まるひろのビアガーデンと喜多院のホタルと八幡宮の紫陽花と〜初夏の夜散歩〜

, ,
ここ数年の初夏のお楽しみのひとつが喜多院のホタル鑑賞。 それに先立ち、晩御飯をどこにしようか考えるのも、もう一つの楽しみ。 今年は、まるひろ川越店屋上のビアガーデンへと繰り出しました。 ‖…

あなたも見たことがあるはず〜デザイン自動販売機の世界〜

,
喉が渇いた時、特に今の季節は熱中症にならないためにも水分補給は欠かせません。 そんなときに目にする自販機は、ありがたいですね。 どんな飲みものを選ぼうと近づいた時、ちょっとマシン本体にも目を向けて見てください。 そこには、デザイン自販機の世界が広がっているのですから。   ‖…

雑木林に囲まれた自然豊かな公園に新河岸舟運の面影を訪ねて〜仙波河岸史跡公園〜

取材・記事 白井紀行   川越市東口から徒歩約15分。国道16号線の下をくぐり抜けたところ。   新河岸舟運の起点だった仙波河岸の面影を残す「仙波河岸史跡公園」があります。   昭和6(1931)年に新河岸舟運が終焉を迎えた後、雑木林の湿地のまま残されていました。 それが、平成16(2004)年に「仙波河岸史跡公園」として開園。 園内には、河岸場跡、仙波の滝、自然観察湿性地や愛宕神社への散策路があります。 仙波の滝へ 入り口傍の管理事務所前に掲示板に公園の説明や当時のチラシが貼られていました。   また、仙波河岸についてまとめた小冊子がぶら下げられていました。 では、小冊子の情報も参考にして園内を巡ってみましょう。   園内は雑木林が広がり散策路が整備されています。 仙波の滝 仙波河岸の始まりは弘化3(1846)年。 仙波東照宮と城内の三芳野天神修理の御用材を運搬するために開設されました。 愛宕神社下からの湧き水でできた仙波の滝。これが新河岸川の源流でした。 仙波河岸舟運が許可されたのは明治10(1877)年で、最後にできた河岸場です。   案内板で、明治34年頃の様子を写した写真を見ることができます。 龍神の碑と水神宮 仙波の滝の後ろに祀られた竜神の碑、不動明王の化身「倶利加羅竜王」が刻まれています。 黒龍が剣に巻きつき剣の先端を飲み込む姿から竜神様。 昔、農家の人達が滝の水を掛けて雨乞いをしたことから水神様とも呼ばれます。 建立年月は不明ですが、仙波河岸開設以前からあったと言われてます。 その横は水神宮で富士御水講の関係者が文教10(1827)年に建立したと考えられています。 愛宕神社へ 「仙波の滝」と「龍神の碑」の間を散策路は、愛宕神社へと続きます。   武蔵野台地の東南端にあたるので、かなりの高低差があります。   階段を登り切ったところで立て札。右は「延命地蔵尊」、左は「愛宕神社」。   まずは、延命地蔵尊の方へ行ってみましょう。 延命地蔵尊 今から約280年前の元文元(1736)年に祀られ、延命と利生を請願する地蔵菩薩。 新しく生まれた子を護り、短命、夭逝の難を免れるとされています。   足をもう一方の足の腿(もも)の上に組んで座る半跏像となっています。   その横にも石像があるのですが、特に説明書きがありませんでした。   今度は、先ほどの分岐点を左へ。   愛宕神社の鳥居が見えてきました。   愛宕神社は愛宕古墳の上に建立されています。 6世紀中葉期のものと思われ、その大きさは高さ6m、東西30m、南北53m 基壇のある二段築成の円墳で父塚とも言われ、川越市の指定文化財になっています。 幅約6メートルの周溝が東南の斜面を除いて巡っています。   愛宕神社 祭神は火産霊命。文禄2(1593)年に京都の愛宕山に鎮座する分霊を奉祭したもの。 古来より火伏せの神、麻疹の神として信仰されてきました。   拝殿の後ろに鎮座する本殿。 石に「大正12(1923)年に関東大震災で倒壊。10月に再建し13年7月落成」と刻まれてました。   こちらは駐車場から撮ったもの。見上げるような高さです。   愛宕神社の前は国道16号線。車の往来は途切れることがありません。 さっきまで静寂の中にいたので、そのギャップに驚かされます。   古墳の麓には松尾芭蕉の句碑が2基。 「名月に麓の霧や田の雲」と「蓬莱に聞かばや伊勢の初便り」が刻まれていました。 仙波河岸跡 愛宕神社から公園の入り口近くに戻ってきました。   仙波河岸跡からウッドデッキ歩道に向かい新河岸川まで出てみましょう。   休憩デッキから河岸場跡を望む。 この小さな池からは、かつて、大きな船が停泊した頃を想像するのは難しい。   公園の奥に進んで観察橋へ。   左手は先ほどまでいた休憩デッキが見える。   右手は新河岸川へと向かうことになる。   河岸場跡に沿って進む道はないので散策路へ。   丁字路となったウッドデッキを左折。   ウッドデッキ歩道をテクテクとしばらく歩く。   水門らしき設備が右手に見えてきました。   この付近までが河岸場跡となります。   こちらが新河岸川側の入り口。   道路を隔って新河岸川。   小冊子の挿絵と見比べるとなんとなく面影が残っている気がします。   川の両端は堤防が築かれており、仙波河岸史跡公園とは繋がっていません。 かつてのように船を出入りすることはできないのです。   この川を船で下っていけば、浅草へとたどり着く。 いつかここから船を浮かべて実現したいものです。 INFORMATION 仙波河岸史跡公園 【住所】川越市仙波町4-21-1 【電話】049-224-5965(川越市公園整備課) 【HP】http://www.city.kawagoe.saitama.jp/kurashi/sports_koen/koen/senbagashishiseki.html

