室町時代へタイムスリップして川越の伝説に触れてみる〜広済寺〜
蔵造りの街並を北上して札の辻を過ぎると、それまでとは打って変わって静かな通りとなります。
ここは喜多町。かつては、札の辻を境に北町と南町(今の幸町)と呼ばれていました。
そんな通りに静かに佇むのが、室町時代1548年(河越夜戦の2年後)に創建された広済寺。
河越の武将 大導寺駿河政繁が菩提寺として建立しました。
本堂の建物や彫り物に歴史と風格を感じます。
現在の建物は享保年間(1716~35)の火事で焼けた後に黙元和尚が再興したものです。
470年あまりという長い歴史を刻んだお寺ですので、数々の伝説があります
山門をくぐり抜けて直ぐ右手にある小さなお堂。
ここには2体のお地蔵様が祀られています。
咳地蔵尊(おしわぶきさま)
お堂の正面から見て右側のお地蔵様は、咳地蔵尊(おしわぶきさま)。
荒縄に巻かれてぎょっとしますが、こんな伝説があります。
ある夜喜多町に住んでいた浪人が家に帰ると石仏が置かれていましたので、お寺に納めました。その石仏に長年風邪を煩っていた棉屋の娘が、願掛けの証拠と して荒縄を巻いて100日の間日参したところすっかり良くなりました。それが、評判となり百日咳や風邪で苦しむ人が同じように荒縄を巻くようになったそう です。治ったら縄を解き、お礼とてお茶やコンペイ糖を納めます。(川越市教育委員会発行の「川越の伝説 P44しゃぶきばばあ」より抜粋)
無腮地蔵尊(あごなしじぞうさま)
その隣りにあるのが無腮地蔵尊(あごなしじぞうさま)。
見ての通り下顎(したあご)がありません。
歯が無ければ歯痛も無いということで、虫歯の人がお参りすると霊験があるとされています。
天狗様
境内にそびえる高い杉の木。
ここには、天狗様の伝説があります。
川越の町が蔵造りの街並となる前の広済寺は古木が生い茂りうっそうとしていました。その中にひときわ高い杉の老木があり、そこに天狗が住んでいて火事が起こると羽根うちわをあおいで防いでくれる」と云われています。(川越市教育委員会発行の「川越の伝説 P42広済寺の天狗様」より抜粋)
写真は撮っていませんが、広済寺の門に刻まれた天狗の羽うちわがあります。
そのほかの見所
山門にも風雪を耐えた立派な彫刻をみることができます。
境内にはの左手には航海安全・祈雨の神さまが祀られている金毘羅堂があります。
本社は香川県にある金刀比羅宮です。
この他、墓地には牢屋地蔵、川越の地誌「三芳野名勝図絵」三巻を著わした中島孝昌の墓。
水戸藩十九烈士埋葬地となっており位牌が奉納(見ることはできません)されています。
この広済寺の先は、河越夜戦の激戦地となった東明寺。
蔵造りの街並を楽しんだ後は、ちょっと足を延ばして歴史に触れてみては如何でしょうか?
WRITER NORI
INFORMATION
広済寺
【電話】049-222-0105
【住所】川越市喜多町5-1