古くから親しまれている国道254沿い山田交差点のお寺〜浄国寺〜

車が頻繁に往来する国道254号線にある山田交差点。 北に向かって左手に時宗の古刹(こさつ)で知られる浄國寺があります。 短い参道を進んでまず目につくのは山門横の地蔵堂。 六地蔵は通常は6体が同じ大きさですが、このお寺のお地蔵様は不揃い。 これは、願主がそれぞれに願い各々のご縁で尊像を建立されたもの。 江戸時代中期に篤信者から供養のために寄進されたものだそうです。 お堂の左端にあるのが交通や旅の無事をお守り下さる馬頭観世音菩薩。 頭上に馬の顔をいただており、市内の辻々で見かけます。 馬は黙々と草を食べ尽くすように、身勝手な思い、逸(そ)れる気持ちや苛々を食べ尽くす。 そして、迷う心を剣や斧で断ち切る。そんな謂(いわ)れがあります。 往来の激しい川越街道を見渡し、安全を見守って下さっています。 浄國寺は寺伝によると正応2(1289)年に他阿真教上人が開創されたとされています。 ただし、これは時宗に改宗した年で、創建はさらに古いという説もあります。 国道254号線の喧噪が嘘のように静寂に包まれた境内。 真正面にどっしりとした伽藍が目に映ります。 二体の精霊菩薩は、東日本大震災の犠牲者の慰霊のために平成24年に像立。 鐘を叩くとカーンとすんだ音。 時宗の本尊は阿弥陀仏で、浄国寺の本尊は三尊形式。 中尊は阿弥陀仏、左脇侍が観世音菩薩、右脇侍が大勢至菩薩です。 境内には歴史を忍ばせる数々の建物があります。 境内に入って右手すぐにあるのが「薬師堂」 浄國寺では「たち薬師」と呼ばれ足腰が丈夫でいられるよう信仰されています。 掲示板には木魚を枕に昼寝(?)する可愛い小僧さんの石像。 右手には天王堂(毘沙門堂)があります。 こちらには、牛頭天王、毘沙門天王、吉祥天女が安置されています。 共に江戸時代末期に建立されたもの。 こんな感じの位置関係となっています。 天王堂を正面に右手は布袋様の石像。 その横には異類供養塔(大勢至菩薩)があります。 異類とは人間以外の動植物、自然物や人工物にやどる精霊をも含みます。すべての命は六道を輪廻し人間も動物も同じように生まれ代わりをしてきた命です。共に過ごしたペットも同様に人が生きるために犠牲にした異類の尊い命にも敬意追慕の念でご供養ください(後略) 案内板より 石像なのにどこか生き生きとした動物たち。 木々に止まる虫たち。 じっと見ていると命を慈しむ気持ちが沸き上がってきます。 無縁仏満霊供養塔。 こちらには像の石像。 地蔵堂(延命まめ地蔵尊) 子を守り、その寿命を延ばし天寿をまっとうさせることから延命利益衆生の地蔵尊と称されます。本来「延命」とは寿命が尽きるその時まで、自分のことは自分で為せるというその意味。その意味から当堂の地蔵さんは「まめ地蔵」と呼ばれております。「まめ」は達者、健全という意味で人々はいつも「まめ」であることをお地蔵さんにお祈り致しました。数珠を「まめ」に見立て奉納していたそうです。  案内板より 猿田彦大神霊とあり、左手の石碑には三猿が掘られています。 各地でみられる庚申信仰のものですね。 川越に数多くに残されている伝説のひとつ「夜泣き子育て地蔵」 昔、赤ちゃんのカンが強く夜泣きに困った若いお母さんがお年寄りに相談すると「浄國寺のお地蔵さんに願かけをすればよい。最初は3つの泥だんごを供え、願いが叶えれば白い米の団子を6つお供えしなさい」と云われたそうです。その通りにすると願いがかない、それからは子供が病気になったときも怪我をしたときも訪れるようになったそうです。 川越の伝説(川越市教育委員会発行)より こちらがそのお地蔵様。ある家の女の子が病気になったので浄國寺の本尊に祈願するも、娘は苦しむこと無く息を引き取りました。その49日に娘に似せたお地蔵様を建立し供養したのが由来だそうです。 はいたさん(如意輪観音) 人々を意の如くお救い下さる観世音菩薩様。浄國寺では歯痛を治して下さる菩薩様として古くより「はいたさん」と呼ばれ信仰されております。 案内板より 墓地の入り口には時宗の宗祖一遍上人の像。 境内には多くのお堂があり、近年でも新たな菩薩が像立されている浄國寺。 案内板には必ず「南無阿弥陀仏」の文字が添えられていました。 これからも静かにずっと川越の街を見守ってくれることでしょう。 ※記事を書くにあたり百瀬千又氏編集の「平成…

