
4月29日開催!川越ハンドメイドの雑貨市〜スタンプラリールート〜
活, 街, 買新緑も美しく過ごしやすい季節となりました。
今週の水曜日、4月29日は昭和の日で祝日です。
この日、全90ブースが出店する「川越ハンドメイドの雑貨市」が開催されます。
http://shirotsumezakka.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
会場は小江戸蔵里を本部として15ヶ所の会場で全90ブースの出店です。
15ヶ所の会場を全て巡るか、9ヶ所+スタンプラリー協力店で買い物となります。
その会場を一足早く巡ってきましたのでお伝えします。
なお、スタンプラリーの用紙は本部となる小江戸蔵里と各会場で配布します。
ただし、配布枚数の関係上、蔵里で入手するのをオススメします。
JR/東武東上線川越駅
推奨ルートの出発はJR/東武東上線川越駅ですので、まずは、東口に出ます。
左手に曲がってアトレマルヒロを通ればクレアモール商店街の入り口に着きます。
「カラオケマック」が左手に見えたら
そこを右折して下さい。
Twelve
白い壁がおしゃれなHonor…

八重桜の咲き誇る境内で奉納された上戸の祭礼〜ささら獅子舞〜
子, 活, 街ソメイヨシノの花が散り、八重桜に主役が移った上戸日枝神社。
ここで4月19日(日)に上戸芸能保存会による「ささら獅子舞」が奉納されました。
(ちなみに同じ日に石原の観音寺でも「ささら獅子舞」が行われていました。)
鎮守御祭禮と祭礼を意味する奉納のぼりも掲げられています。
神主による祝詞の奏上。
上戸日枝神社の獅子は、女獅子、中獅子、大獅子の3頭。
享保3(1718)年の作で川越市内では最古の獅子頭だそうです。
奏上が終わったら獅子頭を身につけます。
参道をしずしずと進む一行。
そして、境内に描かれた円陣を回ったら定位置にスタンバイ。
上戸のささら獅子舞は、悪霊を追い払い境内を清める踊りから始まります。
次に黄泉の国との境を表す竿の下をくぐり抜けて行く。
篠笛の演奏に合わせて唄人が祭りを盛り上げます。
それに応えるように獅子頭の舞いにも熱が入ります。
天下泰平、国家安穏、五穀豊穣などを願う口上の読み上げ。
それを神妙に聞く仲立ち(蠅追い)と三頭の獅子
それに対するお褒めと御礼の口上のやりとりがされます。
写真右の被り物が「ささら子」と呼ばれ、手に持った楽器を演奏します。
獅子は腹に括り付けた太鼓を打ち鳴らす。
仲立ちが軍配と語弊を降ると、獅子頭はそれに合わせて飛んだり撥ねたり。
こうして、30分程で今年のささら獅子舞の奉納が終わりました。
その後は、獅子と一緒に撮影タイムが始まりました。
ささら獅子舞は関東地方を中心とした東日本に広く分布しています。
http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/3231/1/KH_026_2_001.pdf
二頭の獅子が一頭の雌獅子を巡るストーリー展開があるなど、地域毎に特色があります。
かつては一行が各家々を回り、村長にご馳走になって獅子舞で終わるものでした。
今は、上戸芸能保存会の方が伝承していますが、後継者不足に悩んでいるそう。
奉納の際に踊りの意味を解説していましたが、HPにあればより興味を引くかもしれません。
5月3日の川越春まつりでは、11時にまつり会館、12時に蓮馨寺でも披露されます。
石原のささら獅子舞も見られるそうですので、ぜひ、おいで下さい。
INFORMATION
奉納ささら獅子舞
【住所】川越市上戸316-1(上戸日枝神社)
【踊り】上戸芸能保存会

旦那さんに教えてもらい急遽行ってきました〜雪塚稲荷神社の例大祭〜
街我が家では、鰹節の代わりに中市本店のいわし節と決めています。
おひたしに振り掛けたり、納豆とまぜたり、ご飯と醤油でネコマンマにしたりと大活躍!
