川越の民俗芸能を日本へそして世界へ発信!〜石原のささら獅子舞(レクチャー公演)〜

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取材・記事 白井紀行

 

川越では多くの民俗芸能が各地で受け継がれています。

ウェスタ川越ではそういった民俗芸能を紹介する公演を2015年から開催。

今年は「石原のささら獅子舞」が演目として選ばれました。

 

小ホールに入ると右手には衣装展示がされていました。

この公演には川越の伝統芸能を日本や世界にSNSで発信する目的もあります。

 

13時30分の開場とともに観客が入場。小ホールは満席となりました。

「ささら獅子舞」への関心の高さが伺えます。

 

会場の照明が落とされ、昨年の様子を記録した映像が始まりました。

 

「石原のささら獅子舞は慶長121607)年に始められたと伝えられ、寛永111634)年川越城主酒井忠勝が若狭小浜に国替えの際、雌雄2頭と舞人を伴ったため中断したが宝永61709)年に太田ヶ谷(現鶴ヶ島市)に習って復活したと伝えられる」。

歴史や天狗や山伏の役割、祭事の流れなどがまとめられていて理解が深まります。

 

ささら獅子舞の演舞

背後から法螺貝が鳴り「ささら獅子舞」の行列が入場。

 

笛の音とともに観客の間を通り前方のステージへと向かいます。

 

ささら獅子舞の演舞が始まりました。

 

この公演は写真や動画撮影がOK。

皆んなが一斉にカメラ、スマホ、ビデオを構えます。

 

1回の舞は一庭(ひとにわ)と数えられ、12切りという12の場面があります。

大きな区切りが終わると大きな拍手が送られます。

 

第9場面はささら獅子舞の見所、雌獅子隠しの乱舞。

大きな拍手とともに一庭の演舞を終えました。

 

江田会長の挨拶

演舞の後は「石原のささら獅子舞保存会」の江田会長がステージへ。

「石原のささら獅子舞は慶長121607)年に始められたと伝えられ、ひとり立ち三頭形式の獅子舞で関東地方から東北地方にかけて広く分布しています。川越の由緒ある獅子舞をごゆっくりご覧ください。」と挨拶されました。

 

スライドショー

照明が落とされて貴重な絵や写真が映し出されました。

 

三澤氏による解説(よもやま話)

スライドショーが終わると保存会の三澤氏による解説。

ささら獅子舞に関する数多くの資料の中から、かいつまんだよもやま話です。

 

石原のささら獅子舞の始まりや、神社でなく観音寺というお寺で行う由縁。

そして、入り口近くに展示してある衣装についての話しがされました。

こちらは山の神が着る古代肩衣の背面。

立体的な唐獅子牡丹は刺繍で、これはもう作れないそうで文化財級。

当時の人たちの財力の高さが伺えます。

 

こちらは子どもらが身につける衣装。

左が女の子が着るもので絹、右が男の子が着るもので真岡木綿で出来ています。

今の衣装は30年前に作り変えたもの。一番細い絹糸を使った反物を使っています。

現在は、反物も入手が難しく刺繍の代わりに生地を買って縫製にしているそう。

 

舞だけでなく、衣装や小道具に到るまで守り続けていかねばならない。

民俗芸能を続ける大変さがわかります。

 

獅子の舞は元々は旦那さんの道楽で浮立(格好付け)の踊り。

太鼓踊りに囃子を付けたのが始まりで、それが農村で発達したと考えられる。

旦那衆の端唄などの洒落者を取り入れていること。

石原のささら獅子舞では雌獅子隠しで先獅子と後獅子が争ったあと仲良くなる。

初めから終わりまでドラマ仕立てにしているのも見所ですと結びました。

 

体験コーナー

続いては、普段は触れられない獅子頭などを身につける体験コーナー。

ちなみにこの獅子頭、作り変えた記録が無く310年前に寄贈されたそのものだそう。

 

獅子を持つと想像以上の重さに驚きの感想

「頭だけでなく体全体を使わないと触れないんです」と解説が入ります。

 

こちらの女性からは獅子舞の角についての質問。

角は雄の先獅子、後獅子にあり自分を誇示するもの。もっと長い地方もあるとか。

 

