自分のお店を持ちたいという夢を叶える小さな街角(その2)〜ウォームスプロダクション〜

3Fの5区画もできたので見に来て下さい。 そう連絡を受けて、4ヶ月ぶりに訪れたウォームスプロダクションの田代さんを訪ねました。 田代さんの仕事は、業種としては不動産業に分類されます。 だけど、単なる物件の仲介ではありません。 自ら物件をリノベーションして明日にでも商売できるような状態で引き渡す。 レンタルオフィスの店舗版という自ら編み出したシステムです。 以前の記事で詳細を取材していますので、合わせてご覧ください。 http://koedo.info/170710warmthproduction/ 物件の場所は、川越市新富町1-9-3…

あなたもプロと同じステージで歌・ダンス・芝居を〜ミュージカル「三銃士」オーディション〜

毎年、汗ばむ季節になると川越市内のあちこちで目にするポスター。 「ミュージカルカンパニーすてっぷ1」が主催する20年以上続くミュージカルの案内。 煌びやかな衣装を着て、ステージで踊り、歌い、芝居をするのはプロだけではありません。 毎年、出演者を募集していて、その気があれば誰でもこの舞台で演じられるのです。 年齢・性別・経験は問いませんが、その夢の第一歩はオーディションへの合格。 縁あって、取材する機会がありました。その模様をレポートします。 ミュージカルカンパニーすてっぷ1へ すてっぷ1の住所は仙波町。市立川越第一中学校のそばにあります。 電柱の「すてっぷ1」の案内標識に従って曲がると、 少し奥まったところに、モスグリーンで2階建ての建物が「すてっぷ1」が見えました。 壁に鏡が張られた30畳ほどのスタジオに加え、手前はちょっとした舞台になっています。 今回は、松石さん、内田さんのお二人のオーディションの模様を記事にしました。 松石雅子さん 最初にオーディションに臨んだのは、狭山市でパソコン塾を経営する松石さん。 主婦を中心に結成された女性ミュージカルの劇団「ヴィーナス」にも所属していたそう。 舞台経験は2回。度胸だけはあります!と明るい声で答えるムードメーカな性格の方。 審査するのは「すてっぷ1」を主催の「飛翔ひかる」(写真右)さん。 元宝塚歌劇団の男役で、今は、バレエ・ジャズダンス・歌・演技など舞台全般を教えます。 オーディションは、歌、ダンス、芝居の3つで審査。 台本を渡されたら10分ほどして演技に入ります。台本を読みながら感情を作っていく。 先生が座っている側を客席としての演技。 舞台は自分で考えてと言われた松石さん。入り口を楽屋に見立てて科白を読み始める。 続いて歌。アナと雪の女王、私のお父様、天使にラブソングと3曲続けて。 歌がとても好きだという彼女。ソプラノの伸びやかな声が広がります。 続いて音楽に合わせての30秒ほどのダンス。 習ったことはないが踊るのは好きという松石さん。記者は友近風だな思ってしまいました。 先生がアップダウンのリズムの取り方を伝授。 目で見てもなかなか、それが足が追いつかず、ドタバタしてしまいます。 ダンス、歌、芝居が終わって面接。本番に向けての説明。 「お客さんに3,500円のチケットを払って見てもらうので、いい芝居を見せるのは当たり前。 下の人をどれだけ引き上げてカバーできるかが課題。 そのために、ダンス、クラシックバレー、ジャズダンスと週3回のレッスンを受ける。 土日の練習や本番近くには通し稽古もあります」と、アマチュア劇団にない厳しさも話す。 年齢の話になって、実は先生と同い年で同じ星座ということが判明し意気投合。 猪年生まれなので、猪突猛進型ですねと、松石さん。 みんなの輪が大切だけど(松石さんの性格なら)協調性は問題ないですね。 と和やかにオーディションは終了。結果は後で伝えられます。 最後に、体の柔軟性の確認。なんなくピタッと両手がつきました(すごい!)。 内田有香さん 午後一番は、所沢にある埼玉芸術総合高校の2年生「内田有香」さん。 いささか緊張気味でオーディションに臨みます。 埼玉芸術総合高校のジャージを着ていることから話しは自然と学校の話題に。 専攻は演劇。バレー、モダンダンス、声楽を習い、部活は日本舞踊(七々扇流)。 先ほどと同じように台本を渡されます。今回は、2013年の公演「真夏の夜の夢」。 誰でも名前は聞いたことのあるシェイクスピア原作の有名な喜劇が原作の舞台。 静かに台本を読み込む彼女。少し張り詰めた時間が流れます。 宝塚歌劇団の公演「スカーレットピンパネール」の歌をBGMに歌から審査に臨みます。 話す声とは違って、低音でハリのある声。 「ミュージカルの男役に向いた良い声ですね、声だけは天性なもの」と感想を述べる先生。 「肩幅が広いね、何かやっていた?」と聞くと、水泳とバスケットをしていたとのこと。 肩幅が広いのは(舞台映えがするので)とても良い。 単なるオーディションでなく本人が気づいていない長所を次々と見出していく先生。  続いてはダンス。緩急をもったダイナミックなダンスを披露。 フロアーいっぱいを使って踊り自分を表現します。 ダンスを見ての柔軟性の確認。このまま、足を後ろに回して立ち上がれる柔らかさ。 小学校1から6年はエアロビをやってましたが、高校に入ってここまでになったそうです。 「真夏の夜の夢」に出てくる妖精パック役でのお芝居。 舞台経験はないのだそうですが、パックの性格や周りの情景が伝わる表現力を感じました。 演技が終わったら面接。 もっと体を絞った方がいいですね。本気なら次に会ったときには5kgは落とすつもりで。 役者は自分が商品、自分の身体を把握して自分で作っていく。 緊張すると口角が下がる。あなたは笑顔が素敵なので、それだけでも変わる。 「あなたは、踊れるし、歌えるし、舞台に立つことでさらに学べるでしょう。」 すてっぷ1からは、4名を輩出しているだけに、先生の言葉には重みがあります。 これまで、20年以上も出演者を募集してミュージカルを続けてきた理由。 そこには、「本人も気づいていない長所を見出して、自分が成長する糧としてもらう」 ミュージカルの舞台をきっかけに、その人が成長した姿を見て、喜びを分かち合いたい。 そんな思いから来ているのではと感じました。 先生からのアドバイスをしっかりと受け止めた内田さん。 彼女もオーディションを終える頃には、すっかりと顔が変わっていました。 カワゴエ・マス・メディアでは、今年のミュージカルができ上がるまでを追いかけます。 出演者がどんな気持ちで舞台を踏みしめるのか?その一端をお伝えして行きます。 取材・記事 白井紀行 INFORMATION ミュージカル「三銃士」オーディション 【取材】平成30年1月14日(土) 【住所】ミュージカルカンパニーすてっぷ1(川越市仙波町1-11-29) 【電話】049-226-3494 【HP】http://step1-hisho.com/ 【FB】https://www.facebook.com/step1.hisho/ 【TW】https://twitter.com/step1_musical 【告知】出演者は引き続き募集しています。詳しくはすてっぷ1にお問い合わせください。