大人気の「ねこまんまおにぎり」にたっぷりと振り掛けてあるのと同じものです。
残り少なくなったので買いに行くと、旦那さんが「今日は神社でお祭りなんだよね」と呟く。
頭にピン!と来まして「雪塚稲荷ですか?」と聞くと「そうだよ」との答え。
昨年の12月に「長喜院&雪塚稲荷神社」を取り上げました。
http://koedo.info/141219-yukiduka/
その時に、例大祭の日が毎年4月12日とあったのを思い出したのです。
今日は別に予定があって10分位しか時間がないのですが、とりあえず駆けつけました。
だって、今日を逃したらまた一年後ですからね。
という訳でやってきました雪塚稲荷神社。
扉がすっかり取り外されていて、能舞台のような様相となっています。
こちらが普段の雪塚稲荷神社
普段はなかなか見れない神社の中。幕の後ろが気になりますね。
白いのは天狐の髪でしょうか?
お囃子が始まりました。
一番街の大通りまでは聞こえませんが神様に奉納できれば役目は果たすのでしょうね。
裏通りに入った人は、時ならぬお囃子に驚きながらも聞き入っていました。
ちなみに、次回、4月12日が休みの日に当たるのは2020年4月12日(日)。
平日は都内で仕事をしているので、取材ができない記者(T^T)。
今日、中市本店に行って例大祭の話しが出たのはまさに奇跡のタイミングでした。
INFORMATION
雪塚稲荷神社
【住所】川越市幸町5−8

日本三大奇襲のひとつ川越夜戦の地で猫と戯る〜東明寺〜
街観光客で賑わう一番街商店街をさらに北へ。
それまでの喧噪が嘘のように静まったところに、ひっそりと東明寺の参道があります。
時代を感じる川越市志多町という看板。
東明寺の近くにはこんなモダンな外観の建物も。
川越の歴史を語る上で欠かせない東明寺。
知名度とは裏腹に割とこじんまりとしたお寺です。
境内に入るとまず目につくのが「川越夜戦跡」の大きな石碑。
背後には、秋に美しく色づく大銀杏。
川越夜戦については、入り口にある案内板に説明があります。
川越夜戦跡
天文6(1537)年の戦いで北条氏綱に川越城を取られた扇谷上杉朝定は、再びこれを奪還すべく山内上杉憲政、古川晴氏と連合して総勢8万余騎を持って、天文14(1545)年10月に川越城を包囲した。
一方、福島綱成の率いる城兵は、わずか3,000人で立てこもっていたが、翌年(天文15(1546)年)春には既に兵糧も尽きて非常な苦戦に陥っていたところ、北条氏康が8,000騎を率いて猛攻撃を開始し、これに呼応して城兵も城門を開いて打って出たので東明寺寺口を中心に激しい市街戦となった。
多勢を頼んで油断しきっていた上杉・古川の連合軍は、北条氏の攻勢に耐えられず散り散りになって末山口に向かって敗走を始め、この乱戦のなかで上杉朝定は討死にし、憲政も上州に落ちのびたと伝えられている。
敵に比べて問題にならないくらい少ない兵力で連合軍を殲滅したこの夜戦は、戦略として有名である。
歴史を感じさせる本堂
境内社の稲荷諏訪天満宮三社
東明寺についても案内板から。
東明寺は、時宗(開祖一遍上人)の寺で稲荷山称名(いなげやましょうみょう)院東明寺と称し、本尊は虚空蔵菩薩である。
お寺の位置は、川越台地の先端が水田地帯に接する北の端にある。この辺りからは、新河岸川を境として川越の町の北側を入間川を主流とする分流が幾筋も流れ、水田地帯を形成しており、古くからこの穀倉地帯を領する多くの武士団が存在した。
東明寺は、こうした土豪の1人河越氏の庄園の東側に連なる広い寺領を有していた。その寺領は、東明寺村、寺井三か村、寺山村などに及び、広大な境内を有して、その惣門は今の喜多町の中程にあったと伝えられる。
このことから、喜多町の古名を東明寺門前町と称したと言われている。天文15(1546)年4月に戦われた上杉、北条軍の川越夜戦は、一名東明寺口合戦といわれ、この地の要路松山街道を含んだ東明寺寺領と境内で争われたものである。
当時は、今の様子から想像もつかないくらい、広大な境内だったんですね。
ご本尊は、「虚空菩薩像」で本堂に安置されているので普段は見ることができないようです。
名前の由来は、智慧と福徳を大空(=虚空)のように無尽蔵を持っているとのことから。
今は学問と福徳を授ける菩薩で、丑寅の人の守り本尊。毎月13日が縁日です。
