今年も盛大に開催された皆んなで作る大人の文化祭〜第8回川越パンマルシェ(前編)〜

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取材・記事 白井紀行   改元による10連休が終わり、ようやく通常モードに戻って迎えた週末。 待ちに待った「第8回川越パンマルシェ」が、今年も盛大に開催されました。 場所は昨年に引き続き、丸広百貨店…

令和の新時代へ受け継がれていく地域の繋がりと伝統芸能〜石原のささら獅子舞〜

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取材・記事 白井紀行   川越に春の訪れを告げる「石原のささら獅子舞」。 4月14日(日)の朝8時すぎに石原公民館を訪ねると準備は佳境でした。   衣装に着…

あぁ、ずっとこの音楽の世界に浸っていたい〜山田隆広ピアノリサイタル〜

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取材・記事 白井紀行   川越出身で在住のピアニスト・キーボーディスト・作曲家「山田隆広」氏。 クラシック、ポピュラー、ロック、ジャズと幅広いジャンルに長けた演奏家。 そして、子供から大人、プロの演奏家を指導する先生の顔も持ちます。 また、当法人が運営のインターネット放送「ラジオぽてと」ではMCも担当。 冠番組「山田隆広の超絶ピアノワールド」では、超絶技巧を持つピアニストを紹介。 そういった縁で、3月24日のピアノリサイタルに招待されたので行ってきました。   会場はウェスタ川越の小ホール。 用意した250席はリサイタルの1週間前でほぼ売り切れの満席です。 ここから当日の模様をお伝えていきますが、エクスキューズ(^^;)。 記者は楽器は弾けず、音楽に詳しいわけではありません。 写真と文字のみで当日の素晴らしさや感動を描写することは到底出来ません。 記事はあくまでもその片鱗にしか過ぎないと思ってご覧ください。   バッハ/フランス組曲よりサラバンド 始まりの合図とともに静まり返る会場。上手より山田隆広氏が登場。 チェンバロの蓋をおもむろに開け、演奏するのは春のまどろみを感じさせる優しい曲。 「バッハ/フランス組曲よりサラバンド」です。 ピアノで弾くとゆったりとした優雅な曲。 これがチェンバロだと一音一音が際立つせいか緊張感が加わります。   今回のリサイタルの目玉がチェンバロ、このために当初のプログラムを変更。 日本を代表するチェンバロ工房の久保田彰氏が制作で、本日が初のお披露目 自分で弾いていて鳥肌が立ったというほどの出来栄えだったとか。   ペツォルト/メヌエットをピアノとチェンバロで弾き比べ チェンバロはピアノの先輩格に当たる楽器ですが、音の出し方が異なります。 ピアノはハンマーで弦を叩く打弦楽器でチェンバロは弦を爪で弾く撥弦楽器。 その違いを実感してもらうため同じ曲の弾き比べ。   まずはピアノから。初級から中級者の発表会でもよく使われる曲。 誰でも一度は聞いたことのあるお馴染みの旋律が流れます。   この曲はチェンバロの時代に作曲されたので本来の音色はこちらなのだそう。 ピアノは強弱を付けられますが、チェンバロでは演奏のバリエーションで表現。   普段ピアノで弾いている曲をチェンバロで弾く。 シンデレラの時代を思わせる宮廷舞踏の香りがするのでは、解説を加えます。   山田隆広/プレリュードとフーガ・ニ短調 最後は、チェンバロでどうしても弾きたかったと言うオリジナル曲。 フーガというのはバロック時代に完成された作曲のテクニック。 1つのメインとなるテーマメロディを何度も繰り返すもの(遁走曲とも言われます)。 カエルの合唱(♪カエルの歌が聞こえてくるよ)のように重ねて行く曲です。   重厚さと広がりのある前奏の後、フーガに入ります。 川が見せるサラサラとした流れ、瀞のようなゆったりさ、激しさといった表情。 クルーズ船に乗り川を下っていっているかのような光景が頭に浮かびます。   名残惜しいですがチェンバロはここで撤収。