水ぬるむ5月の青空の下、みんなで田植え〜かわごえ里山イニシアチブ〜

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気持ちのよい青空の下、代掻きも終わって水の張られた田んぼ。 5月21日(土)に「かわごえ里山イニシアチブ」の田植えが行われました。 畦道には先週作成した目印付きのロープが張られています。 反対側からみたところ。 こちらは田んぼの中ほど(今日、手で田植えをする範囲)までのロープ。 この2本が組になって縦方向の位置決めをします。 棒に結びつけられているのは、横方向の位置決めするロープ。 こちらは、苗を一列植えるごとに縦方向に移動させていきます。 田んぼにはすでにポット苗の苗が浮かんでいました。 昨日から準備を行っていたそうです。 網を片手に用水路を覗き込む子ども達。 最近はこういう光景も見られず、ゲームの影響なのかなと思っていました。 でも、色々と学ぶうちにもう一つの理由に農薬もあると気づきました。 そもそも、田んぼに魚や虫がいなければこういう遊びもできないんですね。   ‖…

マコモの田植えのお手伝い&田植えの準備をやってきました

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川越北環状線が国道254号に接続する福田。 田園が広がる中にマコモの田んぼがあります。 昨年の9月25日号の記事で、マコモタケのことを取り上げました。 http://koedo.info/150925makomo/   今年もマコモを栽培するとのことで、田植えを手伝ってきました。 マコモは種も出来るのですが、一般的には株から育てます。 用水路で成長させたマコモの苗を株分け 葉っぱだけだとマコモタケは育たないので、茎がある株だけを植えます。 クローラー(運搬機)でマコモの田んぼに運びます。 マコモの田んぼは、文字通り「田」の字になる通路を設けて4区画に分けます。 上の写真の赤い線のところには、90cm間隔で目印が付いたロープが沈められてます。 先ほど運んで来た苗をボートに積み替える。 それを田んぼの中へ運んでいきます。 15cmほど足が泥の中に埋まるので足を取られるのでかなり大変。 先ほどのロープの目印を目安に苗を植えていきます。 真っすぐにしたつもりですが、等間隔にするのは以外と難しい。 苗は倒れていますが、成長するにつれ直立します。 時ならぬ騒ぎに驚いて出て来た「トウキョウダルマガエル」 当日は「田」の字の1区画を終了。後日、2区画の田植えをされたそうです。 1区画が残っているのは、川越蕎麦商組合の方が田植えをする分。 昨年よりマコモの勉強会が始まっていて、今年から旬の一品として取り組むそう。 川越まつりの頃(9月下旬以降)には、メニューとして並ぶ予定で今から楽しみ♪ 参考)https://saimen.or.jp/news.html (2015/11/02…

峰岸進さん(那珂川の舟大工)~一艘の舟から始まる川物語・その3~

話しは遡ること約3ヶ月前。 川越でも雪景色の見られた2月7日(日)午前5時。 川島網打連合会の方々と車で移動すること約3時間。 やってきたのは茨城県常陸大宮市。きらきら光る水面が美しい那珂川の傍。 陶器で有名でSLが走る真岡を越え、ツインリンクもてぎ(茂木)の先。 これで、おおよその距離感や位置は分かるでしょうか? 那珂川の堤防沿いをテクテクと歩く。   ‖…

今年も米作りを追いかけます!〜有機稲作ポイント研修会(苗床づくり)〜

「かわごえ里山イニシアチブ」が主催する「有機稲作ポイント研修会」。 川越市北部地域ふれあいセンター(山田1578-1)で4月16日に開催されました。   ‖ 午前の部 (座学) 講師は「NPO法人…

