地元の人の手で守り続けられる五穀豊穣の神事〜老袋の弓取式〜

取材・記事 白井紀行

 

立春が過ぎ暦の上では春を迎えましたが、この日は凍えるような気温。

2月11日の建国記念の日に下老袋氷川神社で「老袋の弓取式」の神事が行われました。

昨年は事情で伺えなかったので2年ぶりとなります。

 

神社の入り口に掲げられたこの幟。「勝海舟」の書なのだとか。

 

境内で神事の開始を待つ参列者、地元の人、アマチュアカメラマンら。

「今年は寒いねぇ」という言葉が飛び交います。

 

神社の外では保存会の皆さんが準備に勤しんでいました。

 

弓取式の神事が始まりました

9時半になり鳥居をくぐって弓取り式の行列が参道を進むます。

 

宮司を先頭に氏子総代、地区総代、ユミトリッコと呼ばれる氏子の長男が続く。

今年は下老袋から6歳、上老袋から10歳と11歳の3人がこの神事に参加しました。

 

「弓」と「矢」、そして「的」となる竹。

 

甘酒の入った樽。

 

豆腐に味噌を塗った豆腐田楽。

古来の流儀に則(のっと)り進んでいきます。

 

豆腐田楽は一度、拝殿へと運び込まれ、参列者が席を埋めていきます。

 

拝殿から出て来て宮司が、大幣(おおぬさ)を降って見物客もお祓い。

その後、五穀豊穣を願う祝詞が始まりました。

参列者の名前を一人ずつ呼んでの祈祷が行われます。

 

その傍らでは、竹を組み合わせて的を作ります。

 

白い紙に黒の同心円が描かれた的。

白と黒のどちらに刺さった矢が多いかで今年の天候を占います。

「昨年は真ん中に2本矢が刺さったので台風が2回来た」

そんなこともおしゃっていました。

 

祝詞が終わり用意された席に着く参列者ら。

 

祭主となる宮司と、ユミトリッコの代理で弓を引くユミトリの紹介。

ユミトリは下老袋、上老袋、中老袋、上老袋、東本宿の地区総代。

そして、下老袋の氏子総代の5人からなり、世話人と呼ばれます。

 

待ち兼ねるカメラマンのために撮影タイム。

カメラやスマホのシャッター音が響きます。

 

春夏秋の3つの季節ごとに一の矢、ニの矢、三の矢と3回放たれます。

まずは、春の天候を占います。

 

バシッ!バシ!と的に矢が当たれば、見物客から「おおっ!」とどよめきの声。

3回目の結果、白い部分に当たった矢が多いようです。

 

的に当たった矢はすぐに回収してユミトリの元へ。

 

続いて、夏の天候を占います。

 

3回目の結果、黒の方が多いでしょうか?

 

最後は秋の天候です。

 

3回目の結果、黒い部分に当たった矢が多いようです。

 

集計の結果が紹介されました。

「春」黒い部分が白い部分が多かったので晴れの日が多い。

「夏」黒い部分が多く白い部分が少なかったので雨の日が多い

「秋」黒い部分が多く白い部分が少なかったので雨の日が多い。

ということは、今年は比較的雨が多く降るのでしょうか?

 

矢と的は縁起物、魔除けの利益があり子どもが丈夫に育つとされています。

 

祭事が終わると境内に人が集まり紙コップが配られ始めました。

 

老袋の弓取式は別名「甘酒まつり」と言われ奉納された甘酒が振る舞われます。

冷えた身体に温かい甘酒が染み渡ります。

 

そして、豆腐の味噌田楽のご相伴に預りました。

甘酒と味噌田楽を頂くことで一年間に元気に過ごせるそうです。

 

くらづくり本舗の「明治20年 あわ大福」が配られ始めました。

これは、初代中野民五郎氏が古谷下老袋から当時の川越町で創業したことに由来。

明治20年2月11日はくらづくり本舗の創業記念日でもあります。

 

400年以上の歴史があるといわれる「老袋の弓取式」

大都市圏にあって市内各所で伝統行事が守られているのも川越の特徴の一つ。

ブログでもその風景をできる限り記録していければと思います。


INFORMATION

老袋の弓取り式(下老袋氷川神社)

【住所】下老袋氷川神社(川越市下老袋732)

【HP】老袋の弓取式

【時期】毎年2月11日(9時〜10時30分頃、取材当日は10時頃に弓取りの義が行われました)

川越市下老袋732