本堂脇にある四面塔。
3面に2体のお地蔵様が、残る一面にはこれを造立した縁起が彫ってあります。
境内に訪れる人を静かに見守っています。
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今年の桜も終わってしまいましたね〜春の風物詩・誉れ桜と舟遊〜
街4月の第一土曜日は、川越氷川神社裏手の新河岸川で春の舟遊が開催されます。
乗船には整理券が必要で配布は終わっていましたのですが、終演を迎える桜を眺めてきました。
案内板の矢印に従って進めばすぐに新河岸川ですが、氷川神社に寄ってから行きましょう。
氷川神社の境内には桜は植えられていないのですが、参道には桜の枝が飾られていました。
新河岸川へ行くには本殿の横を通ります。
本殿の裏手には樹齢600年を超えるご神木があります。
周りには石段が組んであり、周りを巡れるように8の字に石段が組んであります。
この先が、新河岸川になります。
新河岸川に掛かる氷川橋。生憎の曇り空ですが、橋の上には写真を撮る人が大勢。
ここから見る桜はとても美しいのですが、少し散り始めたところですね。
この新河岸川沿いに咲く桜は、ソメイヨシノですが、誉桜とも呼ばれます。
案内板があったので、そこから引用します。
「誉桜(ほまれざくら」は市内、幸町の菓子舗「亀屋栄泉」の十九代目当主、中島良輔氏によって昭和32年300本の若木が川越市に寄贈され、ここ氷川神社裏から川越本丸御殿にかけての新河岸川河畔に当時の初雁中学校生徒達によって植えられたものである。
中島家によると、当初「戦勝桜」と命名すべく戦時中から500本ほどの桜苗を農家に依頼してあったというが、第二次世界大戦の結果多くの戦没者の名誉と慰霊の意味を込めて「誉桜」として植えられたもので、氷川神社境内にはその記念碑も見られる。
桜の種類は「ソメイヨシノ」。現在、約100本が毎年、水辺の桜花爛漫を堪能させてくれる。平成17年全国地域新聞39社による「ニッポンの桜だより」桜100選にも選定されています。
乗船場は氷川会館の裏手にあたります。
ちょうど乗船を終えて出発するところでした。
ゆるゆると川面を進む「ひらた舟」
向こうから来る舟とのすれ違い。
川面に浮かぶ桜の花びらの絨毯をかき分けるように進みます。
舟には乗れませんが、せっかくなので、川沿いを少し歩いてみましょう。
シートを敷いて本格的なお花見をする姿はそれほど見かけません。
先週位がおそらくピークだったのでしょう。
それでもお花見をするにはまだまだ十分ですね。
こうして見れば満開気分♪
川面に映る桜もまた目を楽しませます。
田谷堰までやってきました。
このレトロな雰囲気の橋と桜との組合せも川越の絶景ポイントのひとつ。
平成21年に川越を舞台にしたNHK連続小説「つばさ」のロケ地でもあります。
この木製のゲートを下げて新河岸川の水量を調整する仕掛けになっています。
田谷堰の上に登ってみました。
「つばさ」では、母と子が和解する名シーンで、ここではなんとサンバが踊られました!
川面からだと結構な高さを感じますが、ここから、美しい誉桜を眺めることができます。
川越春まつりの併催事業として、新河岸にある旭橋でも4月29日にひらた舟乗船体験があります。
参考)川越春まつり併催事業チラシ
かつて舟運で栄えた川越の雰囲気を味わいに出かけてみてはいかがでしょうか?
関連記事:新河岸川河岸場跡と新河岸&南田島付近の蔵巡りVol.3
http://koedo.info/150206shingasi/

いよいよ花見の季節です!〜3月29日の市内の桜の様子を見てきました。
街関東では先週より開花宣言が出され、川越でも桜の開花が伝えられるようになりました。
3月29日(日)に中心街の桜の様子を見てきましたのでお花見の参考にしてみて下さい。
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サワディ・クラップ!川越にタイがやってきた〜ミニ・タイ・フェア〜
活, 街, 食平成27年3月21日(土)、22日(日)に小江戸蔵里で第2回アジアフェスが開催。
今年は、埼玉県在住タイ人クラブが主催し、タイにフューチャーした催しとなりました
タイは日本にも比較的馴染みのある国ではないでしょうか?