3頭の獅子に悪魔除け・安産・子育ての願いを込めて〜埼玉県無形民族文化財「石原のささら獅子舞」〜

, ,
取材・記事 白井紀行   気温が一気に上昇し汗ばむ位となった4月16日(日)。 石原町にある観音寺で、埼玉県無形民族文化財「石原のささら獅子舞」が行われました。   観音寺は天台宗で比叡山の末寺。弘法大師(空海)が草創し慈覚大師が再興。   人々は丈夫な子供が生まれますように、健やかに育ちますようにと仏様にお願いしました。 受胎・安産に霊験顕著だったことから「世継観世音」と呼ばれます。   石原のささら獅子舞は、三頭に悪魔除け・安産・子育ての3つの願いを託す観音寺の祭礼。 以下は、案内板からの転記 「石原のささら獅子舞」と呼ばれる川越を代表する獅子舞で以前は、4月17日・18日に演じられていたが、現在は4月の第3土、日曜日に行われる(隔年で陰祭の年は日曜のみ) 慶長12(1607)年から始まると伝えられ、寛永11(1634)年川越城主であった酒井忠勝が若狭国小浜(現、福井県小浜市)に国替えになった際に、雌雄2頭のを連れ去り中断してしまったが、宝永6(1709)年に太田ヶ谷(現、鶴ヶ島太田ヶ谷)に習い再興された。   この獅子舞は一人立獅子舞の系統で成人男性が演じる・曲目は12切りという12の部分からなり、先獅子(雄)・中獅子(雌)・後獅子(雄)の3頭が軍配を持った山の神(少年)に誘導され、笛太鼓に合わせたササラッコ(花笠を付けた少女4人)のささら伴奏で舞う。中でも、2頭の雄がかみあいを繰り返しながら雌を争う場面は、最も特色ある場面である。 土曜日は「揃い」といって練習の総仕上げをする。日曜日は観音寺で一庭奉納し、次に町内廻りに出て町境の高沢橋で一庭舞う。夕方になって高沢町(現、元町2丁目)の井上家の庭で一庭、その後観音寺に戻り一庭半舞、最後に長老の歌う「千秋楽」で終わる。   土日の2日に渡って行われる本祭りと日曜日のみの陰祭りが交互に行われます。 今年は陰祭りの年で日曜日のみ。観音寺境内で4庭が奉納されます。   12の場面(12切りという)からなる一回の舞を庭(にわ)といいます。   復興が進む菓子屋横丁へ 20分ほどの一庭目の演舞が終わったところで一行は菓子屋横丁へと向かいます。   高澤橋を渡って、   ブォーッ、ブォーッと法螺貝を鳴らしながら菓子屋横丁を練り歩く。   時ならぬ行列に観光客は驚き、お店の人は「ありがとう」とお礼の声をかけます。 一昨年の6月に火事に遭った菓子屋横丁は、かつての賑わいを取り戻し復興。   3頭の獅子が舞を踊り菓子屋横丁の復興を祝いました。   まだ、ちょっと時間があるということでイベントスペースで記念写真。   再び観音寺に 2庭目は11時となっていましたが、11時30分頃から始めるとのこと。 待つ間に12の場面の解説が行われました。 ※ここからの写真は2庭目と3庭目の2回分から選んで配置したものです。   ブォーッ、ブォーッと山伏が法螺貝を吹き、天狗を道連れに庭に繰り込む。   そのあとに、錫杖を持った天童(4人の男の子)が道を清め、謡方、笛方と続く。   簓(ささら)を持つ天女には、桜花が咲く錦笠を介添人が捧げる。   山の神に導かれた3頭の獅子は楽しそうに遊びながら賑々しく庭へと繰り込む。   笛方は右、謡方は左、天女を四隅に行き結界を張り、天狗、山伏、天童は正面に座す。 3頭は大足で闊歩して入り乱れて飛行。   山の神は軍配を上げ采配を振り、獅子の先に立ち、また背後に廻る。 それに従って舞う獅子。   笛楽が変化、   3頭の獅子が一線となり蹲踞(そんきょ)の姿勢を取る揃いの舞。   ♪…