続いてはピアノ演奏に移ります。   モーツァルト/幻想曲ハ短調 モーツァルトを弾く前に時代背景と曲の解説がありました。 当時の音楽家は貴族からの依頼でコンサートや食事や式典のときに弾く雇われ人。 なので、基本的には優雅で美しいものを作曲して演奏するのが宿命。 モーツァルトは天才なので明るい曲にすごい和音や熟練の技を隠していました。 けれど、どうしても抑えられずに喜怒哀楽を全て出したのがこの曲。   重苦しい不協和音で始まり、明るく楽しくなったり迷いを感じさせる旋律。 リズムも軽快になったり立ち止まったりと情熱的になったりと。 この曲にはどんな物語が秘められているのか知りたくなります。 右手と左手が紡ぎ出す音でピアノと会話をしているかのような演奏。   かなり幻想曲色強く、これがモーツァルト?って感じたかもしれません。 これが「山田隆広ワールド」です。 当時の演奏スタイルでなく現代のピアノでモーツァルトの意思を最大で表した。 ピアノリサイタル後のFacebookにはそんな言葉が添えられていました。   スクリャービン/左手のためのノクターン クラシックには戦争で右手を失ったピアニストのために書かれた曲が多く存在。 スクリャービン自身も練習のし過ぎで右手を故障してしまった。 彼の曲にはテクニック的な難しさもある。 今から弾く曲はすごく美しい曲でだいぶ前衛的で衝撃的な曲です。   最初の30秒くらいは目を瞑って聞いて見てください。 ピアノは右手でメロディ、左手で和音を奏でるのですが、普通に聞けるはず。 両手で弾けば簡単に弾けるものを左手一本で弾く美学を楽しんで欲しい。 そんな風に初めて聞く人に曲の楽しみ方を分かりやすく教えてくれる。 山田隆広氏のリサイタルの魅力の一つです。 和音の響き残っている間に旋律を重ねていくテクニック。 目を開けていても左手だけで弾いているとは思えません。   リスト/ダンテを読んで 前半最後の曲は20分におよぶ大作「リスト/ダンテを読んで」 神曲は1,300年代の大衆にも分かりやすく書かれた大衆小説(いわばラノベ)。 地獄、煉獄、天国という旅の中でダンテが学んでいったりする物語。 途中にボスなんかも出てきてドラクエにも似ているのだそう。   ダダーンと三全音と不安を感じる音で曲は始まります。 曲で苦悩、喜び、救いを表現するのは先ほどの幻想曲ハ短調に通じるもの。 モーツァルトの時代のピアノは木のフレームで思い切り叩くと折れてしまう。 リストの時代は鉄のフレームで鍵盤の数や音量も全然違う。 感じていた苦悩や喜びは同じでもピアノの差による味わいの違いを楽しんで欲しい。 それがこの曲を選んだ理由の一つなのだそうです。   地獄や恋人との愛の歌、地獄から救われたと思ったらまたどん底へ。 最後には天国、神々しく崇高な世界へとたどり着くまでの情景をピアノで表現。 観客からは色んなものが見え、20分が短く感じたとの感想を頂いたそうです。   山田氏も「曲のインスピレーションで自分から湧き出る世界に引っ張られた。 思わず弾くのを忘れそうになった」と後に語る程、会場を巻き込む演奏でした。   山田隆広/荒城の月の主題によるフルートとピアノのための変奏曲 後半は荒城の月をモチーフにした変奏曲。 演奏を7巡させる中で荒城の月のメロディーやコード進行を変えていくというもの。   フルートを演奏する小澤恭子に来てもらって14時間かけて作ったのだそう。 フルートはドレドレの音が一オクターブ上になると指遣いできない難しさがある。 だから、曲を書いて吹いてもらって確認することを繰り返して完成した。 そんな誕生秘話も明かされます。   1巡目はオリジナルより低くて暗い感じで始まる「荒城の月」。   フルートのもの哀しげな音が主旋律として重なります。 2巡目、3巡目はクラシック寄り、4巡目で「荒城の月」に戻る。   5巡、6巡は最初の暗さと対象的な軽快さ。そして、7巡目で「荒城の月」。 ピアノとフルートの魅力を引き出し、滝廉太郎の人生を重ね合わせた曲でした。   山田隆広編曲/リストピアノ協奏曲1番…