森林整備に参加して大変さと奥深さ、そして、先人の知恵を知る〜こもれびの森・里山支援隊〜

1月2日の箱根駅伝では往路優勝、総合で2位の成績。 昨年末、日本人初の100メートル走で9秒台を記録した桐生祥秀選手が在籍する東洋大学。 鶴ヶ島駅から歩いて約10分ほど、川越市鯨井にあります。 こちらで1月6日(土)「こもれびの森・里山支援隊」による里山保全活動が行われました。   こもれびの森・里山支援隊とは? 東洋大学川越キャンパスには、敷地28.5haの3割を占める約8haの雑木林があります。 地域の方々が長年守ってきたこの雑木林を1958年に東洋大学が取得しました。 「こもれびの森」と名付けられたこの森を大学と市民が協働で保全・活用する それが、「東洋大学川越キャンパスこもれびの森・里山支援隊」。 2014年に発足し、森林の整備施業、資源利用、環境教育を行なっています。 エンジン音を響かせて登場したのは「ウッドチッパー」 伐採した木や枝を粉砕して小さな破片にし、遊歩道にまいて資源として再利用します。   稼働の様子。   作業を始めるにあたって集合写真。記者が参加した午前中は19名、午後は15名。 うち、午前・午後の通しは10名で、合計24名の参加があったそうです。 4年目となるこの活動。徐々に認知されてきてこの日は最多の参加者。 午前は、初心者組とウッドッチッパー組に分かれて作業を行うことになりました。 こもれびの森を歩く 記者は初心者組に参加。森林インストラクターの藤野さんが森を案内。 左上から時計回りに、スギ、コナラ、ヤマザクラ、ヒノキ。 同じく、アオハダ、キリ、アカマツ、クリ。多種多様な木々が森を構成します。 小道に沿ってヒノキ並木が続くのは、かつて、200人近くの所有者がいた地域の森の名残。 森の中を歩けば、こういった光景があちこちで見られます。 奥の広場は、かつてはグランドとして使われていたところ。 里山の再生の実験を行なっています。 二列に植えられたヒノキ。「境界線としての目印だったのでは?」と藤野さん。 開けたところに出たところでシートを広げて、ここが本日のベース基地となります。 すぐに作業を始めるかと思いきや、もう少し案内は続きます。 やや朽ち始めた落ち葉の集積所。この修理も本日の作業の一つ。 落ち葉もただ集めればいいものではなく、堆積所に集めなければ資源として利用できません。 私たちがこの森を整備する前は木が生い茂り鬱蒼としていました。 小道の左側は意図してかつての様子を残したもの。 冬は木々が葉を落とすので日が差し込みますが、この状態だと下草や幼木は育たない。 道の右側には明るい日差しが差し込んだ森が広がる。 落ち葉の上には下草や幼木。この対比でも里山は人が維持する必要があることがわかります。 森の一角を落ち葉の集積所に利用したところ。 木が枯れてしまいました。 落ち葉は肥料になるので、たくさん集めれば良さそうな気もしますが単純ではありません。 きちんと管理するために、先ほどのような集積所が必要な所以(ゆえん)です。 適度な間隔に見えますが、藤野さん曰く、もう少し伐採したいとのこと。 木によって住む生物が異なるので、生物多様性の面でも木の種類を増やすのが理想。 伐採すれば植生が変わるのですが、枯れた木以外は残すというのが大学の方針とか。 奥に進むと、また、開けたところにたどり着きました。 こちらもグランドだった所を「薪炭林更新管理ゾーン」として里山再生を行っています。 コナラやクヌギなどの薪炭林の育成し、生物多様性を維持する森です。 将来、コナラやクヌギなどが大きく育った時は萌芽更新をします。 若い樹々は樹液やドングリの量が多く、葉も柔らかいため昆虫や小動物が多く集まります。 下草を適正管理することで冬に草の種を残し、冬鳥が餌の種を求めて飛来します。 生き物の種類が増えると、猛禽類の餌場として機能する様になります(看板より)。 「萌芽更新」という耳慣れない言葉が出てきました。 8年から15年ごとに、30cm〜50cm程度の高さで一斉に薪炭林を伐採。 若い枝(もや)を発生させて更新する作業のことです(看板より) ちょうど、これくらいの大きさに育った木を伐採して薪や炭に使う。 切り株は光合成をするために新たな芽を出す。大きくなったら伐採を繰り返す。 薪や炭にするのにも適当に木を切るのではなく育成してきたんですね。 