妖怪と川越の街を楽しむ!『川越妖怪まち歩き』イベントレポ~後編
カワゴエ・マス・メディアでは、川越市市政施行100周年記念事業として、「川越妖怪まち歩き」を企画し、4月30日土曜日に第1回目を開催しました。
スタンプラリーについて主に書かせていただいた前編はこちらから読むことが出来ます!
全3回開催したガイドツアーにはたくさんの皆さんにご参加いただき、各回15名を目安にしていましたが、どの回も定員をオーバーするほどの人気ぶりでした。
大盛況のうちに終了したガイドツアー
【コース】Hatago COEDOYA→立門前通り→大正浪漫夢通り→鐘つき通り→稲荷小路→川越まつり会館→雪塚稲荷神社→蓮馨寺→Hatago COEDOYA
【所要時間】約1時間10分
【参加者】51名(1回目10:30~18名、2回目12:30~17名、3回目14:30~16名)
また、ツアーコンダクターに仙波書房の神谷利一さんをお迎えし、アシスタントはカワゴエ・マス・メディアのラジオで活躍中のマツモトケイコさんが務めました。埼玉県出身のマルチタレント、大野ひろみさんも3回のツアーに同行と、超豪華な顔ぶれでした。
神谷さんのお話をもとにした、妖怪ツアーガイドダイジェストを今回はお届けします。
Hatago COEDOYAを出発!
ツアーは、Hatago COEDOYAを出発。スタンプポイントの「まことや」へ立ち寄ります。
その後すぐ、大正浪漫夢通りと立門前通りの交わる交差点の角にある、大野屋洋品店の建物について木造であることや、洋風建築と上から飛び出ている和の屋根瓦を組み合わせた貴重な建物であることの説明がありました。
そして一行は、大正浪漫夢通りへ。今の時期は、端午の節句にちなんでたくさんの鯉のぼりが通りを賑わせています。
大正浪漫夢通りには、スタンプポイントの川越タルトでおなじみ「川越堂」、もちっ娘バナナジュースで有名な「真南風」もあります。
古き良き大正時代を思わせる建物が並んでおり、シマノコーヒー大正館、うなぎの小川菊、イタリアンのウッドベイカーズなどが有名どころでしょう。
大正浪漫夢通りは、昔は旧川越銀座商店街として賑い、1961(昭和36)年には県内初のアーケード街となっていましたが、1995(平成7)年にアーケードが撤去され、商店街をあげて大正浪漫の街づくりに取り組んできました。
川越にはワクワクするような昔の建物がいっぱい!
通りの北の入り口にある川越商工会議所で記念撮影を行ったあと、一行は旧山崎家別邸へ向かって進みます。
【旧山崎家別邸】旧山崎家別邸は、川越市川越伝統的建造物群保存地区の東に位置し、川越の老舗菓子屋「亀屋」の五代目である山崎嘉七氏の隠居所として1925(大正14)年に建てられました。木造モルタル仕上げの洋瓦葺の洋館と数寄屋造りの和室を備えた和館で構成された和洋折衷の母屋、広々とした庭園、我前庵の写しの茶室を備えています。
ここでの見どころはなんといってもステンドグラスと茶室。階段の踊り場に据え付けられたステンドグラスは、「泰山木とブルージュ」という作品で、カラフルな鳥が特徴です。建物内部には他にもいくつかステンドグラスの装飾が施されています。
また、茶室は、設計者の保岡勝也氏が遼廊亭の写しで造ったものです。織田信長の弟 長益(有楽斎)が造った茶室「如庵」。
その後、尾形光琳がこの如庵の写し 遼廊亭を造り、京都仁和寺に移築しました。つまり旧山崎家別邸の茶室は如庵の写しであるということです。
参加者と妖怪の皆さんは、興味津々に話に耳を傾けていました。
【中成堂歯科医院】その後、一行は同じ通りにある中成堂歯科医院前へ。この建物がたびたび違う色に塗り替えられていることや、ロケ地としても仮面ライダーなど多くの番組に使われていることの説明がありました。以前はラベンダーピンク色だったそうです。
建物は1913(大正2)年に建てられた洋風建築で、木造2階建て延べ135平方メートル。
外壁はイギリス下見板張、屋根は天然の石板(スレート)でふき、1階の窓は両開き窓、2階は上げ下げ窓になっています。
混雑している人気スポットを横目に見ながら…
その後、一行はglin coffee東洋ビル店でスタンプを押した後、川越のシンボルである時の鐘を横目に見ながら、観光客で大変混雑した街中を抜けていきます。
現在の時の鐘は、明治26年の川越大火の後再建されたもので、6時、12時、15時、18時の1日4回、今も市民に時を告げています。
おさつチップスのインスタ映えで有名な「小江戸おさつ庵」の行列の横や、あぶり珈琲の前を通過し、一行は「スカラ座」と「太陽軒」についての簡単な説明を受けた後、稲荷小路へ入って行きます。
【稲荷小路・しあわせ稲荷】稲荷小路の北側は、昔は酒蔵だったという話に、参加者と妖怪の皆さんは興味深く聞き入っていました。
なるほど、建物には確かに酒蔵の面影が残っていますね。稲荷小路にはわずか百メートルほどの道の脇に、うどん、蕎麦、お寿司の店が軒を連ね、「しあわせ稲荷」という神社もあります。「蔵造りの街並み」から少し入った路地なので、川越観光初心者にはなかなか気づきにくい通りかもしれません。
ガイドツアーもいよいよ後半へ!
