江戸の世で川越人が交流した面影を今に残す〜桜を楽しむ会-菜の花と文学碑と〜

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取材・記事 白井紀行

 

春らしいうららかな陽気に包まれた4月1日の日曜日。

川越シルバー人材センターが主催で「桜を楽しむ会」が開催されました。

このツアーには年ごとにテーマがあり、今年は「菜の花と文学碑と」となっています。

江戸とは舟運で繋がっており、江戸の文化が直接入ってくる立地にあった川越。

川越藩も歌会を奨励し、毎月のように歌会が開催されていたのだそうです。

市内各所には歌会の開催を記念した「文学碑」があるのですが知られていません。

今回は「文学碑」を桜と共に巡り、当時の川越の文化レベルに触れていきます。

 

案内をするのは赤いブレザーでお馴染みの観光ガイドの皆さん。

本日は400名を超える申し込みがあったそう。

 

お客様を迎える前に事前ミーティング。実行幹事の青木さんからの諸連絡。

グループごとの振り分け人数や前日に調べた現地の様子などが伝えられます。

歌については、解釈が様々なので断言はせず個々のガイドに任せるのだそうです。

 

受付が始まりました

受付時間の9時半になりツアーの参加者が続々とやってきました。

400人もの人を捌くので交通の妨げや点字ブロックを踏まぬよう案内していきます。

 

渡された資料には、本日訪れる句碑、歌碑分の一覧が記載されています。

 

それでは出発!

記者は青い旗を持つ観光ガイドの石山さんが率いる20人ほどのグループに参加。

 

参加者がデッキに滞留しないよう準備が整ったところですぐに出発です。

 

長徳寺

川越駅から20分ほど歩いて到着したのは長徳寺。

 

平安時代の豪族「仙波氏」の館跡。創建は喜多院とほぼ同じと言われています。

 

境内には檀家さんが建てた句碑があちこちに。

 

長徳寺には何度か訪れているはずなのに句碑があるのは初めて気づきました。

 

長徳寺のすぐ先にあるのは「川越観音」。

 

階段下の祠には戦争中に弾除けの利益があるとされた「サムハラ」様が祀られてます。

 

ほどなくして16号線と新河岸川が見えてきます。

 

精進場橋からは一直線に伸びる新河岸川。両岸には桜と菜の花の競演が見られます。

「川越の蔵の黒漆喰は菜の花から取れる菜種油のススなんです」とガイドの石山さん。

ガイドさんからそんな知識を知るのもこのツアーの楽しみ。

 

別のガイドさんは、「菜の花畑に 入日薄れ♪」と美声を聞かせていました。

 

龍池弁財天

新河岸川を離れ喜多院へと向かうおうとして忽然と現れる小山と小さな池。

昔は祠を天辺としてぐるりと池が取り囲んでいたのだそうです。

 

ここには「名月や池をめぐりて夜もすがら」という松尾芭蕉の句碑がありました。

ここで詠んだ訳ではなく、句の景色を思わせるということで建てられたそうです。

今はその句碑はこれから向かう喜多院にあります。

 

中院

四季を通じて様々な表情を見せる境内の庭。この時期は桜が美しい中院。

 

流石にしだれ桜は花が散り葉桜へと姿を変えつつあります。

 

中院の境内には、島崎藤村ゆかりの茶室「不染亭」があります。

 

すいません、被写体を間違えてます(><)

右端で見切れているのが島崎藤村の義母「加藤みき」の墓です。

蓮月不染乃墓は藤村が自ら筆をとり記したものとされています。

 

仙波東照宮

日本三大東照宮のひとつに数えられる仙波東照宮。

喜多院第27世住職だった天海僧正が徳川家康公を祀ったものです。

 

今回は上まで登りませんでしたが、拝殿には三十六歌仙絵額が掛けられています。

 

その中から桜に因んだ二編が紹介されました。

世中に たえて さくらの なかりせば はるのこころは のどけえからまし」在原業平

さくらちる 木のしたかぜは 寒からで 空にしられぬ 雪ぞふりける」紀貫之

 

川越大師・喜多院

散り始めの桜を眺めながらお花見を楽しむ人々で賑わう喜多院。

 

成田山別院へと続く北側の参道脇に歌塚があります(背後の塀の向こうが五百羅漢)。

歌塚とは、歌を歌った短冊を埋めて、歌の上達を祈願したところ。

 

喜多院は何度も訪れてるはずなのにこんなところがあるとは気づきませんでした。

 