グランドということで土が心配されましたが、サラサラした良い土だったのだそう。 落ち葉堆肥でより豊かな土にしています。 ただ、ペットボトルなどのゴミも混じっていて、それを取り除くのも課題となっています。 地面から顔を出した松の幼木。植えたのではなく土に種が入っていたのでは推測。 里山の木々は人が植えたものなので、この辺りの元々の植生は松でないかとのこと。 ふんわりとした落ち葉の上を踏みしめながら歩くのは気持ちいい。 でも油断すると埋もれている切り株につまずいたり、上から枯れ枝が落ちてきたりする。 里山の手入れは、常に危険と隣り合わせな作業であることを忘れてはいけません。 いよいよ作業開始です 藤野さんが指をさしているのはシラカシ。足元にはヒサカキが生えています。 木の切り株の周りに生えてきた芽を切っていきます。 八方に広がった葉を持つシュロやクマザサなども刈り取っていきます。 ササ類や常緑の低木を刈るのは草本種の生育の妨げになるからなのだそう。   赤い実をつけるナンテンやセンリョウなどは残す。 森を整備したおかげで「ヤブラン」の生育が目立つ様になってきました。 夏から秋にかけて小さな紫色の花を咲かせます。 いよいよ伐採です やってきたのは「こもれびの森」の縁側付近。この先は学外となります。 この辺りの木は外からの風が直接、森に吹き込むのを抑えるいわば防風林。 木の成長を妨げないように細めの木々を伐採していきます。 これくらいの木であれば、そのままノコギリを引けば切れてしまいます。 では、もっと太い木だとどうでしょうか? キコリが斧を振るい、やがて「倒れるぞー」と叫ぶと、メリメリと音を立てて倒れる大木。 私たちが頭に描くのはそんなイメージではないでしょうか? その一連の流れはちゃんと理にかなった方法だったことを今回知りました。 木を切るには、木の高さなどや傾斜などから倒す方向を決めます。 必要に応じて、枝の伐採や周辺の細い木も切ってしまい整備をしておきましょう。 まずは、倒す側の幹の3分の1位までを水平方向に切れ込みを入れます。 続いて、45度くらいの角度で切り込みを入れます。 幹に人が口を開けた様に切り込みが入りました。これを受け口と言います。 後ろに回って、受け口の一番上と下から筋をつけ、さらにその間を3等分します。 上から3分の1のところにノコギリをあて水平に切ります(これを追い口と言います)。 ここで注意!一気に受け口のところまで切らない様にします。 10分の1ほどを残したところ(これを「つる」といいます)で倒したい方向に力を加える。 注)これが一番わかりやすかったので、上とは異なる木の写真を使っています。 そうすると木は自重で徐々に傾き「つる」の部分の繊維をちぎりながらゆっくりと倒れます。 「つる」が丁度、蝶番(ちょうつがい)の働きをして勢いよく倒れるのを防ぎます。 切り株を見ると、少し「つる」の部分が少なく、幅も同じではなかったようです。 この日、何本か伐採しましたが、なかなか難しいものです。 こちらに図示と写真があったので参考までに http://blog.goo.ne.jp/koyuridesu2006/e/5bc3c77ba567245294810efb61f8a97a 藤野さんが、切り株の年輪を指さしました。 年輪は木の成長の記録。幅が狭ければ成長は鈍く、広ければ成長が盛ん。 周辺の木も合わせて丹念に見て行くと気候の変動や森の変化の様子が読み解けます。 落ち葉を掃いたり、枯れ枝を集めたり、低木を刈ったりと仕事は多い。 12時近くに午前の部は終了。初めての森林整備の感想を発表。 木の伐採の難しさなどを話していました。 記者は、これだけの森を手入れするのは相当な苦労があることを知ったと感想を述べました。 大学の授業が始まっていたので、この日は学食ランチ♪ 体を動かしたせいか、炭水化物と脂という組み合わせが食欲をそそります。 次回は、2月4日(日)に開催されます。 身近に体験できる森林整備、是非、参加して見てはいかがですか? 詳しくは、東洋大学川越キャンパスこもれびの森・里山支援隊のHP/Facebookにて 取材・記事 白井紀行 INFORMATION 「こもれびの森・里山支援隊」里山保全活動 【開催】平成30年1月6日(土)08:30〜16:00(記事は午前の部) 【場所】東洋大学…

