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新河岸川河岸場跡と新河岸&南田島付近の蔵巡りVol.3
街東武東上線の新河岸駅を降りて東に向かうと新河岸川に掛かる旭橋に辿り着く。
橋のたもとは新河岸川河岸場跡として市指定の史跡だ。
新河岸川舟運の歴史は、寛永15年(1638年)川越仙波にあった東照宮が火災で焼け川越藩がその再建用資材を江戸から運ぶのに新河岸川を利用したことに始まると言われる。翌寛永16年、川越藩主となった松平信綱は、新河岸川を整備、当初は川越藩の年貢運搬が主だったが、後には、江戸行きが醤油・綿実・炭・材木、川越行きが油、反物、砂糖、塩、荒物、干鰯などの一般商品も運ばれるようになり、舟運をさらに発展させた。現在も周辺には、元禄元年間の「そうめん蔵」や「水天宮」、また、明治3年建造の船問屋伊勢安の店構えが当時を偲ばせる。(案内板より抜粋)
隣りにある石碑には、新河岸川舟唄が刻まれていた。
案内板にあったように、直ぐ近くには往時を偲ばせる建物が連なる。
斉藤米店は築90年の建物をリニューアルしたもの。
http://www.kenchikushiblog.com/komagura/item_17269.html
その並びにあるのが、明治3年に建造された廻船問屋伊勢安(いせやす)。
そして、その隣りには蔵がある。
味噌倉、米倉、素麺倉と連なっているらしいが、公道から撮影できるはこのあたりまで。
新河岸舟運の歴史はこちらにまとめてあったのを見つけた。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/HMG_Homepage/kadai27/frb.html
近隣には日枝神社や観音寺。仁王像の石碑など興味深いものが多々有るが…。
道路沿いに蔵があるのを発見!
他にも蔵がありそうな気がする。
駅の近くは住宅街だから、田んぼや畑の多そうな橋の向こうに渡ってみよう。
一見、住宅街と思われがちな川越で。だけど、ちょっと郊外に出ると田園風景が広がる。
そして、ほどなく蔵を見つけました。白漆喰が美しい。
こちらは養生(保護?)のためだろうか?網のようなものが屋根から垂れ下がっている。
1Fと2Fの境が目立つように漆喰が盛り上がっている。
この地域の蔵が似たような印象があるのは、農産物を保管するためだろうか?
こちらは、かなりサイズが大きい蔵。
屋根も軒先まで伸びておらず、その下に別の屋根がぐるりと取り囲んでいて初めて見る構造だ。
こちらの蔵にも窓のある前面だけ網が掛けられていた。
造りはこれまで見て来たのとほとんど変わらない。
こちらの蔵は前面部分を大幅に改装していた。
これも1Fと2Fの境がはっきり分かるように漆喰が盛り上がっている。
窓や屋根、建物の形から見て、蔵をトタンで覆ったものと推測される。
こちらもかなり背が高く大きな蔵。
反対側に回ってみた。手前は後で増築されたのだろうか?
こちらのはグレーのトタンで覆われていた。
市内では時々見かける石蔵。
奥には白漆喰の蔵がありますので、これも保管する物の違いなのだろうか?
今回は新河岸川河岸場跡と蔵巡りだったが、駅近くの案内板を見ると多くの史跡がある。
今後、このマップを元に南田島の足踊りで有名な氷川神社などを散策してみよう。
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