川越と東秩父村のご縁を結ぶ伝統の和紙「細川紙」〜東秩父SELECTION#2〜

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取材・記事 白井紀行   大勢の観光客で賑わう一番街を抜けて更に北へ。 縁結びの神様で知られる氷川神社へと向かう交差点の角にある「旭舎文庫」   中に入れば一足早く満開となった桜(取材日は3月10日)。   お祝い事には欠かせない白の胡蝶蘭。   初夏を思わせる紫陽花の鉢植え。   結婚式に華やぎに彩りを添える薔薇の花々。 色とりどりの花が目を楽しませますが、季節外れの花は一体!?   実はこれらは「細川紙」と言われる和紙でできた花。 「細川紙フラワー」と呼ばれています。   「細川紙フラワー」は再現性が高いのでパッと見では本物に見えてしまう。 外から見た時にお花の展示をしているのかしら? そう言われる方も多いです。と素敵な笑顔で話すのは案内頂いた西さん。   東秩父村の魅力を川越でPR 「東秩父村」は埼玉県では唯一の村。 川越市から見て北西の方向に位置し、車で約1時間の距離にあります。 村をPRし身近に感じてもらおうと企画されたのが「東秩父SELECTION…

商店街をずっと浸かっていたい心地良いオンドに!〜38℃の初披露はヘルシーごはん対決〜

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取材・記事 白井紀行   東武東上線霞ヶ関駅南口から徒歩10分ほどにある角栄商店街。 今から半世紀前の高度経済成長期に開発された商店街。 足を踏み入れると昔懐かしい昭和レトロな景色が広がります。   いまや日本全体の課題となっている少子高齢化の波。 角栄商店街も例外でなくシャッターを閉じた店舗が目立ちます。 けれど、未だ街としての機能を失ったわけではありません。   霞ヶ関北の商店街を心地よい温度に 「空き店舗」を活用し、街を魅力のある場所へと変えていくエリアリノベーション。 川越では平成28年から「まちづくりキャンプ」として取り組んできました。 その成果として第1回から「80%」、第2回から「ちゃぶだい」が事業化。 そして、平成30年に第3回が開催されその舞台として選ばれたのが霞ヶ関北地区。 10月28日に霞ヶ関北公民館で3日間で作り上げた成果を発表。   そのうち1チームが「38℃」というコンセプトで事業の具体化を進めてきました。 「38℃」とはお風呂の温度。立ち上げた合同会社にもオンドとつけました。 熱すぎず冷めすぎず長く浸かっていられる温度(オンド)。 商店街を「ぬるま湯」のような心地良い環境にしたいという思いを込めています。   2019年1月にウェスタ川越で開催された「川越ビジネスプラン」で事業形態を発表。 次の3つの居場所を運営しながら、地域と連携していくことを目指します。 …