2017年を振り返る(後半)〜7月から12月の話題〜

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毎週月水金に絶賛更新中!のキャッチフレーズで川越の様々な話題をお届けしたこの1年。 どんな話題があったかを振り返ります。月曜日に続き、後半(7月〜12月)の話題です。 注)日付は記事を配信した日(号)です。イベントの開催日とは異なりますのでご注意下さい。   7月…

2017年を振り返る(前半)〜1月から6月の話題〜

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毎週月水金に絶賛更新中!のキャッチフレーズで川越の様々な話題をお届けしたこの1年。 どんな話題があったかを振り返ります。まずは、前半(1月〜6月)の話題です。 注)日付は記事を配信した日(号)です。イベントの開催日とは異なりますのでご注意下さい。   1月 人材発掘オーディション 晴天とともに2017年が始まりました。 川越七福神巡り、出初式、南大塚の餅つき踊り、筒粥の神事と新年イベントを中心に取材。 カワゴエ・マス・メディアでは、NHK朝ドラ「つばさ」のセット※の引越しを行いました。 ※セットの一部は、現在「ラジオぽてと大東支局」に設置されています。 また、1月23日、27日号の記事で取り上げた川越市人材発掘公開オーディション。 来年は1月14日(日)10時から川越市南文化会館(ジョイフル)で行われます。 →…