獅子頭を体験した方との記念撮影タイム。

獅子舞の踊りには、子どもの悪魔払い、安産、子育て祈願も込められています。

 

続いては、獅子が身につける太鼓の体験。

みなさんシャイなのかなかなか手が上がりません。

 

石原町で民泊を営む恵比寿屋の溝井さんが手を上げて挑戦。

太鼓の叩き方を教えてもらいポーズを決めていました。

 

簓(ささら)と言われる日本最古の楽器。

青竹が多く使われますが石原の簓は竹に漆を塗り牡丹の絵柄が描かれています。

 

簓は36に割ったささら竹と12の刻みを付けたささら子を擦り合わせて音を出す。

この数字には山岳宗教や仏教の教えが凝縮されています。

 

花笠についての解説。背面に座布団が付けてあり元々は頭に被るものでした。

しかし、石原町では舞を踊るのは旦那衆でささらっ子は大事なお嬢さん。

頭に重いものは乗せられないと経済が発展した江戸後期からは持ち役ができました。

 

ささら獅子舞はかつては1時間ほどの舞でしたが今は25分くらいになっています。

花笠を持つのは余所から来た人やお婿さんの役割でした。

交代はおらず1時間持ちっぱなし。簡単だけど大変な作業を新参者に割り当てる。

これによって仲間に迎える習わしがあったそうです。

 

観客から花笠の上についた飾りについての質問が出ました。

飾りは太陽(日輪)と月。花笠の下のささらっ子は祭の日は神様になります。

桜が満開の大草原で踊っていることを想像してもらえればとのことです。

 

獅子になる3人の踊り手と山の神が登場して着替えの様子を解説。

 

これは手首足首に付けるピンコロというもの。

「ピン」は新しい「コロ」は頃合いまで魔よけの役割があります。

 

手甲の上に巻きます。歌舞伎の流行りを取り入れたという説もあるとか。

 

山の神の衣装は50年位前は11〜12歳の男の子が着ていました。

今は体格が良いので着物の大きさ、袴の長さは8〜9歳が合うのだそうです。

 

背中をくるりと向けると唐獅子牡丹。

司会に「重いですか?」と聞かれると「軽いです」と会場の笑いを誘っていました。

 

獅子頭にはクッションとして藁が詰められています。

これが無いと頭が痛いのだそう。踊り手の交代の度にさらに詰め込みます。

 

獅子頭は大きく振り回すので2〜3人がかかりでガッチリと固定。

喋れないくらいきっちりと締めるので翌日は顎が痛くなるそう。

 

水引を被せて獅子が完成しました。

 

踊り手は水引で全く前が見えない状態で踊ります。

 

神様に仕えるため、お神酒で身体を清める。

この後、拍子木が打たれ舞の準備ができたことが告げられます。

 

ささら獅子舞の演舞(半庭)

 

ささら獅子舞では一庭半を舞ってその日の祭事を終えます。

これは半庭を翌年に残すという意味があります。

 

山の神が回ればそれに合わせてゆったりと回る三頭の獅子。

踊りの緻密さ、優雅さに改めて感動させられます。

 

半庭が終わって終演、観客からは惜しみ無い拍手。

「石原のささら獅子舞」を続けてきた人々の思いを感じられたのでは無いでしょうか

 

「千秋楽の〜♪」と終わりを告げる唄

 

保存会の内田氏から観客やウェスタ川越のスタッフ、裏方へのお礼。

今年は陰まつりで4月14日(日)に観音寺で行われることを案内。

 

最後は、祭礼が無事に納まったことを祝って全員で手締め。

シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャンと川越ならではの7つ締めです。

 

今年の「石原ささら獅子舞」は4月14日(日)に石原町の観音寺で行われます。

400年以上も伝承されて来た民俗芸能を見に、是非、お越し下さい。

カワゴエ・マス・メディアでも当日の模様を取材する予定なのでお楽しみに!


INFORMATION

石原のささら獅子舞(レクチャー公演)

【開催】平成31年2月11日(月・祝)14:00〜16:00

【場所】ウェスタ川越小ホール(川越市新宿町1-17-17)

【主催】ウェスタ川越 指定管理者NeCST(ネクスト)

【出演】石原のささら獅子舞保存会

【FB】https://www.facebook.com/石原のささら獅子舞