子ども達の健やかな成長を願って〜川越祭りばやし(今福菅原神社 春祭礼)〜
川越市今福にある今福・菅原神社。菅原道眞公と大己貴命が祀られています。
松平信綱が武蔵野新田の開発責任者として上奥富村(現狭山市)の志村次郎兵衛を任命。
その際に、志村氏が地元の梅宮神社を勧請して今福の鎮守として承応元(1652)年創建。
ほぼ川越まつりと同じ歴史を重ねてきたことになります。
入り口の柵の後ろに「川越祭りばやし」に関する案内板がありました。
今福の祭ばやしは「芝金杉流」。川越まつりでは六軒町の山車に乗るとあります。
詳しくは、川越市のHP 『県指定文化財 川越祭りばやし』(←クリック)にて
今日伺ったのは4月15日に開催される菅原神社春例祭。
10時ごろ到着すると集会所に人は集まっているものの準備中のようす。
15時ごろに神職の方が来られると聞きましたが、お昼頃からは何らかの動きがあると予想。
この近辺を散策しつつ、ちょくちょくと覗きに来ようと今日の行動を決定。
拝殿と本殿
まずは、今福菅原神社を参拝。
拝殿には式典のために胡床(いす)や太鼓、幣(ぬき)、三方などが並べられていました。
ちょっと失礼して中を拝見(もちろん、拝殿には上がってません(^^;)
人形用の着物でしょうか?
地域の総鎮守として歴史を重ねてきたことがわかります。
昭和17年9月1日 新聞配達5周年記念 福原青年団 今福下区団とある写真。
本殿は祭礼のために開けられ、幣殿にはカーペットが敷かれていました。
今福菅原神社の境内社
神社内には幾つかの境内社があるので一巡り。
石造りの階段を上がって、ちょっと高台にあるのが「冨士浅間神社」
その隣に川越市長名で温故知新の書かれた石碑。
火伏せ・防火のご利益のある愛宕神社。
秩父にある三峯神社。
稲荷神社
琴平神社は、本殿が覆われています。
今福菅原神社を正面から見ると天に向かって伸びるモミの木。
道路を挟んだ高台にも末社となる祖霊社があります。
その背後には木漏れ日が差し込むよく手入れされた森が広がっていました。
隣接して天台宗梅雲山明見院があります。
境内には川越百選にも選ばれた枝垂れ桜(中院から苗を移植したとあります)。
詳しくは「#76 今福明見院のしだれ桜」(←クリック)
かつては小学校があったことを示す石碑。
境内には榧(かや)の木、根元には馬頭観音の石仏。
弘化3(1848)年に十一面観音堂が消失した際にその身を持って本堂を守護したそうです。
川越まつり囃子
ランチを食べたり周辺を散策していて14時前に今福菅原神社に到着。
今福囃子連によるお囃子がすでに始まっていました。
川越のお囃子には幾つかの流派がありますが、今福囃子連は「芝金杉流」。
落ち着いたゆったりとした感じのお囃子です。
やがて舞殿の周りに子ども達の姿を見かけるようになりました。
獅子に頭を噛んでもらう子ども達。
何度も何度も楽しそうに噛んでもらっています。
演者は何度か入れ替わりますが、
再び、獅子が登場してくると子ども達はヒートアップ。実に嬉しそう。
いつしか境内には多くの父兄が集まってきました。
祭礼
時間となり、今年、小学校1年生となった子どもたちは拝殿の方へ、
ドン、ドンと太鼓が打ち鳴らされ祭礼が始まります。
神職のお祓い、参列者と子供たちのお祓い、境内にいる父兄にもお祓いが行われました。
本殿にお供え物を奉納します。
そして、祝詞があげられます。
境内で式典が終わるのを待つ父兄ら。
祝詞が終わり、神職が本殿に向かい二礼二拍手一拝。
参列者、氏子がそれに続き
最後は、子供たちが神様に二礼二拍手一拝です。
全員でお辞儀をして式典は終了しました。
ドン、ドンと終わりを告げる太鼓が鳴らされます。
子ども達にはノートなどが入った記念品が配られました。
再び始まったまつり囃子。
しばらく、まつり囃子を見学していましたが、やがて、三々五々解散。
すっかり人が去った境内、
まつり囃子だけが静かに流れます。
これから先もずっと毎年4月15日には、まつり囃子が境内を包み歴史を刻んでいくことでしょう。
子ども達の健やかな成長への願いとともに…。
取材・記事 白井紀行
INFORMATION
今福菅原神社 春祭礼
【日時】毎年4月15日14時ごろから
【場所】今福菅原神社(川越市今福673)
【HP】県指定文化財 川越祭りばやし