川越の食文化の歴史を知ろう!〜幻のサツマイモ「紅赤いも」食育セミナー〜

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来年で発見から120年を迎える幻のサツマイモ「紅赤いも」。 その歴史と味を楽しむ食育セミナーが12月16日(土)に川越市場で開催されました。 この日は毎月土曜日恒例の「鮮度いちばん!!お客様感謝市」 朝から大勢のお客さんでごった返していました。 師走ということでお正月に向けての食材も目立ちます。 ちなみに、12月28〜30日の朝8時から正午までは「川越市場年末大開放市」。 野菜や果物、マグロやカニ、ホタテ、いくら、かまぼこ、昆布、牛肉・豚肉・鶏肉など。 お正月用品が豊富に並びますので、是非、お越しください。 http://kawashijyo.xsrv.jp/ichiba/archives/824/ 会場は3階会議室。ここに上がるのは初めてです。 こちらが会場。セミナーは2回行われ、1回目は24組、2回目は19組が参加。 参加者には120年記念冊子「イラスト紅赤いも歴史物語」と、 本日のセミナーの主役「紅赤いも」がお土産として配られました。 セミナーの開会にあたり主催の「川越サツマイモ商品振興会」の戸田周一会長が挨拶。 同振興会は、サツマイモの生産が減る中、加工品の生産業者が集まり川越いもを守る団体です。 (同振興会が作成した川越いもの加工品販売店や飲食店が記されたマップも配布されました) (セミナー1)幻のサツマイモ紅赤とは? サツマイモ伝来のミニ歴史 「イラスト紅赤いも歴史物語」をテキストに同振興会の山田英次さんのセミナーがスタート。 注)以下は、セミナー内容を要約・編集したもので、文責は記者にあります。 サツマイモの原産地はメキシコ南部、南米北部で紀元前数千年前から食べられていました。 日本への伝来は「クラマ」「カモテ」「バタタス」の3ルートが考えられています。 中国福建省から1605年に琉球に伝わり、100年以上経って青木昆陽が江戸で栽培に成功。 1751年に吉田伊右衛門が志井津(市原市)から南永井(所沢)へ種芋を持ち帰り栽培を開始。 そこから近隣の村々へと広がり、川越に伝わったとされています。 川越今福に生まれた赤沢仁兵衛先生は、1910年に甘藷増収法を確立。 関越自動車道そば、川越市今福808-12に先生のお墓があります。 川越いもとは? 「川越いも」の生産地は川越市だけでなく江戸から見た川越地方(武蔵野台地)を指します。 川越市南部、三芳町、狭山市、所沢市、ふじみ野市、富士見市、新座市の広い範囲に渡ります。 川越いもは焼き芋で有名になった 江戸時代後期から明治の初め頃、焼き芋が庶民のおやつとして人気でした。 その中でも特に川越いもが美味しいということで「川越=いも」が定着しました。 当時は平釜で焼いていましたが、昭和初期にはつぼ焼き、戦後は石焼芋と変わりました。 紅赤発見120年のミニ歴史 「川越いも」といえば「紅赤」が代名詞。 120年前にさいたま市浦和区(北浦和)の山田いちさんが発見したものです。 その芋が非常に美味しく東京でもたちまち評判になりました。 それを普及したのが甥にあたる吉岡三喜蔵さん。 昭和元年に県農業試験場で系統選抜された「紅赤埼1号」が「紅赤」の原型とされています。 戦前は東の「紅赤」、西の「源氏」がサツマイモの二大品種として栄えました。 戦争に入ると味よりも収量が取れるサツマイモが増産され廃れてしまいます。 平成に入り幻のいもにしてはいけないと伝統作物として復活しつつある「紅赤」。 規格外のいもも買い取って加工品とし、生産意欲を高めるのが同振興会の役割です。 紅赤保存事業 「紅赤」をもっと知ってもらうために20年前にも冊子を発行。 「紅赤ものがたり」という本やDVDなども販売。 来年は「紅赤120年」。10月頃に資料の展示会や加工品のセールなど記念イベントを計画中。 さいたま市では紅赤研究会ができ、加工品の開発、埼玉大学で紅赤の栽培も始まりました。 是非、川越でももっと知ってもらい、食べてもらって、紅赤を守っていただければと結びました。   (セミナー2)紅赤の美味しい食べ方 漁師の方は天然の魚を獲り、農家の方はいい作物を作っている。 