あなた色の眼鏡フレームを~澤口亮さん「澤口眼鏡舎」店主~

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2019年1月に川越市三久保町にゲストハウスとしてオープンした「ちゃぶだい」。その庭に3月10日オーダーメイドの眼鏡フレームの小さなお店「澤口眼鏡舎」がオープンします。 工房も兼ねているこのお店の店主は澤口亮さん。1月まではデザイン分野で活躍する会社員でした。   プロダクトデザイナーとして ご両親の影響で、小さなころからトランペットをはじめとした音楽に親しみ、美術にも強い興味を持ち、頭を使ってというより、手を動かした活動が得意だった澤口さん。 しかし工業高校を卒業後は、特にこれがやりたいという希望もなく、親戚の方からたまたま声をかけてもらったという大手メーカーに就職しました。   就職後はソフトウェア開発部門に配属されたものの、仕事が性にあわずすぐに辞めてしまいたいと思いながら働つづける日々を過ごします。 そんなときに社内誌の挿絵を描くことになり、もともと小さいころから絵を描くのも大好きだった澤口さんは、やはり、手を動かしたクリエイティブな仕事がしたいと強く思うようになりました。   「上司に相談したところ、それなら会社の中にデザイン部門があるから、と連れて行ってくれました。でも、デザインなんてやったことない。上司から『それなら、ちょっと勉強してみたら?』と背中を押され、デザイン専門学校の夜学に2年通うことになりました」   夜学卒業後、しばらくしてデザイン部の方から声がかかり異動。始めはATMといった金融流通系プロダクトを担当します。やがてワープロやパソコンといったパーソナル製品やサーバーも担当し、徐々に携帯電話やスマートフォンのプロダクトデザインも手掛けるようになりました。   「コツコツ作る金融流通系の仕事より、僕は絵が好きというのもあり、見映えとインパクト重視のパーソナル製品のほうが得意でした」 パーソナル製品を担当するようになってから、まるで暴走するようにデザインにのめりこむようになったと語る澤口さん。 そんな中、お客さんが製品についてこだわるポイントはデザイン、だけれど、そこを細かく突き詰めていくと、思った以上に色が購買意欲に影響していると気づいたそうです。   手作り眼鏡フレームとの出会い ある時、眼鏡を作りに、奥様が見つけてきた浦和の眼鏡屋さんへと出かけました。   「おもしろい眼鏡屋さんがあるよということで行ってみました。その時選んだのが手作りの眼鏡フレームでした。形もよくて、ワクワクしました。家に帰ってから、これもしかしたら自分でも作れるんじゃないのかな?なんて思い始めました」   モノづくりが大好きな澤口さんの心は踊り、すぐに、眼鏡フレームを作るための材料を求めて動き始めます。しかし、個人向けに小さい単位で材料をおろしてくれるところはなかなか見つかりませんでした。それにもめげずあちこち電話をかけまくり、なんとか材料を手にいれて眼鏡フレーム作りにとりかかります。 そんな状況が大きく前進したのは、国内外のメーカーが集まるメガネショー(国際メガネ展)で、福井コーナーに立ち寄ったときのことでした。福井といえば、メガネフレームの国内生産シェア率96%を誇る鯖江市があります。   「とある会社が、板状の材料から糸のこを使って眼鏡のフレームを切り出すという手作り教室をやっていました。それを見て、ここならきっと話を聞いてくれると思いました」   その会社の社長に、直接材料をまとめて個人で購入させてもらえないだろうか?と直談判するも、なかなか快い返事はもらえませんでした。そこで、作り方をWebで調べてなんとか作り上げた眼鏡フレームをみせると、やる気はあると認められたのか、条件付きであるものの小口で仕入れられることになりました。 十分な材料を手に入れた澤口さんは、部屋の片隅で眼鏡のフレームづくりに没頭します。 たまたま家に出入りしていた工務店の方から、眼鏡を作って欲しいという依頼があり、さらに「クラフトフェアまつもと」への出店を勧められました。 クラフトフェアまつもとは、各地のクラフトフェアのさきがけと言われる大人気のクラフトフェアで、1985年から現在まで続いています。 澤口さんは、高い競争率をかいくぐり、2年連続で出店し手ごたえをつかみます。   「自分の作品を試す場があったのはとてもありがたかったです。お客さんとダイレクトにやり取りするのが本当にとても楽しくて、いろいろ気づかされることが多かったです。今まで物を作るのに一生懸命で視野が狭かったなと感じました」 同じ職場で出会った奥様も、自宅に遊びに来た友人たちに紹介し始めたり、フレーム談義で盛り上がったりと、いつのまにか旦那様がつくる眼鏡フレームのファンになっていったようです。   