五穀豊穣を願う地域のおまつり〜老袋の万作〜

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取材・記事 白井紀行   桜も早や散り始め散り始めた4月10日(日)。 老袋氷川神社で県指定文化財「老袋の万作」が行われました。 現在は、4月11日※の春祈祷に、神社内に桟敷を建て奉納される。昔は特別な舞台は作らず、農家や薬師様の座敷を借りて行ったという。もともと明治25年頃比企郡から伝えられた下妻踊りを中心とする踊りであったが、その他段物も盛んに演じられるようになった。段物には笠松峠、お半長右衛門、小栗判官などがある。また、茶番にはお玉ヶ池などがある。豊年万作を願う五穀豊穣の芸能である。 (案内板より) ※現在は、4月の第二日曜日となっています。   境内には立派な舞台が設営されていました。幕まであって本格的です。   ずらりと並んだ主賓の方々、氏子総代の挨拶に続いて議員さんの挨拶。   本日の祭典のプログラム。午前中には神儀が執り行われました。   幕が開き、最初の演目の始まり〜   神楽奉納…

保岡勝也が手腕を余すところ無く発揮した邸宅〜旧山崎家別邸〜

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取材・記事 白井紀行   川越のシンボル「時の鐘」 このまま、鐘つき通りを進めば蔵造りの街並が広がる一番街。 でも、今日はその手前で曲がってみましょう。   一番街の喧噪はここまで聞こえて来ない、静かな通り。   保岡勝也氏が設計した大正建築、埼玉りそな銀行川越支店が見える。   こちらは大正2年に建てられた洋風建築の中成堂歯科医院。 こうした裏通りを歩くのも川越散策の楽しみの一つです。   旧山崎家別邸 この通りの新たな観光名所として4月1日に公開されたのが旧山崎家別邸です。 建物が市指定有形文化財、庭園が国登録記念物(名勝地)に登録されています。   入り口から見える白い建物は管理塔。   敷地内に入って右手にあるのが旧山崎家別邸です。   旧山崎家別邸は、川越の老舗和菓子店「亀屋」の5代目嘉七氏の隠居所として建てられました。上棟は大正13(1924)年、完成は大正14(1925)年。設計は保岡勝也が担当しました。敷地内には、木造モルタル仕上げの洋瓦葺の洋館と数寄屋造りの和室を備えた和館で構成された和洋折衷の母屋、広々とした庭園、我前庵の写しの茶室があります。 かつては、陸軍大演習などで川越付近を訪れた皇族方がご宿泊されたこともあり、川越の迎賓館的な役割を果たしました。建物は平成12(2000)年4月に川越市指定文化財に、庭園は平成23(2011)年2月に国の登録記念名勝地に指定されています。 入り口の案内板より   管理棟 別邸を見学するには、先ほど入り口から見えた管理棟を通ります。   受付で入場料(一般100円、大学生・高校生50円)を購入。 荷物で建物や調度品を傷つけないようにコインロッカーに預けます。   別邸に関する説明パネルや当時使われていた日用品等が陳列されています。   また、無料休憩所にもなっていますので、川越散策の後、一休みにも最適。 奥にはトイレも完備されています。   ここから邸内へ、入り口でスタッフの方が見学エリアの説明をしてくれます。 以前は庭園が公開されていましたが、現在は母屋の1Fと庭園の一部のみになっています。   玄関前 母屋を正面に見て右が客人を迎える玄関となっています。 1階は吹付モルタル塗り、2階は細い横目地の磨き壁とすっきりした作り。   玄関の正面がプラットホームのようになっているのは人力車をつけるため。   すくっと真っすぐに伸びた松の木(お手植えの松)。 旧朝鮮王族だった王垠(りおうぎん)殿下が昭和4年に植えたものだそうです。   玄関の手前には「車待ち」があります。   母屋へ それでは母屋の方を見学してみましょう。   内玄関で靴を脱いで上がります。 受付でストラップとともに渡され青、緑、黄色の3色の札。 黄色は靴につけ、青は傘、緑はロッカーが一杯の時に受付に預けます。   