何処で取れてこの時期に何が美味しいかを知るためには、毎朝9時に来てチェックしている。 そうすることで、お客様に食材を自信を持って話せる・勧めることができる。 そう語るのは、川越いも膳(川越小室)の店主、神山正久さん。 なぜ紅赤にこだわるのか? 中学3年の時に板前になろうと決めた神山さん。 40年前、まだ修行していた頃、タクシーの運転手に川越の名物は何かと度々尋ねたそうです。 すると出て来る答えは芋。先人が川越=芋という代名詞を築いていたことに気づきました。 京都には京料理、石川には加賀料理というように観光地には食文化が根付いている。 川越を観光地にするという話も持ち上がった時期で、おもてなしをするには食文化が必要。 そこで、独立するにあたり、サツマイモ料理がメインのいも膳を始めました。 紅赤にこだわるのは、芋に限らず日本全国の一番の食材を取り扱っての結論なのだそうです。 紅赤の天ぷら(輪切りと丸揚げ)について 神山さんが口にするサツマイモは口の中でほわっとほぐれる「紅赤」の天ぷらだけ。 紅赤は10月に採れ始める。これを1〜2週間寝かすと本領発揮。従業員みんなで楽しむそうです。 SSという商品の価値のないものがあるが、これを丸揚げするとまた風味が違う。 紅赤は他のいもと比べて火の通りが良いからこそ、丸揚げにもできるのだそうです。 神山さんの紅赤や食材に対する思いが、滔々(とうとう)と熱く語られます。 それらを全て書きたいところですが些か長くなりすぎますので、印象に残った一文を。 「最近、子供の好き嫌いが激しいのには、学校で給食を作らなくなったことにも一因がある。 僕らの子供の頃には3、4時間目となると給食の良い香りがしてきて食欲を刺激してきた。 だから好き嫌いなんて言わず残さず一生懸命食べて、食べる楽しみを知ってきた」。 まさにその通りなのだと思いました。   紅赤の加工品「いも茶」、「いも納豆」など サツマイモの女王と呼ばれる「紅赤」は天ぷらでは5点満点ですが、加工品では今ひとつ。 作るのにも技術が入り、収量が他のイモと比べて少ないので農家では作りたがらない。 そこで、B級品を含めて「紅赤」を買い取ることで生産能力を高めることにしました。 何か出来ないかと考えてお茶にして見たところ、これに勝るものはない甘みと香りが出た。 紅赤だったら真似できない川越の独特となる「紅赤茶」を生み出しました。 続いて「紅赤」の甘みを生かして砂糖を最低限しか入れない「いも納豆」を開発。 こういった加工品を増やすことで、紅赤の生産量を徐々に増やしていきたい。 それを支えていくには消費者の皆さんが応援していただける。 「紅赤、紅赤」と騒いでくれることで生産者も増えていくのではないか。 命をかけて紅赤を作った松崎さんや高橋さんのような先人に続く人が出てきてほしい。 そう神山さんが話を結びました。   お待ちかね「紅赤」の試食です 会場にはぷ〜んと甘くて良い香りが。神山さんの言葉通り匂いは食欲を刺激します。 「焼き芋おじさん」こと井上さんが焼いた熱々の「紅赤」の焼き芋が配られました。 二つに割れば、湯気とともに良い香りがさらに広がります。 記者もご相伴に預かりました♪ 紅赤はほっくりとほぐれ適度な甘みで、いくらでも食べられそうな味です。 「川越といえばサツマイモ」。記者もそれを漠然としたイメージで捉えていました。 今回のセミナーを通して見えてきたのは江戸時代から続く川越の食文化の歴史。 来年で発見されてから120年を迎える紅赤。 記念事業に備えて、川越いもについてももっと知り、伝えていければと思います。 お知らせ この日は、J:COMの「ちょっ蔵お出かけまちかど情報局」も取材に来ていました。 当日の模様は平成30年1月13日(土)〜19日(金)に放送されます。 川越市場やセミナーの様子を楽しい二人のトークとともに、是非、お楽しみ下さい! 取材・記事 白井紀行  INFORMATION 幻のサツマイモ「紅赤いも」食育セミナー 【開催】平成29年12月16日(土)09:30-10:30/11:00-12:00 【場所】埼玉川越総合地方卸売市場3階会議室(川越市大袋650) 【主催】川越サツマイモ商品振興会/川越総合卸売市場株式会社 【HP】幻のサツマイモ「紅赤いも」食育セミナーのご案内