早期退職、そして起業へ 各地のものづくり市やクラフトイベントでも手作り眼鏡フレームは評価を得るものの、会社での澤口さんは昇進して管理職に就き、現場で手を動かす機会が少なくなりました。さらに会社の早期退職支援制度の存在を知ったことをきっかけに起業を考え始めます。 ところで、一家の大黒柱が早期退職にするにあたり、家族からの反対はなかったのでしょうか?   「もちろんカミさんには、突っ走らないでよと最初は釘を刺されまくりました(笑)。でも、彼女もそのころにはかなり興味をもってくれて、できるだけ手伝うと言ってくれました。それから一緒にさいたま市の創業・ベンチャー支援センターに行って、マーケティングの資料作って相談したり、イベントに参加したりしました」 店舗が決まるきっかけは、実は奥様でした。 奥様が、川越をあちこち歩き回っていたときに古い長屋をリノベーションしたコワーキングスペースダイクマチに出会います。コワーキングスペース内では、さすがに削ったりという作業は無理だろうと思いつつも面白そうな雰囲気に惹かれ、とりあえず連絡だけはとってみようと思いました。 このコワーキングスペースを運営しているのは株式会社80%で、そのメンバーがゲストハウスちゃぶだいのリノベーションにかかわっていました。そして彼らの中で、ゲストハウスの庭には小屋があるので、ここに作家さんに来てもらおうという話しがちょうど持ち上がっていたところで、とんとん拍子に話がまとまりました。   しかし、澤口さんを一番悩ませたのは、売り方でした。 クラフト市など、当初は出来上がった作品をそのまま販売しており、売れてしまうと手元になにも残らない、どんどん商品を作らなければならないと頭を抱えていました。しかし眼鏡フレームは、お客さんの個々の顔のパーツに合わせて調整が必要です。お客さんと接するうちにフルオーダー制という手もあるのでは?という思いに至ります。 「眼鏡は長く使うものだけれど、今すぐ手に入らなくてもいいものです。さらにそれが自分のためだけに作られたものであったら、お客さんは待ってくれるんだと気づきました」   そんな気付きがあってから、澤口さんの中で、商品の展示の仕方や対面方式という販売方法が一気に固まりました。   澤口眼鏡舎の眼鏡フレーム アセテートやセルロイドをつかい、どこかぬくもりのある澤口さんの眼鏡フレームは、かける人の個性を引き立たせるようなクラシカルな形です。中でも色味の深さは独特で、肌になじむ艶やかな色は手作業で丁寧に磨きだされたものです。 あるとき、こんな印象的な出来事がありました。 「あるお客さんなんですが、眼鏡のフレームによって、より華やかで生き生きとした雰囲気になり、とても素敵でした。その様子を見て思わず話が盛り上がりました」 澤口さんは、お客さんに眼鏡フレームの説明しつつ、どうしてその色をかけたいのか?どうなりたいのか?ということをさりげなく聞き出し、お客さんと一緒にフレームを作り上げるスタイルです。 一人一人の顔に合わせるのはもちろん、その人の生き方にまで寄り添う眼鏡、といっても大げさではないかもしれません。   「色んな質問も受けますが、自分で作っているので全部お答えできるんです。そうすると作り手が見えるということで納得されて買われる方が多いです」   澤口さんの手作り眼鏡に出会って「こういうフレームが欲しかった!」と声を上げる人も多いとか。 いままで仕事で作ってきたモノやモノ売りのスタイルと、まるで真逆であることに衝撃と面白さを感じていると語ります。   長く使ってもらいたいものだから、修理や磨き直しも行なっています。   これから 「川越でとてもいいなと思うのは、いろんな人がかかわってくれて、その人たちも同じような活動をしているので、そのネットワークに助けてもらえてるというところです。 お世話になった方にはちゃんと恩返しをしていきたいと思っています。おおげさかもしれませんが、眼鏡業界に少しは貢献できるようにと、でかい夢はもっています(笑)」   今はオーダー制ですが、お世話になった鯖江のメーカーと協業して、もっと気軽に買えるように値段を抑えたものも揃えたいと思っているそうです。 また、モノ作りに携わる作家さんにも思いを馳せます。   「川越は作家さんがあまり目立たない印象なんです。あちこちで活躍している作家さんを集められる場所を提供できればいいなと考えています」   インタビュー当初、シャイなんですとおっしゃっていましたが、モノ作りの話になると話がとまらない、そんな澤口さんの「澤口眼鏡舎」がいよいよ正式オープンします。   お知らせ 3/10澤口眼鏡舎…