子ども達の健やかな成長を願って〜川越祭りばやし(今福菅原神社 春祭礼)〜

川越市今福にある今福・菅原神社。菅原道眞公と大己貴命が祀られています。 松平信綱が武蔵野新田の開発責任者として上奥富村(現狭山市)の志村次郎兵衛を任命。 その際に、志村氏が地元の梅宮神社を勧請して今福の鎮守として承応元(1652)年創建。 ほぼ川越まつりと同じ歴史を重ねてきたことになります。 入り口の柵の後ろに「川越祭りばやし」に関する案内板がありました。 今福の祭ばやしは「芝金杉流」。川越まつりでは六軒町の山車に乗るとあります。 詳しくは、川越市のHP 『県指定文化財…

川越市内のFree-WiFiスポット10箇所+1が繋がるか試してきました

,
平成25年10月、川越市はNTTBP※社と連携し、川越市公衆無線LANの提供を開始しました。 http://www.ntt-bp.net/articles/news/?p=3184 ※エヌ・ティ・ティ・ブロードバンドプラットフォーム株式会社 当初はWi-Fiスポットは川越駅西口および東口のロータリーと本川越駅東側広場の3箇所。 現在は、10箇所にポイントとなっていると市のホームページにあったので試してきました。 http://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kankobenrijoho/kawagoe-free-wifi.html なお、調査は「Japan…

川越城の名残を桜とともに巡って知る〜古地図でめぐる「桜と川越城散策」〜

時折、小雨ぱらつく3月25日(土)の川越。 川越シルバー人材センター主催で『古地図でめぐる「桜と川越城散策」』ツアーが催されました。 受付をすませてルートマップや川越春まつりや川越百景のパンフなどの配布物を受け取る。 こちらが本日のルートマップ。 小江戸蔵里(集合)→中院*→*仙波東照宮・喜多院→*浮島神社→川越城南大手門跡(川越第一小学校)→川越城富士見櫓跡→*川越城本丸御殿→*川越氷川神社→氷川橋(解散)。 約3Kmで約2時間半の道のりです。(*は桜の名所) 古地図と比較しながら幕末の喜多院、城下町、川越城を知るツアーです。 出発の前に地図を確認。この辺りは「新横田町」という地名だったそうです。 小江戸蔵里を出て喜多院方面へと向かい「通町交差点」で足を止めます。 ここは川越街道。江戸への道は南へ一直線に伸びています。 川越城へと向かう北の道はクランクとなっています。 これは見通しをわざと悪くして敵が一気に攻め込まれないようにしています。 そのまま、中院へと向かうと思いきや、内田写場の横に入ります。 住宅街を抜けていき、 丁字路の角にあるのは「小原鉄砲火薬店」←…

ラジオぽてと一番街局 in 川越春まつりオープニング2017

, , ,
日差しまぶしく、小江戸川越の観光シーズンの幕開けを飾るに最適な天気となったこの日 星野高校吹奏楽部のマーチングバンド&カラーガードの行進で春まつりが始まりました。 私たちカワゴエ・マス・メディアが運営する「ラジオぽてと」も参加。 いつものスタジオを飛び出して、鍛冶町広場で公開収録です。 11時30分、テーマソングとともに「ラジオぽてと」が始まりました。 ミカジョーさんと黒子の二人の軽妙なトークで春まつりの見どころを紹介。  ミカジョー いつもはトークがメインの「ラジオぽてと」ですが、この日はライブが中心。 トップバッターは、「ミカジョー」さん。曲は「空蝉と幽霊」からスタート。 たちまちステージの前は人だかり。その憂いを帯びた歌声に聴き入ります。 黒を基調にグラデーションカラーの和服も素敵でした♪ 曲は、「暗い沼」、「大きな月の歌」、「曼荼羅と蜘蛛の巣」と続きます。 4月5日(水)は、18時から「鶴ヶ島ハレ」で定期ライブ。 ぜひ、沖縄料理とともにミカジョーさんの歌声を聴きに来てください♪ https://www.facebook.com/mikajo333/   KATOYAN 続いては、KATOYANさんのマジックショー!テーブル浮遊で観客を驚かせます。 ロープマジックや日本地図に塗る色を当てる予言マジック。 お客さんの選んだトランプがペットボトルのお茶の中に!次々と繰り出されるマジック。 ウサギのスポンジマジックは子供たちが大喜びでした♪ ショーが終わった後も広場内でマジックを披露してサービスしていました。 KATOYANさんがボーカルをつとめるバンドSleeping…

まもなく開花!〜入間川沿いの桜づつみ、御伊勢塚公園付近、中心街の桜めぐり〜

3月21日 、全国で一番早い桜の開花宣言が東京で出されました。 明日は、小江戸川越春まつりオープニングが開催され、蔵の街川越も本格的な春を迎えます。 先週は国道254号線沿いに桜づつみを追いましたが、今週は第2弾。 入間川沿いの桜づつみ、御伊勢塚公園付近、そして、中心街の桜を紹介します。   ‖…