川越の農産物を知ろう買おう味わおう〜第2回川越のおいしいそろいました&カレーなる闘い〜

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雲ひとつなく日差しに恵まれた12月10日(日)。 ウェスタ川越で第2回「川越のおいしいそろいました」が開催されました。 川越産の農産物と、それを使った食べ物・飲み物などが集結したこのイベント。 年間700万人の観光客を迎える川越ですが、古くから農業も盛んなところです。 そんな一面を周知して川越産農産物のブランド化を目指します。 第4回彩の国カレーなる闘い…

川越にまた新たな歴史が刻まれる瞬間〜祝・新河岸駅橋上化整備事業完成記念式典〜

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供用開始前(平成29年11月25日) 東上鉄道(現在東武東上線)が開業した大正3(1914)年に高階駅として開設。 その2年後に「新河岸駅」と改名。103年の歴史を刻んできた駅が生まれ変われます。 駅舎が建て変えられるとともに東口が開設され、12月3日から供用が始まりました。 その1週間前の1月25日(土)の既存駅舎の様子です。 新駅舎の使用開始のポスターがあちこちに貼られていました。 新河岸駅ホームから東西を繋ぐ自由通路の西口側を望む。 3本の線路を跨いでその先に新しい西口が設けられます。 こちらが新たに設けられた西口への自由通路。線路を2本跨ぐ長さです。 駅ホームから新駅舎への階段。 エレベータも新たに設けられていました。 川越方面側には上り方向のエスカレータが設けられています。 既存駅舎を歩いてみる こちらが長年、住民の皆さんが利用してきた既存駅舎への階段。 この通路を利用できるのもあと1週間あまり。 新河岸駅の1日の乗車人数は約1万1千人。 階段を降りて家路に着くときのホッとした気持ちが染み付いているようです。 新駅舎に移転することを知らせる掲示がされていました。 改札を出て目の前に広がる駅前商店街は、降り立つたびにどこか懐かしい風情。 右に折れて川越方面に歩いていけば、 新駅舎の西口が全貌を現します。 少し離れて西口を見てみたところ。写真なのに建築パースを見ているよう。 地下道のタイル絵 既存駅舎は西口のみだったので、東側に出るには踏切を渡るしかありませんでした。 あるいは、池袋の地下道をくぐることになります。 新河岸駅の地下道には素敵な壁画とタイル絵が描かれています。 東側の壁には、大正2(1913)年頃の新河岸側の船着場を描いたタイル絵。 こ地下道を東から西を見たところ。 西側の壁には昔の川越街道の様子。 江戸と川越を結ぶ交通ルートである水路と陸路の歴史が鉄路の下に刻まれていました。 地下道をくぐって出てきた東側。 川越方面に向かうと新たに開設される東口に到着。 東口は12月2日から利用できるようになりますが、駅前広場は引き続き整備中。 来年の3月まで工事が行われ、タクシーやバス乗り場、ロータリーなどが設けられます。 川越市の掲示板にも12月2日の記念行事を知らせるチラシが貼られていました。 記念式典当日 すっきりと晴れた12月2日。新河岸駅に新設された西口広場で記念式典が行われました。 当日配布された資料によるとこの整備事業が推進されたのは昭和42(1967)年。 50年の歳月を経ての完成に地元の方の喜びも一入ではないでしょうか。 新駅舎は、舟運問屋の格子デザインを取り入れ、和のティストを随所に盛り込んだもの。 地元の方々を始め大勢の人々が見守る中、 完成を祝うテープカットが行われました。 新駅舎のバリアフリー化の体験。 式典に参加した人たちによる自由通路の渡り初め。 真新しい階段に足を踏み入れます。 自由通路の昇降から西口広場を見たところ。 新しい建物の特有の匂いを感じながら、ゾロゾロと東口へ。 改札内はまだ工事中。改札機があるべきところはまだ土台だけしかありません。 自由通路から川越方面を望む。 改札口を出た正面の壁には「新河岸早船引札」の壁画があります。 こちらは自由通路の昇降から東口を望んだところ。 ロータリーの一部が完成していることがわかります。 スタンプラリー 記念行事のひとつとして新河岸駅周辺を巡るスタンプラリーが開催されました。 スタンプラリーの用紙を求めて並ぶ参列者でごった返す本部。 1,000枚用意したのが秒殺でなくなりました。 スタンプは全部で5箇所。 新河岸駅駅前通りを歩いて、駅前入り口「254セブンイレブン駐車場」 高階小学校北門入り口 地下道西口出入り口 新河岸駅東口自由通路階段入り口 自由通路を渡って再び西口広場の本部前へ。 記念乗車券をゲットです! 記念演舞 西口広場では、新河岸太鼓会によるオープニング太鼓で記念演舞がスタート。 続いて、五ツ又・藤間保存会による祝い神輿3基。 御神輿はロータリーを回ったあと、駅前通りを盛り上げました。 その後、居囃子、中学校演舞、ブラスバンド、盆踊り、川越舟歌で完成記念を祝いました。   12月3日(供用開始) 12月3日(日)、自由通路に続いて駅舎の供用も始まりました。 既存駅舎への階段は昨日の終電の後に閉鎖されました。 真新しい橋上駅舎。写真左側の赤・緑・青のカラフルな枠はトイレ。 柔らかな甘い香りは壁面に植えられた花々。 改札機は新品ではなく、どうやら既存駅舎から移設させたもののようです。 だから昨日は土台しか無かったんですね。 新河岸駅の案内。点字も刻印されておりバリアフリー化されています。 西口への自由通路。写真で見ると結構距離があるように感じます。 こちらは東口への通路。券売機もこちら側にあります。 自由通路から昨日まで利用されてきた既存駅舎を眺める。 閉鎖された既存駅舎へ 既存駅舎の方へ回ってみました。券売機はシャッターが下ろされています。 昨日、閉鎖したばかりなのに随分と時が経ったような様相。 閉鎖された駅舎に一瞬茫然となる乗客もいて、駐輪場の係りの人が案内していました。 「記念の写真を沢山撮っといてくれや」。 これまで人々の暮らしの風景だった駅がその役割を終え、新しい駅へとバトンタッチする。 また、川越に新たな歩みを始めた瞬間です。 取材・記事・編集 白井紀行(旧駅舎共用前後)&kawa(記念式典写真) INFORMATION 新河岸駅橋上駅舎完成記念行事 【開催】平成29年12月2日(土)10:00〜15:00 【場所】東武東上線新河岸駅(川越市大字砂914-5) 【HP】http://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisei/toshi_machizukuri/machizukuri/shingashieki_seibi/shingashi120171125.html