正式には「タイ王国」といい、東南アジアにある熱帯性気候の国、首都はバンコク。
世界遺産のアユタヤを始めとする観光地があり、タイ料理、タイ式マッサージ、ムエタイが有名。
日本企業も多く進出しているので電化製品を見るとMaid…

子供の頃に遊んだ近所の公園を散歩しよう!〜霞ヶ関東第1〜6公園〜
街今や3,700人近くの会員を抱える「フェイスブック小江戸川越会」。
その分科会である「かすみがせきを元気にする会」にこんな投稿がありました。
「昔遊んだ、霞ヶ関東五丁目付近にあった、お家の遊具?(縦穴式住居みたいな)があった、公園ってまだありますか?夜遅くですが、犬の散歩でそのあたりを、何度か通ったのですが、見当たりませんでした。
キノコの公園は、まだ存在していますが…。どなたか、情報をお持ちのかた、教えてください。
これに対して直ぐに反応があり、公園と遊具の所在を確認。
そして、「霞ヶ関東」には第1から第6公園まであることも分かりました。
調べてみるとそれぞれ個性を持った公園のようなので、早速全部回ってることにしました。
東武東上線「霞ヶ関駅南口」を降りて左。
線路沿いを池袋方面に進むと「かすみ自動車教習所」が見えてきます。
右手にかすみ保育園の青い看板が見える道路が「かすみ東通り」です。
その先をさらに進むと広がる閑静な住宅街が霞ヶ関東地区です。
かすみ東通り沿いのお店「かすみ食堂」
本格焼きたてパンのチロル
時々、こちらでパンを買っています♪
店内から大きなオーブンを見ることができ、時間によっては本当に焼きたてパンが頂けます。
菓子屋横丁でお馴染みの「川越ピエロのいちろうくん」もこちらにお住まい。
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埼玉県最古級の方墳がこんな近くに!?〜三變土田稲荷神社〜
街小仙波付近を通りかかると紅い鳥居が連なっているのが目に飛び込んできました。
ここは三變土田稲荷(さんぺんどでんいなり)とあり、喜多院が所有する神社。
三變土田とは、「仏が不浄なる国土を三度変じて浄土としたこと」を指すそうです。
稲荷神社は小高い丘の上にあるのが分かります。
お社では赤い布をまとった2匹の白狐がお出迎え。
小さな鈴や賽銭箱と相まってとても可愛らしい感じの神社ですね。
ところで、竹箒が逆さになっているのが分かりますか?
これは喜多院の「三位稲荷」という伝説に由来しています(詳しくは、別の機会に)。
すでにピンと来た人もいると思いますが、この神社は古墳の上にあります。
三変稲荷神社・古墳
当古墳は、四半世紀後半(古墳時代前期)に、この地域の首長墓として築造された一辺約20メートル余りを測る方墳で、入間郡最古の古墳の一つとされる。近隣からは表採された鼉龍鏡(だりゅうきょう<鼉龍とはワニに似た想像上の動物>)と碧玉製石釧(へきぎょくせいいしくしろ<石製の腕輪>)は、呪術的な首長の権威の象徴として、畿内王権から下されたものである。古墳周溝からは、墳丘を囲うように樹立していた壷型埴輪が出土している。(案内板より、一部補足)
25メートル四方という話しもあって、これは、野球のダイアモンドより一回り小さい位。
長年の歳月を経たために方墳には見えません。
案内板には入間郡最古とありますが、埼玉県最古といっても良いようです。
稲荷神社の背後にはこの古墳のシンボルとなる立派な榎(えのき)があります。
そのため、別名、「榎の木稲荷」とも言われます。
「三變土田稲荷神社(榎の木神社)」にはこんな伝説があります。
むかし喜多院に長い間住んでいた化け上手な白い狐が、正体を見破られたのでお寺を出ることに。白い狐は尊海僧正にお礼として化けている間、一言も声を出さないことを条件に2,500年前の釈迦が布教をしている姿を見せることにしました。けれども、目の前で展開されるその光景に尊海は思わず、「ああ、ありがたや南無阿弥陀仏」と声を出してしまいました。そのとたん釈迦の姿は消え、榎の木に登って化かしていた白い狐はもんどりうって落ちて死んでしまいました。尊海は白い狐を哀れみ、榎の木の下に亡骸をまつりました。それが、この「榎の木稲荷」です。(川越市教育委員会発行 川越の伝説…