邸内を巡る順路がありますので、それに沿って見学します。   畳敷きの廊下、天井には明かり取りの窓が設けられています。 壁に埋め込まれているのはガングスイッチともいう連動式の照明スイッチ。   矢印に従って右に曲がります。   奥へと連なる廊下   左手は女中部屋、台所。右手は銅板張りの流し、浴室、トイレと並びます。   廊下を今度は奥から見たところで、この先が食堂となっています   ここから料理を食堂に運び入れる仕組み、3畳の準部室となっています。 客人と女中が直接顔を合わせないよう機能的に設計されています。   廊下をさらに進むと赤ラワンが材料とされる階段。 手摺の端部に設けられた親柱は簡素な縦線をモチーフとしたデザイン。 2Fには皇室が泊まった寝室や書斎、暗室もあるのですが非公開です。   階段の右手は蔵になっています(こちらも非公開) 2階へと上がる階段が見えますが、その後ろには地下室への階段もあるそう。   そして何よりも美しいのがこのステンドグラス。 階段と蔵との間で暗がりになっているので外の明かりで際立ちます。   踊り場にあるステンドグラスは、旧山崎家別邸で最も象徴的な装飾。 「泰山木(たいさんぼく)とブルージェ」という作品 高さ2.1m、幅約7cmの欄間付きの上下窓に入っています。   最初に見学した玄関。中からはこんな感じです。   玄関から客人は右にある客間(応接室)へと招き入れられます。 カーテンや天井の壁紙は当時のものそのまま。 かつて、この部屋で交わされた会話が今にも聞こえてきそうな錯覚を覚えます。   西側の上下窓を設けた部分は天井を下げ変化のある空間を創りだしています。 ステンドグラスは、別府ステンド硝子製作所の作品。   天井は二重格子を粗く組んだ格天井(ごうてんじょう)のデザイン。 山崎家別邸を見学する時には、ぜひ、天井も見てほしいポイントです。   客間を抜けると6人がけのテーブルのある食堂。   天井にはあえて照明を設けず南北の壁にブランケットが付いています。   コンデジでもこんな雰囲気のある写真が撮れます。 きっと光を計算して設計されているんでしょうね。   山崎家別邸の特徴は和洋折衷であること。 食堂の先は、がらりと雰囲気が代わり数寄屋作りの最上級の和室となっています。 天井の桟は、よく見ると四角い竹。   下手な解説はいりませんね。   そろばんの玉のような竹の節がリズムをつくり美しい。   ここにいると風がさっ〜っと吹き抜け、とても居心地が良い。 この風を感じるだけでもここに来る価値があります。   畳廊下の天井は縁側が米杉の市松張り、室内側が米杉の目透かし張り。   その先も和室の居間となっています。   竹の装飾を好んだのでしょうか、邸内の各所に使われています。   東南の角にあるのがベランダ(サンルーム) 設計図ではベランダと称されていました。 解説によると、おそらく半屋外的な使い方をされていたのではとのこと。   こちらが外からサンルームを眺めたところ。   京都仁和寺の我前庵を写したとされる2畳半台目の茶室(中には入れません)。 保岡勝也氏は、昭和2年に「茶室と茶庭」を出版するほど和風庭園に造詣が深い方。 別邸の庭園設計でもその知識を発揮しています。   別邸を訪れた孫のための部屋(児童室)でここからも直接出入りが可能。 この前には芝生(児童遊戯場)と北東には花壇や温室があったそうです。 これは、家族本意の実用性と観賞を考慮した当時の新しい考え方の庭の設計です。   母屋を一回りして内玄関へと続く小部屋。   障子を良く見ると柱のカーブに沿って竪框(たてがまち)もカーブしています。 このように細部に拘ったところが、実は紹介しきれないくらいあります。   川越では他に、りそな銀行川越支店、旧山吉デパートを手がけた保岡勝也氏。 住宅作家のパイオニアと呼ばれた彼の手腕が余すところなく発揮された旧山崎家別邸。 ぜひ、四季折々訪れて、彼の思いを感じてみてはいかがでしょうか? INFORMATION 旧山崎家別邸(国指定重要文化財) 【住所】川越市松江町2-7-8 【開館】4〜9月 9:30〜18:30/10月〜3月…