川越の民俗芸能を日本へそして世界へ発信!〜石原のささら獅子舞(レクチャー公演)〜

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取材・記事 白井紀行   川越では多くの民俗芸能が各地で受け継がれています。 ウェスタ川越ではそういった民俗芸能を紹介する公演を2015年から開催。 今年は「石原のささら獅子舞」が演目として選ばれました。   小ホールに入ると右手には衣装展示がされていました。 この公演には川越の伝統芸能を日本や世界にSNSで発信する目的もあります。   13時30分の開場とともに観客が入場。小ホールは満席となりました。 「ささら獅子舞」への関心の高さが伺えます。   会場の照明が落とされ、昨年の様子を記録した映像が始まりました。   「石原のささら獅子舞は慶長12(1607)年に始められたと伝えられ、寛永11(1634)年川越城主酒井忠勝が若狭小浜に国替えの際、雌雄2頭と舞人を伴ったため中断したが宝永6(1709)年に太田ヶ谷(現鶴ヶ島市)に習って復活したと伝えられる」。 歴史や天狗や山伏の役割、祭事の流れなどがまとめられていて理解が深まります。   ささら獅子舞の演舞 背後から法螺貝が鳴り「ささら獅子舞」の行列が入場。   笛の音とともに観客の間を通り前方のステージへと向かいます。   ささら獅子舞の演舞が始まりました。   この公演は写真や動画撮影がOK。 皆んなが一斉にカメラ、スマホ、ビデオを構えます。   1回の舞は一庭(ひとにわ)と数えられ、12切りという12の場面があります。 大きな区切りが終わると大きな拍手が送られます。   第9場面はささら獅子舞の見所、雌獅子隠しの乱舞。 大きな拍手とともに一庭の演舞を終えました。   江田会長の挨拶 演舞の後は「石原のささら獅子舞保存会」の江田会長がステージへ。 「石原のささら獅子舞は慶長12(1607)年に始められたと伝えられ、ひとり立ち三頭形式の獅子舞で関東地方から東北地方にかけて広く分布しています。川越の由緒ある獅子舞をごゆっくりご覧ください。」と挨拶されました。   スライドショー 照明が落とされて貴重な絵や写真が映し出されました。   三澤氏による解説(よもやま話) スライドショーが終わると保存会の三澤氏による解説。 ささら獅子舞に関する数多くの資料の中から、かいつまんだよもやま話です。   石原のささら獅子舞の始まりや、神社でなく観音寺というお寺で行う由縁。 そして、入り口近くに展示してある衣装についての話しがされました。 こちらは山の神が着る古代肩衣の背面。 立体的な唐獅子牡丹は刺繍で、これはもう作れないそうで文化財級。 当時の人たちの財力の高さが伺えます。   こちらは子どもらが身につける衣装。 左が女の子が着るもので絹、右が男の子が着るもので真岡木綿で出来ています。 今の衣装は30年前に作り変えたもの。一番細い絹糸を使った反物を使っています。 現在は、反物も入手が難しく刺繍の代わりに生地を買って縫製にしているそう。   舞だけでなく、衣装や小道具に到るまで守り続けていかねばならない。 民俗芸能を続ける大変さがわかります。   獅子の舞は元々は旦那さんの道楽で浮立(格好付け)の踊り。 太鼓踊りに囃子を付けたのが始まりで、それが農村で発達したと考えられる。 旦那衆の端唄などの洒落者を取り入れていること。 石原のささら獅子舞では雌獅子隠しで先獅子と後獅子が争ったあと仲良くなる。 初めから終わりまでドラマ仕立てにしているのも見所ですと結びました。   体験コーナー 続いては、普段は触れられない獅子頭などを身につける体験コーナー。 ちなみにこの獅子頭、作り変えた記録が無く310年前に寄贈されたそのものだそう。   獅子を持つと想像以上の重さに驚きの感想 「頭だけでなく体全体を使わないと触れないんです」と解説が入ります。   こちらの女性からは獅子舞の角についての質問。 角は雄の先獅子、後獅子にあり自分を誇示するもの。