龍池弁財天に建てられていた「名月や…」の松尾芭蕉の句碑

 

見づらくなっていますが東丁の句「秋風や 直なるゆえに 道さびし」と彫られた岩。

このほか、日常を歌った歌碑が建てられています。

山松の 木間にみゆる 白雲の 動ぬ色や 棲なるらむ 」裕満(南院65代住職)

何事も 疎くなる世に 秋の夜も 月のみ我を 見すてさりけり」白翁(南町の宮岡氏)

鐘の声も 聞こえぬ山の おお雪に 朝とあくれは 日は暮れにけり」保美(川越の頭取名主安斎)

 

成田山川越別院

喜多院と隣接する位置にある「成田山川越別院」。

 

境内には四国八十八ヶ所の霊場を示した石碑が並ぶ四国霊場御砂踏。

石碑にはご詠歌が刻まれています。

 

川越熊野神社

松江町交差点を通り過ぎ「川越熊野神社」へとやってきました。

 

拝殿の向かって右側に咲く山桜。

 

山桜の下には「山さくら さけばしら雲 ちればゆき 花見てくらす 春ぞすくなき

江戸時代の狂歌の大家「落栗庵 元杢網(もとのもくあみ)」の歌碑があります。

川越で俳句会に元杢網江戸から来るとのことで待つも一向に姿を見せない。

代わりに見窄らしい格好をした一人の見知らぬ俳諧師が俳句を批評していました。

その人が最後に歌を詠んだところで、ようやく元杢網だと気付いた。

そんなエピソードもあるのだそうです。

 

蓮馨寺

熊野神社からほど近くにある蓮馨寺も、花見を楽しむ人たちで大にぎわいでした。

 

本堂の向かって右の塀の向こうに一笑斎喜楽女の辞世の句を刻んだ句碑。

 

老いの坂 ふりさけ見れば 死出の山 くだらぬことを いふてなけくな

ちょっと人生を斜に構えた歌を詠んでいます。

 

蔵造りの町並みが広がる一番街へとやってきました。

 

次の目的地、時の鐘へと向かう途中に「安」の文字の門飾り。

喜多院の歌碑に刻まれた句の一つを詠んだ川越頭取名主安西家を示します。

 

時の鐘

川越のランドマークタワー「時の鐘」。鐘つき通りは大勢の人通りでした。

 

塔の下をくぐり薬師寺の向かって右手。

 

ひとりかけ ふたりかけたる 桶の箍の たかかけぬらむ 明日の紐

この歌を詠んだ落栗庵 高涛は元杢網の弟子。

 

今まで特に木にも止めなかった看板にも「落栗庵」と記されていました。

 

人でごった返す鐘つき通りを抜けて、左折して北にある市役所方面に。

画面中央は、最近オープンして話題の「スターバックス」です。

 

旧今福屋

砧うつ 隣にさむき 旅寝かな」 かつてここにあった旅館に一泊した正岡子規の句。

車がひっきりなしに通る県道51号沿いに建てられています。

 

本日のツアーはこちらで解散。

ガイドの石山さんありがとうございました!

 

終わり間際に石山さんが口頭で話した市役所前の太田道灌の像。

太田道灌は歌人としても有名で、「山吹の里」という伝説があるので紹介します。

若き日の彼が雨が降ってきたので蓑を借りようとしたら山吹の花を差し出された。

なぜ、貸してくれないと怒ったが、あとでその意味を知ることになる。

それは、「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」に因んだもの。

山吹は花は咲いても実の一つさえつけない。我が家にも貸し出せる蓑が一つもない。

己の無学を知った道灌は和歌にも精通するようになったと言われています。

のちに、河越城で連歌師を招き「河越千句」を催しました。

このように川越は古くから文化レベルが高いところだったことが伺えます。

江戸の町は135万の人口を抱えていて、食料を近隣で調達することは重要。

それには、農家の名主、町の商人、武家が仲良くする場が不可欠でした。

歌会が盛んに催されたのは、三者が交流を図り情報交換する目的もあったようです。

調べてみると、川越には驚くほどたくさんの歌碑・句碑が建てられています。

これらを一つ一つ訪ねて、当時の人の面影に思いを馳せてみるのもいいですね。

 


INFORMATION

桜を楽しむ会〜菜の花と文学碑と〜

【開催】平成30年4月1日9:30〜12:30

【場所】川越市東口集合

【主催】公益社団法人 川越シルバー人材センター

【電話】 049-222-2075

【HP】http://www.kawagoesjc.or.jp/