3拍子で舞い踊り餅を搗く、受け継がれる伝統〜南大塚の餅つき踊り〜
真冬とは思えない陽気だった1月10日(日)。
南大塚にある西福寺で県指定無形文化財「南大塚餅つき踊り」が行われました。
大会前のひととき、杵の重さを体験。
自治会長や保存会の方の挨拶。
臼には注連縄が張られ、浄めの塩が盛られています。
せいろで蒸された5Kgのもち米を臼に投入。
搗き手は杵を持ってスタンバイ。
餅つきというと杵を振り下ろす場面が浮かびますが、その前に3つの工程があります。
まずは、餅を馴染ませる「ならし」。
やれ押せ、それ押せという唄に合わせ身体を大きく前後に揺らしてもち米を潰す「ねり」
唄い手が工程に合わせた唄を響かせます。
右の青い法被を着ているのはこの地区の中学一年生。
昨年の秋から練習を重ねてきました。
まもなく立つ晴れ舞台を前に真剣な眼差しでその様子を見つめています。
6人が唄に合わせていっせいに杵を振る「つぶし」
注連縄が外されいよいよ本番。
まずは、中学一年生の3人による餅搗き「3てこ」。
そして、さらに3人が加わって餅を搗く「6テコ」。
二人、または三人が一組で搗きますが、なかなかリズミカルには行きません。
「1」、「2」、「3」、「1」、「2」、「3」と息を合わせます。
ただ、唄に合わせて餅を搗くだけでなく、その合間に様々な技が挟み込まれます。
杵を逆さに持ち替えて杵の淵を叩いて音を出したり。
「3てこ」「6てこ」と搗き手とともに次々と入れ替わります。
ときには、こんなダイナミックな動きも。
最後は3人で並んで搗く「あげつき」で締めくくります。
1回目に搗き上がったお餅は、鏡餅として隣りの「菅原神社」に納められます。
唄に合わせて2回目の「ならし」「ねり」「つぶし」
続いて、「3てこ」「6てこ」
時には力強く、合間に杵を臼で叩く音も響かせ。
「1」「2」「3」のリズムで目まぐるしく人と技が入れ替わります。
2回目の「あげつき」。2回目と3回目に搗いたお餅が見学者に振る舞われます。
3回目の餅つき
ベテランの大人が撞き。
入れ替わった中学生もそれに負けじとリズミカルになってきました。
祖父、父、娘の3世代による「3てこ」
3回目も終盤、唄い手が終わると見せかけて続けたりと笑いを誘います。
3回目の「あげつき」
見学者の餅つき体験。
軽々と振っていたように見えた杵が思いのほか重く、振り下ろすにさえ一苦労。
先ほど目の前で搗かれたばかりのお餅が配布が始まりました。
「美味しい!」と周りでも声が上がる。柔くて美味しかったです。
‖ 引き摺り餅
「南大塚の餅つき踊り」の始まりは幕末の安政時代と云われています。
大正時代までは、長男・長女の7歳の「帯解きの祝い」としての祝福の行事。
頼まれた家の前で餅を搗きながら踊り、臼を引き摺りながら菅原神社に参詣します。
といっても、餅つき踊りを依頼は裕福な家でしかできないことでした。
餅つき踊りは、大正末期から第二次世界大戦頃までは中断し、戦後再開。
現在では、餅を搗く場所は個人の家から西福寺境内に代わりました。
「引き摺り餅」も西福寺から菅原神社へ臼を引き摺る形で受け継がれています。
引き摺り餅用のもち米を臼へ投入。
「ならし」「ねり」「つぶし」の工程は今までと同じ。
「3てこ」をしながら、少しづつ臼が引き摺られていきます。
最初に搗かれた分が、菅原神社に奉納される鏡餅として先頭に。
「ゆっくり引いて」と声も上がりながら、ズズッ、ズズッと進む行列。
餅を撞き、唄をバックに西福寺の山門を出て
車が激しく行き交う16号線を横目に、歩道を通って菅原神社へ向かいます。
鳥居をくぐって参道に入りました。
その間も餅つきは続けられています。
臼を引き摺っていた紅白の縄を広げて円陣を作ります。
最後の力を振り絞っての「餅つき踊り」
餅つき踊りを体得した姿に思わず笑みがこぼれます。
伝統が受け継がれて行く、そんな一場面。
大きく杵を振りながらの「3てこ」
最後の「あげつき」
「南大塚餅つき踊り保存会」の皆様、お疲れさまでした。
臼は再び、西福寺へと戻り、来年まで長い眠りにつきます。
このような地元に受け継がれた「おまつり」も今後紹介出来ればと思います。
取材・編集 白井紀行
INFORMATION
南大塚の餅つき踊り
【日時】平成28年1月10日(日)12:30〜
※成人の日の前日の日曜日に開催されます。
【場所】川越市南大塚2-3-11
【問合】教育委員会 教育総務部 文化財保護課 管理担当
【電話】049-224-6097(直通)