もっと長い地方もあるとか。   獅子頭を体験した方との記念撮影タイム。 獅子舞の踊りには、子どもの悪魔払い、安産、子育て祈願も込められています。   続いては、獅子が身につける太鼓の体験。 みなさんシャイなのかなかなか手が上がりません。   石原町で民泊を営む恵比寿屋の溝井さんが手を上げて挑戦。 太鼓の叩き方を教えてもらいポーズを決めていました。   簓(ささら)と言われる日本最古の楽器。 青竹が多く使われますが石原の簓は竹に漆を塗り牡丹の絵柄が描かれています。   簓は36に割ったささら竹と12の刻みを付けたささら子を擦り合わせて音を出す。 この数字には山岳宗教や仏教の教えが凝縮されています。   花笠についての解説。背面に座布団が付けてあり元々は頭に被るものでした。 しかし、石原町では舞を踊るのは旦那衆でささらっ子は大事なお嬢さん。 頭に重いものは乗せられないと経済が発展した江戸後期からは持ち役ができました。   ささら獅子舞はかつては1時間ほどの舞でしたが今は25分くらいになっています。 花笠を持つのは余所から来た人やお婿さんの役割でした。 交代はおらず1時間持ちっぱなし。簡単だけど大変な作業を新参者に割り当てる。 これによって仲間に迎える習わしがあったそうです。   観客から花笠の上についた飾りについての質問が出ました。 飾りは太陽(日輪)と月。花笠の下のささらっ子は祭の日は神様になります。 桜が満開の大草原で踊っていることを想像してもらえればとのことです。   獅子になる3人の踊り手と山の神が登場して着替えの様子を解説。   これは手首足首に付けるピンコロというもの。 「ピン」は新しい「コロ」は頃合いまで魔よけの役割があります。   手甲の上に巻きます。歌舞伎の流行りを取り入れたという説もあるとか。   山の神の衣装は50年位前は11〜12歳の男の子が着ていました。 今は体格が良いので着物の大きさ、袴の長さは8〜9歳が合うのだそうです。   背中をくるりと向けると唐獅子牡丹。 司会に「重いですか?」と聞かれると「軽いです」と会場の笑いを誘っていました。   獅子頭にはクッションとして藁が詰められています。 これが無いと頭が痛いのだそう。踊り手の交代の度にさらに詰め込みます。   獅子頭は大きく振り回すので2〜3人がかかりでガッチリと固定。 喋れないくらいきっちりと締めるので翌日は顎が痛くなるそう。   水引を被せて獅子が完成しました。   踊り手は水引で全く前が見えない状態で踊ります。   神様に仕えるため、お神酒で身体を清める。 この後、拍子木が打たれ舞の準備ができたことが告げられます。   ささら獅子舞の演舞(半庭)   ささら獅子舞では一庭半を舞ってその日の祭事を終えます。 これは半庭を翌年に残すという意味があります。   山の神が回ればそれに合わせてゆったりと回る三頭の獅子。 踊りの緻密さ、優雅さに改めて感動させられます。   半庭が終わって終演、観客からは惜しみ無い拍手。 「石原のささら獅子舞」を続けてきた人々の思いを感じられたのでは無いでしょうか   「千秋楽の〜♪」と終わりを告げる唄   保存会の内田氏から観客やウェスタ川越のスタッフ、裏方へのお礼。 今年は陰まつりで4月14日(日)に観音寺で行われることを案内。   最後は、祭礼が無事に納まったことを祝って全員で手締め。 シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャンと川越ならではの7つ締めです。   今年の「石原ささら獅子舞」は4月14日(日)に石原町の観音寺で行われます。 400年以上も伝承されて来た民俗芸能を見に、是非、お越し下さい。 カワゴエ・マス・メディアでも当日の模様を取材する予定なのでお楽しみに! INFORMATION 石原のささら獅子舞(レクチャー公演) 【開催】平成31年2月11日(月・祝)14:00〜16:00 【場所】ウェスタ川越小ホール(川越市新宿町1-17-17) 【主催】ウェスタ川越…