秘かな絶景ポイントで川越の春を満喫!〜桜と菜の花めぐり〜

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4月2日(土)朝9時、JR川越駅東口に出現した構内までの長い列。 この日は、赤いブレザーでお馴染み「川越シルバー人材センター」のツアー。 この時期恒例の「桜と菜の花めぐり」が催行されたのを取材してきました。 記者は「鷺谷さん」をコンダクターに15名ほどのグループに同行しました。 ちなみに、この日は約450名の参加があったそうで人気のほどが分かります。 こちらが当日のコースをGoogleマップにマッピングしたもの。 ピンクのマーカーが桜の見所になります。 というわけで、出発です! ルートの途中にあるのは「妙善寺」。七福神巡りの出発点にもなっています。 川越シルバー人材センターが主催する定期ツアーは3つ。 「桜と菜の花めぐり」、「川越まつり」、そして、「七福神巡り」。 もし、良かったらこちらの方にもご参加してくださいと案内。 この他、夏には妖怪ツアーなど様々な趣向を凝らした企画ツアーも実施されています。 広報や川越シルバー人材センターでも案内されていますのでご覧ください。 日本橋へと続く川越街道で、この先が烏頭坂。 かつては、川越藩の参勤交代の行列が江戸を目指してこの街道を進んでいったそう。 ただし、隊伍は近くの菅原神社まで。この先は装備や隊列を身軽にして向かいました。 ‖…

いつもの道をちょっと外れて美味しい発見!〜パン工房Bare Bread〜

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川越中心街から自宅のある上戸へ自転車で帰る道すがら。 札の辻を西に折れ、菓子屋横丁を過ぎて高澤橋を渡る。 真っすぐ進めば、石原町交差点へと続いていく通い慣れた道。 だが、ふと気まぐれに目についた路地に入ってしまう。 そこで思わぬ発見や風景、地元の人しか知らない店に出会うから。 今日もなんとなく傘の列が進む路地へと曲がってみた。 この辺りは閑静な住宅街。 こんな路地を見つけただけでもワクワクしてしまう。 そのまま、自転車を走らせると駐車場に「手作りパン工房」の看板。 もしかして!?と期待に胸を躍らせながらペダルに力を入れる。 ありましたよ、思わぬ出会い! ちょっと奥まった所にあったのは木で作られた可愛いお店。 砂利が敷き詰められた庭では、キノコやパンダが顔を覗かせる。 入り口では豚さんが「いらっしゃい」と迎えてくれました。 店内は明るく、美味しそうなパンがずらりと並ぶ壁際の棚。 くるみパンに五穀パン 定番だけどやっぱり一つは選びたいアンパン、クリームパン。 隣りには総菜パンが並ぶ。最後のちくわパンをトレーに載せました♪ シンプルな味でごまかしの利かないパン屋の試金石。 記者が勝手にそう決めている「食パン」は細君にも好評でした。 さらに特筆したいのがこちらの焼き菓子。 値段も手頃なので、パンを買いに来るついでについ手が伸びてしまう。 ひとつひとつ表情がちがう「雪だるまパン」は冬限定。 ブログを読むと自己紹介に「パン屋さんになるのが夢な主婦」とありました。 その夢を叶えたのが今年の1月6日とオープンしたばかり。 bareとは「ありのままの・着飾らない」と言う意味。 パンに焼き菓子とまた一軒、つい立ち寄ってしまうお店が増えました(^0^) いつもの道もひとつ曲がり角を変えてみませんか? こんな風な素敵な発見が出来るかもしれませんよ! 取材・編集 白井紀行 INFOMATION パン工房Bare…