吉澤典史さん(鍛冶職人・吉澤刃物)~一艘の舟から始まる川物語・その2~

取材・記事・写真 本間寿子   「忙しかった前職の飲食業を辞めて、ストレス解消に二週間くらいバイクで北海道を回ろうかなと思ったんです。でもこの機を逃したらもう一生できないかもしれないと考え直して、期間をきめないで日本一周に行こうと決めたんです。結局一年間かけてバイクで日本を回りました。そこで鍛冶屋さんに出会いました。」   そう語るのは鍛冶職人の道を歩み始めてまだ間もない吉澤典史さんです。 川島で進水式を行ったあの和舟の舟釘(以降、和釘)を製作した職人さんです。   日本一周バイクの旅の途中の高知でひょんなことから鍛冶屋さんに出会い、その後も様々な鍛冶屋さんを巡りこれは素晴らしい技術だと実感したそうです。しかし鍛冶屋さんは60歳70歳の方が多く、弟子も跡継ぎもいない、当代で終わりという所も多いのが実情です。土佐打ち刃物は地場産業としては盛んですが、毎年一軒、二軒はつぶれていくのです。外国では売れる、しかし国内では売れずに、安くてお手軽なものが主流となりつつある・・・   そんな状況を目の当たりにして、これはもったいない!と吉澤さんは強く心を揺さぶられました。 「雑誌で前から知っていた親方のところを訪ねてたまたま話をしていたときに、教えてあげるよと声をかけられたんです。そのときこれをこれからの職業にしよう、一生やっていこうと思いました。親方が作っていたのは先がとがっている土佐独特の鉈(なた)、剣鉈(けんなた)でした。真っ赤な鉄がどんどん変わっていく、鮮やかに加工されていくさまが見ていてとても気持ち良かったですね。」   できるだけ長く滞在して技術を学ぼうと決心、夜は生活のために飲食店で働き、昼は鉄をたたく、そんな修行生活が始まりました。ところが一年半たった頃に親方の体調が悪くなり、その親方の元を去らなければならなくなりました。まだまだ納得がいくような仕事ができず、新しい修行先を探し回る日々・・・将来高知で開業するのであれば面倒をみてあげてもいいという話もあったそうです。しかしそこにはどうしても生まれ育った川越にて開業したいという吉澤さんの強い思いがありました。   「修行をどう続けようか悩んでいた時にある鍛冶職人さんに言われたんです。『親方の元にずっと居たら同じ物しか造れない、伝統っては時代に合った形で残っていくものだ。一年半修行したのであれば最低限の基礎は覚えたはずだから新しいやり方自由な発想でやってもいいんじゃないか。』と、じゃあもうそうしようと(笑)。すぐに川越に戻って、そして独学で頑張ってみようと思いました。」   この職人さんの一言で目の前がぐっと大きく開けました。 もともと、ものづくりは好きだったという吉澤さん。学生時代にバイクが好きで最初はバイクの部品を作る工場で7年働いたということですが、そこで培ってきた技術が今に生かされていると語ってくれました。   広い納屋を一部改装した作業場には吉澤さんが手作りしたという炉、そしてスプリングハンマーなどがならんでいます。 川越に戻って包丁鍛冶屋を始めるにあたり、このスプリングハンマーを据え付けるための土台を依頼したのが鳶職人の加藤さんでした。 この出会いから和舟のための「和釘」を初めて作ることになったのです。   和船のための和釘は3種類、今回は全部で300本作成したそうです。 さっそく和釘の製作工程を見せてもらいました。   炉の温度は20分ほどで1200度あまりになります。すさまじい炎が炉のなかで渦巻いているのが音と空気で伝わってきました。冬でも半袖で十分というくらいの熱気だそう。   大まかな形成はスプリングハンマーで行い細かな調整はひたすら手(ハンマー)でおこないます。   真っ赤になった鉄は思ったより柔らかく、ちょっと叩きすぎると形が広がりすぎたり、曲がったりしてしまいます。舟に多くの本数を必要とする和釘は、大きさをそろえるのはもちろん、厚みもそろえる必要があり、刃物の作るのとはまた違った難しさがあるようです。   「あと難しいのは、釘の頭の角度や幅ですね。(和舟の)職人さんの好みもあるんですが、ちょっとお辞儀しているような感じがいいとか、使いやすいように作ってくれと言われるんです。何度か職人さんのところに行ってるのですが、このちょっと、とか、使いやすいように、っていうのは、実際釘を打ってるのを見てみないと分りません。それは職人同士の感覚にもよるところも大きいですね。」   炉から漏れ出る炎の音を聞きながら、鉄の棒を入れる、赤くなった鉄を叩く、釘の形に整える・調整する、この繰り返しの作業です。朝から晩まで叩きつづけ体が思うように動かなくなったこともあったそうです。   「初めての職人が鍛冶屋って言われてるんです。大工さんの道具は鍛冶屋が作る、料理人の包丁も鍛冶屋が作る。じゃあ鍛冶屋が使う道具は誰が作るか?というとやっぱり鍛冶屋が作るんですよ。自分の道具は自分で作る、それが鍛冶屋なんです。」   鍛冶職人について遠慮気味に、でも誇らしく語ってくれた吉澤さん。 実は他にも料理人として働いた経験もあるので、包丁だとだいたいどんなものが使いやすいのかということがわかるのだそうです。 「一番街の『まちかん』さんにはいずれ自分が作った刃物を置いて欲しいなと思います。包丁だけでなく装飾ナイフなども扱っていきたいですね。」   和釘の納品を終えてホッとしてる吉澤さんに、次に何を作ってみたいのか聞いてみました。   「今はきちんとした機械がまだ手に入っていないので、包丁を作るのは難しいのですが、実は加藤さんから次は碇(いかり)を作ってくれって言われているんです(笑)。実際には使わないようなんですが、舟についていたらかっこいいじゃないですか?時間があったら作ってみようと思います。まさかこんな仕事をいただけるとは思ってもみかなかったです。でも、こういうのいいなって思います。野鍛冶っていうのがあるんですが、それは鉄でなんでも作っちゃうんです。ベルトのバックルなども作ってみたいですね。」   土佐で剣鉈に魅せられた吉澤さんですが、悩んでいたときに背中を押してくれた職人さんのひとこと、そして川越に戻ってから思いもよらぬ出会いによって、鍛冶職人としての可能性が広がりそうです。   吉澤さんありがとうございました!   次は吉澤さんの和釘が、茨城の舟大工、峯岸さんの元に運ばれ、和舟ができるまでの工程をお伝えします。   INFORMATION 川島キャスティングネット(川島網打連合会青年部) 【HP】http://kawajimacastingnet.jimdo.com/ シリーズ連載(第一章) 第1回 http://koedo.info/160401kawajimawasen/   第2回 http://koedo.info/160411yoshizawa/   第3回 http://koedo.info/160429mineghshi/   第4回 http://koedo.info/160606wasenzukuri/   第5回 http://koedo.info/160617wasenzukuri/