地元だからこそ伝えたい地域の誇り〜映画『武蔵野』川越(霞ヶ関)地域上映会〜

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取材・記事 白井紀行   川越市・所沢市・ふじみ野市・狭山市・三芳町の五市町は三富と呼ばれる地域。 この辺りでは、伝統的な「落ち葉堆肥農法」が360年以上続けられています。 火山灰に覆われ作物が育ちにくかった武蔵野台地。 荒地の開発のため川越藩は農家の人たちに木を植えさせ平地林を造成させました。 この平地林を「ヤマ」と呼び落ち葉を畑の堆肥にして還元する江戸時代からの伝統農法。 都心近郊の広い地域で落ち葉堆肥農法が守られているのは奇跡的だと言われるほど。 それを後世に伝えるため製作されたドキュメンタリー映画「武蔵野」。 原村政樹監督が3年の歳月をかけ、2017年11月に完成しました。   2018年は埼玉、神奈川、新潟、大阪、兵庫、京都など各地で上映を実施。 この映画を地元でもっと応援しようと企画されたのが地域上映会。 1月27日(日)に川越市南文化会館(ジョイフル)で開催され150名を動員。 続いて、2月3日(日)に川越市西文化会館で開催されました。   上映会準備 映画の上映は10:00と13:00の2回に加え原村監督のトークショー。 ロビーでは千木良宣行氏の武蔵野「絵画展」。 地元農家のお米の販売やかわごえ里山イニシアチブの活動紹介も行われる。 これを支えるために集まったボランティアスタッフは17名。 映画「武蔵野」プロデューサーの鈴木敏夫氏が1日の流れや割り振りを説明します。   開場まで1時間あまり、スタッフ総出で会場設営。 ロビーに受付用の机を並べ、案内板、ポスターを館内各所に貼っていきます。   こちらは霞ヶ関地区で江戸時代から米作りを行っている「三村農園」ブース。 籾殻、糠、藁といった米作りの副産物を堆肥とした農法を行っています。   当ブログではお馴染みの「かわごえ里山イニシアチブ」 活動の紹介と乾燥マコモとマコモ茶の販売。   受付の準備も整いました。   開場しました 9時半の開場時間となり前売りチケットを持ったお客さんが続々と来場。 原村監督も受付に立ちお客さんを出迎えます。   上映時間が近づくにつれ徐々に客席も埋まってきました。   満員とはいきませでしたが、まずまずの入り。   上映にあたって(挨拶) 本日、司会を務めるのは鈴木プロデューサー。 昨年の3月には川越スカラ座を始め、大阪、神戸、京都でも上映したことを紹介。 今年も多くの人に見てもらいたいとあちこちに働きかけているのだそう。 3月には「ポレポレ東中野」の上映が決まりました。   続いて、今回の上映会の集客に尽力したスマイリーのぶさんが登場。 東武東上線霞ヶ関の西側にある角栄商店街のそばに生まれたまさに地元人。 地元を元気にしようと活動をしてきた中で、原村監督と出会ったこと。 チケット販売に日頃親しくしてもらっている飲食店にご協力いただいたこと。 会場を見渡せば見知った顔ばかり。地元で上映できる喜びに溢れた挨拶でした。   スクリーン一杯に武蔵野の美しい平地林が広がり映画が始まりました。 一家総出で落ち葉を集めて堆肥にし農作物を育てる農家の様子。 開発の波に呑まれ木が切り倒され倉庫や産廃置き場へと変わる現実。 平地林を守る活動、切り倒した木を使った家具の制作...。 どんなに時代が変わっても、変えてはならないものがある 武蔵野の自然と四季の映像とともに監督からのメッセージが描かれています。   オーケストラの荘厳な音楽とともにエンドロール。 作品の完成には、市民プロデューサーと呼ばれる多くの支援者も関わりました。   記者もReadyforのクラウドファンディングで協力。 スクリーンに自分の名前が乗るという初めての経験でした。   武蔵野を語る(トークショー) 上映が終わると原村雅樹監督と音楽を担当した鈴木光男氏が登場。 映画についてのトークショーがスタート。   原村雅樹…