川越百景モニターツアー「喜多院界隈と四門前めぐり」(後編)

「川越百景」モニターツアー「喜多院界隈と四門前めぐり」後編のルートです。 ‖ 立門前(堅門前町) 「川越百景No.8」の蓮馨寺とその界隈。 川越街道から中央通りまでが現在、立門前通りと呼ばれています。 ルート中にある旧織物市場(松江町2-11)は、「川越百景No.9」。 木造2F建ての長屋形式の建物が2棟、中庭を挟んで建てられています。 明治43(1910)年に川越と周辺で生産された棉織物の取引場として建設されました。 全国的にも唯一の残存例といわれる貴重な木造織物市場建築です。 立門前通りと大正路漫夢通りとの交差点。 現在、蓮馨寺の境内は中央通りまでですが、以前は、大正路漫夢通りまでありました。   蓮馨寺 蓮馨寺(連雀町7-1)は、天文18(1549)年に創建されました。 江戸時代には浄土宗の関東十八檀林の一つとして栄えました。 蓮馨寺境内にある松山商店(団子屋)の横を抜けて北へ進みます。 丁字路を右へ。右手のグレーの覆いは「NTT東日本仲町ビル」。   ‖…

川越百景モニターツアー「喜多院界隈と四門前めぐり」(前編)

平成24年に「あなたが選ぶ みんなの景観」をテーマに選ばれた「川越百景」 その景観資源をより周知し、身近に感じてもらう一つの方策「川越百景ツーリズム事業」。 その一貫として、「川越百景モニターツアー」が行われました。   今回は第3回目「喜多院界隈と四門前めぐり」です。 川越の歴史を少し学ぶと必ず出て来るのが「十ヵ町四門前町」。 寛永16(1639)年に川越藩主となった松平伊豆守信綱が行った町割り。 現在の一番街を中心とする街並の基礎となった行政区画です。 このツアーでは古地図を手に喜多院界隈と四門前を始めとする百景を散策します。 ‖…

平成の時の鐘の下で食べる熱々「野菜うま煮」〜万久屋〜

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国道16号線が直角に曲がる脇田新町交差点。その角にあるロジャース。 県道160号線からロジャース横を通り抜けようとして目に入った見慣れた建物。 入倉工務店の「平成の時の鐘」。 この道は何度となく通っていたはずなのに初めて気付きました(^^;)。 写真を撮りつつ、自然に目に入ったのが「中華万久(まんきゅう)屋」。 看板がなければ和食のお店のような佇まいです。 店内も白と黒のモノトーンでセンスよくまとめられています。 中華を中心になんでもありで、これ以外にもメニューは豊富です。 さらに春巻きや唐揚げを1個とかがオプションとして付けられます。 だから、もう一品もちょっと食べたいなという希望も叶えてくれます。 しばしメニューを眺めて頼んだのは「野菜うま煮定食」。 野菜、イカ、エビ、豚肉などの沢山の具に熱々トロリの餡。 いつも思うけど。ウズラの卵のこの存在感はただものではない(笑) さまざまな具が醸し出す味と食感の変化。 それらが餡によってひとつにまとめあげられて一体感を成し、ご飯が進みます♪ うま煮だけで完食してしまいましたが、生卵がサービスとして置かれています。 本物の「時の鐘」と比較してみました。 平成の時の鐘は細身だけど、通りの雰囲気は想像以上にそっくりですね。 取材・記事 白井紀行 INFORMATION 万久屋(まんきゅうや) 【住所】川越市脇田新町9-12 【電話】049-242-1278 【営業】月〜土…

川越市駅から本川越駅へのアクセスが便利になりました

取材・記事 白井紀行   平成28年2月20日(土)ついに本川越駅西口の供用が開始されました。 正式な名称は「本川越駅周辺地区整備事業」。 9時半頃に到着した時は、アクセス道路は、関係者だけが通れる状態でした。   グルリと回って1枚目とアクセス道路を反対側から眺めてみる。   ロータリーには記念式典の会場となるテントが張られていました。 その周りには式典を見に訪れた市民の姿。   テントでは、近くにある富士見中学校…