街に集う若きアーティストを応援!〜鎌田萌奈美 個展「Egg of rabbit」〜

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東武東上線霞ヶ関駅南口から歩いて10分。 東京国際大学の正門を過ぎて霞ヶ関マンションの1F。 紅白ストライプが目印の「カフェ&ギャラリー Le Cottage(ル・コタージュ)」 チーズたっぷりのピザトーストにスープ、サラダ、デザートのセット。 そして、煎れたての美味しいコーヒー。 オーナーの美奈子さんの陽気な性格もあってついついおしゃべりしまう空間。 写真は毎月第一日曜日の9時〜12時頃まで開催されている朝活の様子。 テーマもなく茶飲み話、遅刻早退自由でどなたでも参加できるゆる〜い会。 3月6日(日)には、軒先で「かすみヒトハコ古本市」も併催。 記事:おうちに眠る本を読みたい人にお届け♪〜かすみヒトハコ古本市〜 4月3日(日)には、そこで集うメンバーが御伊勢塚公園でお花見。 Le…

新連載!一艘の舟から始まる川物語(その1)〜早春の進水式〜

国道254線を北へ向かい、川越市を離れれば次の町は川島町。 3月27日に行われた和舟の進水式の取材に出かけました。 安藤川に浮かぶのは、3月20日に完成したばかりの和舟。 木の地肌が美しい。 船首を川下に向けていよいよ進水。 川面を滑るように静かに下っていきます。 ほどなくしてみんなが待ちわびる船着き場に到着。   ‖…

日本の絹文化を次代へつなげよう!〜さいたま絹文化フォーラム Vol.1〜

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縁結びの神様として有名な川越氷川神社。 その傍の氷川会館で2月28日に「埼玉絹文化フォーラム Vol.1」が開催されました。 主催は平成26年に発足した「埼玉絹文化研究会」です。 同会は絹文化ゆかりの秩父・高麗・川越氷川の3宮司らが発足。 かつて盛んだった埼玉の蚕糸・絹文化を次世代に伝える活動をしています。 ‖…

川越一番街商店街シリーズ~落合康信さん(「かつおぶし中市本店」店主)~

  中市本店(以降中市)といえば、いまや蔵の街で食べ歩きグルメ「ねこまんま焼きおにぎり」で有名なお店です。店先からただようひときわ芳ばしい焦がし醤油のかおりも一番街の名物のひとつといってもよいのではないでしょうか?   今回はそんな老舗人気店を守り続ける中市の店主、落合康信さんにお話をお聞きしました。 お店の設立は1867年(明治元年)。戦争(第二次世界大戦)までは鮮魚店でした。戦後は缶詰などの一般食料品を扱い、その後現在のようなかつおぶしを扱う乾物専門のお店になりました。   — 落合さんが子供の頃に覚えているお店の風景はどのようなものですか?   「私が子供の頃はすでに卸売店になっていました。料理屋さんに出汁用のかつおぶしをおろしていたり、県内の式場に結婚式の引き出物としてかつおぶしをおとどけするという仕事がメインでした。商品は店頭には並んでおらず、今の店舗スペースには車が2台入っていました。奥の倉庫と作業スペースでは引き出物などの包装したりといった作業をしていました。」   — それが変わったのが1989年(平成元年)から始まったNHK大河ドラマ「春日局」の放送から以降からですね?   「観光のお客さんがちょっと増えてきました。せっかくお客様に来ていただいているので、何かできないかなと思い、お店を改装して小売りを始めるようになりました。丁度高校生から大学生になるくらいの頃でした。」   — その頃はお店を継ごうと思っていましたか?   「継ぐ気は全くなかったです。弟が継ぐ意思を見せていたので、それならば私は好きなことしようと思ってました。でも、大学を卒業する頃に弟が急に『やっぱりやりたくない(継ぎたくない)』ってことになったんです(笑)…