一行は次の目的地、最後のスタンプポイントでもある川越まつり会館へ。いよいよガイドツアーもヤマ場です。
一行は川越まつり会館から、メーンストリートの道路を挟んで向かい側にある、重要文化財・大沢家住宅の説明を受けます。
【重要文化財・大沢家住宅】重要文化財である大沢家住宅は、1792(寛政4)年、呉服太物を商っていた西村半右衛門(近江屋(おうみや))が建てたものであり、明治26年の川越大火の時も焼け残りました。
大火の際に焼け残った建物が伝統的な工法による蔵造り建物であったことに着目したため、川越商人たちは競って蔵造りの建物を建てました。同じ惨事を繰り返さないよう、建物そのものを防火建築にすることを考えさせるきっかけになった建物が大沢家住宅だったのです。
川越には狐の祟りの伝説があるって、本当?
【雪塚稲荷神社】雪塚稲荷神社は、陶舗やまわの隣にある参道を入った長喜院山門のすぐ右手にあり、1823(文政6)年に起きた町民による「白狐打ち殺し事件」で殺し食べられた狐の祟りを静めるために建てられた社です。その狐を食べた若い衆はたちまち熱病にかかり、毎夜大きな人魂が街に現れる様になりました。
町の人たちは長喜院の境内に社を建て、白狐の皮と骨を埋めて塚を築きました。それが雪の降る日だったことにちなみ「雪塚稲荷神社」と名付けたそうです。
1980(昭和55)年、社殿を改修する際に床下を壊したところ、「雪塚稲荷神社遺躰」と刻まれた石板が発見されました。それは「白狐打ち殺し事件」が本当にあった話であることを裏付けるものでした。
いよいよガイドツアーも大詰め!
【旧埼玉りそな銀行川越支店】そして一行は川越のランドマーク的な存在ともいえる、旧埼玉りそな銀行川越支店前へ。1918(大正7)年に旧国立八十五銀行本店として建てられ、国の登録有形文化財の指定を受けています。設計は旧山崎家別邸を手掛けた保岡勝也氏です。外観の見学は自由ですが、建物内部の見学は行っていません。
【松本醤油商店】松本醤油商店の前身である「横田屋」は武州川越藩の御用商人として知られた豪商でした。横田家が川越鴫町(現 川越市仲町)にて酒醸造業の権利を譲り受け、この地で酒、醤油、味噌の醸造業が始まった「明和4年」を、松本醤油商店の創業の起源としています。
1889(明治22)年、松本家初代新次郎、横田家の醤油造り・蔵を引き継ぎ、名称を松本醤油商店と改めました。なお川越大火で町の三分の一が焼失した際、店蔵・醤油蔵共に大火を逃れています。江戸時代に建てられた醤油蔵は、川越市の都市景観重要建築物にも指定されています。
醤油蔵のある敷地には、川越では珍しい白漆喰の店蔵「醸ん楽座」もあり、こだわりの醤油や調味料、漬物などを購入することが出来ます。
※混雑を考慮したルート変更の関係で、松本醤油商店に立ち寄ったのは2回目、3回目のツアーとなります。
そして、ツアーの最後に、蓮馨寺前で「川越を歩くと明治(蔵造りの街並み)・大正(大正浪漫夢通り)・昭和(中央通り)の各時代へタイムトラベルに出かけたような感覚が味わえる」と神谷さんからお話がありました。
なるほど、川越のことを知れば知るほど街歩きが楽しくなります。
ゴール地点のHatago COEDOYA前では、河童の小次郎さんが私たちをお出迎え。
スタンプラリーや妖怪コレクション、ガイドツアーに参加してくださった皆さんお疲れ様でした。
また、川越のマチで私たちを見て面白そう!と思ってくださった方は7月、10月にもイベント開催予定ですので、ぜひお誘いあわせの上お越しくださいませ。
次回は7月に同じく妖怪にちなんだイベントを予定しております。私たちも今回の反省をもとに、いっそうパワーアップしてまいります。
また皆さんにお目にかかれる日を楽しみにしております!(カワゴエ・マス・メディア&妖怪屋 スタッフ一同)
Information
【主催】NPO法人 カワゴエ・マス・メディア
【概要】https://koedo.info/220430kawagoeyokai/
【企画】妖怪屋(相田) ☎️ 090-6509-5822 ✉️ Kazunari.Aida@Gmail.Com
【妖怪屋HP】https://youkaiya.jp/
【散策マップ】