今まで知らなかった川越の歴史を知ろう!~5月の宴『青山にあり』
2022年5月28日(土)14時から、4月に薩摩琵琶の演奏会を開催した松山陣屋顕彰会が、ウェスタ川越でワークショップ形式のイベントを行います。
タイトルは「5月の宴 『青山にあり』」。
どんなイベントなのかというと、川越城家老詰所にある床の間の掛け軸を通じ、家老たちの顕彰を行うものです。もっと分かりやすく言うと、たぶんこうだったんじゃないかということまで想像し、当時の家老たちに思いをはせながら、幕末から明治維新にかけての川越の歴史を紐解いていく、そんな楽しいワークショップです。
~江戸の北の守り、川越17万石をしのぶ~
川越城は、1457(長禄元)年に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。
戦国時代が終わり江戸の世になっても関東の要所として存在感を示した名城であり、2006(平成18)年に「日本100名城」の一つに選ばれ、東日本で唯一残されている本丸御殿としても知られています。
川越城は、川越の歴史を語る上で欠かせない存在であり、明治以降、建物の移築・解体が行われたために本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残されており、一般公開されています。そして訪れる人たちに川越の歴史を伝え続けています。
川越城の「家老詰所」に座っているのは誰?
家老とは、日本にかつてあった大名家の役職の一つで、武家の家臣団の中でも最高の地位にあった役職です。複数人おり、合議によって政治・経済を補佐・運営していました。
川越城の家老詰所で上座に座っているのは、川越藩(幕末の上野国前橋藩)筆頭家老 小河原左宮(こがわら・さみや)です。 左宮は、飛び地領の上総富津で旧幕府の脱走軍に陣屋を包囲されて武器・金品引き渡しの要求をのみ、1868年、千葉県の富津陣屋で自刃しました。
ワークショップでは、3人の家老はいったい何者なのか、この頃の時代背景、後ろに掛けられているお軸は家老たちとどんな関係にあったのか、また家老たちの思いまで紐解いていきたいと松山陣屋顕彰会主催の高島倫子さん。
前橋藩松山陣屋付藩士は、幕末の1867(慶應3)年までは、川越城に約100年間、士官していました。前橋藩に移る直前の藩主をとりまく環境については痕跡が少なく、はっきりとした事実はわからない点も多いとのこと。
松平直克の掛け軸
川越城家老詰所の床の間には、11代藩主松平直克(なおかつ)の軸がかけられています。
軸には「家青山に在り、道自ずから尊し」と書かれています。これは恐らく、直克が漢詩の内容に共感し、それを引用して書いたものではないかと推察されています。その言葉の意味を、ワークショップで紐解いていこうというのが今回のイベントの趣旨の1つとなっています。
今まで知らなかった川越の歴史を知ろう!
今回のワークショップは、前橋藩松山陣屋資料館(2023年1月開館予定)館長であり、松山陣屋顕彰会主催の高島倫子さんが主催となって開催されます。参加者の皆様には川越の幕末から明治維新にかけての時代をより身近に感じていただきたい、と高島さん。
この機会を楽しんでいただくため、会場ではお抹茶をご用意する予定です。なお数に限りがございますので、ワークショップは定員になり次第応募は締め切りとさせていただいております。
川越市市制100周年をきっかけに、今まで見たり歩いたりするだけでは知ることのできなかった川越の歴史を紐解き、新しい発見をしてみませんか。ワークショップは、幕末好きな方はもちろん、歴史に詳しくない方でも興味があればどなたでも楽しめる内容です。ぜひ、面白そうだと思われた方は、参加申し込みされてはいかがでしょうか。皆様のご参加をお待ちしております!