かわごえ産業フェスタを沸かせたチアリーディングへ直撃インタビュー!〜その元気の源を探る〜

11月12日、ウエスタ川越で行われた「かわごえ産業フェスタ2017」の屋外ステージにおいて、50名ものチアリーダーが華麗なパフォーマンスを披露し、会場を盛り上げました。 どうして、チアリーダーが川越に?? チアリーダーといえば、様々なスポーツ応援に欠かせない存在です。 2020年東京オリンピック・パラリンピックにおいて、ゴルフ競技の会場となった川越。 その川越を盛り上げる!ことを目的に、3つのチームが産業フェスタに集結しました。   SPLENDORS(スプレンダーズ) 元NFLチアリーダー堀池薫子さんを講師とした20代から60代!までの応援活動が大好きなチーム 小江戸川越キッズチアベリーズ 地元川越で活躍するキッズチアチーム   Platinum(プラチナム)チアリーダーズ 「命尽きるまで細く長くチアを続けよう」を合言葉に、様々なライフステージの女性が活躍するチーム 今回は、スプレンダーズとプラチナムの皆さんにお話を伺うことができました。   ― 改めまして、かわごえ産業フェスタお疲れさまでした!この屋外ステージには、どのようなご縁でご出演が決まったのでしょうか。   プラチナム(以下プ):遠方ではあるのですが、東急東横線で横浜と川越が1本に繋がったことをご縁に出演のお声がけをいただきました。関内と川越で相互協力している記事もあり(※)、運命的なものを感じ、絶対に出て盛り上げたい!と思いました。   スプレンダーズ(以下ス):いくつになっても元気をお届けしたい!と頑張っている60歳前後のメンバーを中心に声をかけていただきました。   ― 今回、横浜・関内を中心として活動されるプラチナムさんが川越に来ていただいたことで、路線だけでなく、心も1本に繫がった気がします(笑)。 ※関内と川越への結びつきについては、カワゴエ・マス・メディアの記事でも紹介しています。 http://koedo.info/170724kannai/   ― 関内や都内から参加してくれましたが、初めてのかわごえ産業フェスタはいかがでしたでしょうか   プ:はじめての参加という事でメンバー一同緊張していましたが、皆さまとても温かく迎えてくださり嬉しかったです。キャラクターたちがかわいらしくパフォーマンス中盛り上げてくれたのも感激しました。   ス:初めての産業フェスタは地元の人たちもステージの人たちもとても楽しそうで温かい雰囲気でした。食べ物のお店はお手頃価格で、ついたくさん買ってしまいました。地方から出店しているお店(小浜市など)もあり、川越限定ではないところも今後どんどん発展しそうで楽しみです。 ― スプレンダーズさんにお伺いしますね。産業フェスタ当日に、還暦の誕生日を迎えられた方がいました。60代の方は何名いるのですか? ス:還暦組は3名ですが、還暦予備軍の50代は3名です。その下の40代の還暦予備予備軍は3名(笑)。本当に20代から60代まで一緒に練習してま〜す!!   ― 20代と一緒に練習!しかし、皆さんのパフォーマンスは全く年齢を感じさせませんでした。ちなみに、皆さんは何歳からチアを始めたのでしょうか、 ス:(皆さん口々に)50歳になってからです。   ― なんと!20代でもスポーツから離れる人がいる中、個人的にも見習わせていただきたいチャレンジ精神です。ちなみに、皆さんはどうしてチアを始めようと思ったのでしょうか。   ス:たまたまチア大会のニュースを見ていた時に、3秒ほどですが、大阪のビューティーベアという60才ぐらいのチームが映っていたのを見たことがきっかけです。チラッと見ただけなのに 「これ、やりたい!」って思いました。   ス:私の場合は50歳健診の結果運動不足による数値の悪さが露呈したため、まずは体操でもと軽い気持ちで参加させていただきました。初回、体操が終わりやれやれと帰ろうとしたら、何やら手旗信号のような動きが始まり、まごまごしているうちに曲に引きずられ、あたふたもがくことに。 今思えば、"体操"と思っていた部分はアップ(準備)の時間だったのですね。 その後は先生やチームメイトの温かいお人柄に支えられ、笑いながら声を出して応援するチアダンスの爽快感にはまっております。身体のためもありますが、脳活にもなります。 ― スプレンダーズの皆さんは元NFL堀池薫子さんに師事されていますが、チアを始めるにあたり、いちなり一流の方に習うことに躊躇や不安はありませんでしたか?   ス:NFLチアリーダーはとにかく狭き門、ということ位しか知らなかったので、正直先生は厳しいのでは・・・?とすごく緊張して体験レッスンに行きました。 でも、先生だけでなく他の生徒さんまでもが優しく温かく受け入れてくださり、レッスンにはみんなの笑顔やチアが好き、という気持ちが溢れていて、迷わず入会を決めました。   ス:.スプレンダーズのメンバーは先生大好きが集まったチームです。何よりレッスンが楽しくて、素敵!先生の笑顔で自分も元気になれる!先生はメンバー1人1人が輝いてもらいたいという気持ちをいつも持ってレッスンしてくれ、先生のレッスンをずっと受けたくて老体に鞭打ってチアを続けてまーす!   ― レッスンに参加される前は不安だったという声もありますが、実際に参加されると「楽しい!」という気持ちのほうが大きいのですね。 演技の中では側転も披露していましたが?元々側転などはされていたのでしょうか。   ス:チームには子どもの頃できた側転なら今もできるという者もおります。最近になって体操教室でバク転を習っている60歳メンバーもいます。 60歳でバク転が披露できたら凄く盛り上がりますね! ― 続いてはプラチナムさんにご質問です。かわごえ産業フェスタ当日、観客席でお子さんが応援されていましたが、お子さんがいるメンバーは何名くらいいらっしゃるのでしょうか。   プ:産業フェスタ当日は11名中8名がママでした。全体だとメンバー約50〜60名のうち約半数がママです。もともと子供がいるメンバーもいれば、プラチナムに入ってから結婚、妊娠、出産をするメンバーも増えています。 ― 11名中8名も!現在女性の社会進出のために、女性の妊娠・出産に対する環境整備や理解促進が課題としてある中、出産を経験しながら輝く場を持てることは素敵ですね。 しかし、イベント等はお子様と一緒に参加することが多いのでしょうか?また、大変なことはありますか。   プ:子供と一緒で大変なことは時間通りに進められないことです。周りや他のメンバーに迷惑をかけてしまわないよう意識して行動することが大変に感じます。   先日、同じくウエスタ川越の会場でも、お子さんが泣いても大丈夫という「ベビーカーコンサート」が行われました。このような取り組みが増えると、お子さんがいる女性ももっと色々なことに興味を持ち、積極的に参加することが出来ますね。 http://koedo.info/171030babycarconcert/   ― …