裏手にあたります。
ちょうど乗船を終えて出発するところでした。
ゆるゆると川面を進む「ひらた舟」
向こうから来る舟とのすれ違い。
川面に浮かぶ桜の花びらの絨毯をかき分けるように進みます。
舟には乗れませんが、せっかくなので、川沿いを少し歩いてみましょう。
シートを敷いて本格的なお花見をする姿はそれほど見かけません。
先週位がおそらくピークだったのでしょう。
それでもお花見をするにはまだまだ十分ですね。
こうして見れば満開気分♪
川面に映る桜もまた目を楽しませます。
田谷堰までやってきました。
このレトロな雰囲気の橋と桜との組合せも川越の絶景ポイントのひとつ。
平成21年に川越を舞台にしたNHK連続小説「つばさ」のロケ地でもあります。
この木製のゲートを下げて新河岸川の水量を調整する仕掛けになっています。
田谷堰の上に登ってみました。
「つばさ」では、母と子が和解する名シーンで、ここではなんとサンバが踊られました!
川面からだと結構な高さを感じますが、ここから、美しい誉桜を眺めることができます。
川越春まつりの併催事業として、新河岸にある旭橋でも4月29日にひらた舟乗船体験があります。
参考)川越春まつり併催事業チラシ
かつて舟運で栄えた川越の雰囲気を味わいに出かけてみてはいかがでしょうか?
関連記事:新河岸川河岸場跡と新河岸&南田島付近の蔵巡りVol.3
http://koedo.info/150206shingasi/