地域で受け継がれる新春の祝い行事〜南大塚の餅つき踊り〜
厳しい寒さとなった1月8日(日)
南大塚にある西福寺で県指定無形文化財「南大塚餅つき踊り」が行われました。
餅つき踊りは、一つの臼を数人で囲み踊りながら餅をつく郷土芸能。
かつては北足立から入間地方にかけての米作地帯に広く行われていました。
現在では、大宮、桶川、東松山、そして川越などでのみ伝承されているのだそうです。
南大塚自治会や南大塚餅つき踊り保存会の方々の挨拶
蒸されたばかりのもち米が臼に投入されました。
餅つき踊りは、ナラシ・ネリ・ツブシ・6テコ・3テコ・アゲツキ。
この六つの所作が唄と合わせて連続して行われます。
最初は、餅を馴染ませる「ナラシ」。
続いて、杵を横に動かしてもち米を潰す「ネリ」
ハア、ヤレ押せそれ押せの合いの手が入る。
時折、餅を返したら
「ネリ」の所作が再び行われる。
6人が杵を振り下ろして杵を振リ降ろす「ツブシ」
いよいよ「3テコ」「6テコ」の工程へ。
まずは、中学一年生の3人による餅搗き「3テコ」。
「3テコ」は3人による曲つき。
唄に合わせて杵を股の間に通したり、杵の縁を叩いたりと様々な技があります。
2人ないし3人づつが組になって交互に搗く「6テコ」
そして、「3テコ」へと3拍子のリズムで搗き手は次々と入れ替わっていきます。
しばらく、その妙技をご覧ください。
最後の工程は最後は3人で並んで搗く「アゲツキ」
同時に杵を振り下ろす所作を数回繰り返します。
1回目の餅が搗きあがりました。
最初の餅は、鏡餅として隣りの「菅原神社」に奉納されます。
こちらが西福寺の隣のある菅原神社。
この日は拝殿の扉が開けられ本殿を拝見することができます。
2回目のもち米が臼に投入されました。
もち米を馴染ませる「ナラシ」
杵を横に動かす「ネリ」
6人が一斉に杵を振り下ろす「ツブシ」
軽快な3拍子とともに「3テコ」
「6テコ」と唄とともに搗き手も掛け声を出しながら餅を搗きます。
餅を高く上げて臼に叩きつけるように投げ入れる。
「アゲツキ」を行って2回目のお餅も搗きあがりました。
2回目のお餅も搗きあがりました。
3回目の餅搗きの「3テコ」では、親子三代による競演も披露。
2回目、3回目に搗かれたお餅は一口大に分けられ見学者に振る舞われます。
記者も列にならび、搗きたてのきな粉餅をいただきました。
‖ 引き摺り餅
「南大塚の餅つき踊り」の始まりは幕末の安政時代と云われています。
大正時代までは、長男・長女の7歳の「帯解きの祝い」としての祝福の行事でした。
餅つき踊りは、大正末期から第二次世界大戦頃までは中断し、戦後に再開。
現在では、餅を搗く場所は個人の家から西福寺境内に代わりました。
「引き摺り餅」も西福寺から菅原神社へ臼を引き摺る形で受け継がれています。
「引き摺り餅」も工程は同じ。
「めでためでたが三つ重なれば」の歌に合わせての「ナラシ」
体を前後に大きく揺らす「ネリ」
6人でタイミングを合わせて杵を振り下ろす「ツブシ」
臼を引き摺る前に、来年参加する予定の小学生による餅搗き体験。
お母さんと一緒に餅搗き♪
杵を振り下ろしてその重さを実感、みんな楽しそうです。
提灯と鏡餅を先頭に、紅白の曳き綱がみんなの手でゆっくりと曳かれます。
ズズッ、ズズッと進む臼。
西福寺を出発した行列は、菅原神社の参道へと進む。
その間も餅つき踊りは続けられています
地元の人が綱を引く行列は、まるで、川越まつりの山車曳きのように思えます。
舞殿の前まで臼が運ばれてきました。
紅白の綱が臼から外されて円陣へと変わります。
最後の「3テコ」「6テコ」
技にも力が入りよりダイナミックな動きへ。
円陣をいっぱいに使って、さまざまな技が披露されます。
ヨイショと「アゲヅキ」が行われ、今年の餅つき踊りも無事に幕を下ろしました。
丁度、搗き終わったところで雨が降っていました。
天の神様も行事が終わるのを待っていてくれたんですね。
今年もこういった地域の伝統行事を数多く紹介できればと思います。
取材・記事 白井紀行
INFORMATION
南大塚の餅つき踊り
【日時】平成29年1月8日(日)12:30〜
※成人の日の前日の日曜日に開催されます。
【場所】西福寺(川越市南大塚2-3-11)
【問合】教育委員会 教育総務部 文化財保護課 管理担当
【電話】049-224-6097(直通)