【街歩き】川越城散策見学コース(仮)を歩いて見ました

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取材・記事 白井紀行

 

1月15日号では地図を元に川越城の大きさを歩いて実感して見ました。

https://koedo.info/190115kawagoejyo/

その際に参考にしたのが「川越市初雁公園基本計画審議会」の資料3。

▶︎http://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisei/seisakushisaku/fuzokukikan/kaiginokekka/toshi_seikatsukiban/koenseibi.html

118ページに渡り川越城本丸を中心とした城址公園の構想がまとめられています。

P56に見学動線が紹介されてたので、今回はこれをベースに歩いて見ましょう。

なお、記事では見学動線を「見学コース」と呼んでいます。

出典:平成30年11月14日付 川越市初雁公園基本計画(案)

 

※PCを使っている人はGoogle Mapで航空写真を3Dで表示させながら見て下さい。

位置関係がとてもよく分かります。

https://www.google.com/maps/place/郭町/@35.9185692,139.4901805,748a,35y,39.22t/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x6018da8b17437719:0xadc4313eb37ea2bd!8m2!3d35.9227428!4d139.4916121

注)赤い線で囲まれた川越市郭町が当時の城内とほぼ重なります。

 

川越市役所(川越城大手門跡)

川越城の外郭巡りと同じくスタート地点は「川越市役所」前。

 

川越城を築城した太田道灌の像が設置されています。

 

見学コースでは1番と記されている市役所前の通り。

本丸御殿へと向かう城内の道路の名残があるとされています。

 

「中ノ門堀跡」の手前にあるこちらの路地。

見学コースでは2番と記され当時の道路を想像させるものです。

 

クランク状となった道の部分にあたるようです(中ノ門堀跡の案内板より)。

 

民家なので道路から。この先が「中ノ門堀跡」。

 

中ノ門堀跡

明治以降に城内の建物はほとんど取り壊され、堀は埋められてしまいました。

見学コースで3番と記された「中ノ門堀跡」は唯一残る堀跡。

 

平成20〜21年に保存、市民の憩いの場、観光の目的で整備されています。

土塀や冠木門は城の雰囲気を感じさせるために設けられたもの。

 

本来は2階建ての櫓門だったことがわかっています(案内板より)。

 

発掘調査に基づいて再現された堀。

深さは7m、幅18m、本丸御殿側(左)の勾配は60度、市役所側は30度。

 

案内板を見るとこの先もあって、そのあと右に折れていたようです。

中ノ門堀跡の詳細については▼

http://www.city.kawagoe.saitama.jp/kurashi/bunkakyoyo/bunkazai/nakanomon.html

川越市立特別支援学校付近

「川越氷川神社」を背にして南下、「川越市立特別支援学校」へと向かう道。

左手の黒色の軽自動車が顔を出している辺り。

見学コースでは4番と記され、中曲輪と土塁跡の高低差に注目とあります。

 

郭町交差点

先ほどの道をそのまま南下すると「郭町交差点」に着きます。

正面に見えるのは「埼玉県立川越高等学校」。

 

見学コースでは8番と記され「太鼓櫓」があった当時の道路形状を残します。

 

正面が市役所方面。当時はポケットパークに沿って道路がありました。

Googleマップで3Dの航空写真を表示させるとわかり易いと思います。

 

川越市立美術館側

「川越市立美術館」にやってきました。道路は緩やかな坂となっています。

 

見学コースでは5番と記され土塁と堀を想像させる高低差があります。

道路の左側が(美術館側)が二の丸、右側が三の丸でした。

 

川越市立博物館

「川越市立博物館」には、ぜひ、立ち寄っていきましょう。

館内の常設展示場には江戸図屏風など川越城にまつわる展示がされています。

なかでも入ってすぐにある「1/500」の城下町模型は圧巻。

記者はこれを見るためだけに入館するくらい、常に新しい発見があります。

常設展示についてはこちら▼

http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/ippan/joten.html

 

川越城には七不思議があって、この霧吹きの井戸もその一つ。

敵が攻めて来たときに井戸の蓋を取れば霧が吹き出し城を隠してしまう。

それで敵は仕方なく帰ってしまう。そんな言い伝えが残されています。

「川越城七不思議」についてはこちら▼

https://www.kawagoe.com/exploration/exploration07.html

 

川越武道館

博物館を出て西へ進むと「川越武道館」。この付近には2本の標柱があります。

こちらは見学コース7番の「川越城蓮池門跡」の標柱。

※「蓮池門」は末広町にある「榮林寺」の山門として今も残るとか(定かではない)。

 

「川越武道館」の駐車場をズイズイと進んで行くと、

 

見学コース6番の「川越城虎櫓跡」の標柱にたどり着きます。

 

ここでちょうど折り返し地点。見学コースの9〜16番を回ります。

川越城本丸御殿

見学コースでは9番の「川越城本丸御殿」に到着です。

寛永元(1848)年に建てられた頃は16棟、1025坪の規模を誇っていました。

建坪は6分の1、敷地は8分の1の規模となりましたが玄関・大広間、家老詰所が現存。

入館料はなんと100円!ぜひ、立ち寄って見てください。

 

川越城の正面には「川越城本丸門跡」と書かれた標柱があります。

 

初雁公園

川越城の前の道路を南下すれば「初雁公園」へと向かう道。

見学コースでは10番と記され、当時の道の痕跡が見られます。

 

三芳野神社

初雁公園を通り過ぎると「三芳野神社」の参道。

童謡「とおりゃんせ」発祥の地となっています。

 

平安初期に成立しており川越城が築城された後は天神曲輪に位置。

ここから「南大手門」に向かうので「帰りは怖い」のコースを辿る形です。

 

現在の社殿は寛永元(1624)年に造営されたもの。

明暦2(1656)年の江戸時代前期当時の色彩に復元する大改修工事中。

 

境内には本丸の土塁が現存しています。

 

土塁に上ってみた(真ん中の朱色の建物が「三芳野神社」)。

境内には公園があって子ども達の格好の遊び場になっていました。

 

「わらべ唄発祥の地」と「川越城七不思議」と書かれた石碑。

 

適当なランドマークがありませんが、川越城前の道路を南下してきた先。

見学コースでは11番と記され、本丸の土塁と堀を想像させるとあります。

 

「富士見櫓」の方へ。この高低差は恐らく堀の跡なのでしょう。

 

富士見櫓跡

川越城には天守閣が無く「富士見櫓」が見張りや防戦の場となっていました。

櫓があった場所は頂上付近は今は何もない広場になっています。

見学コースでは12番と記されています。

 

階段を登った先にあるのは御嶽神社と浅間神社。

 

平成11(1999)年に富士見櫓再建の話に伴い今の場所に新築したとあります。

 

頂上から「本丸御殿」の方を望む。

今は「川越高校」のグランドになっているところも「本丸御殿」の敷地でした。

 

頂上付近から北を見る。大木によってずいぶん視界が遮られてしまっています。

「富士見櫓」があった当時は川越城では最も高台。富士山がよく見えたそうです。

 

「川越城田曲曲輪跡」とある標柱

 

「富士見櫓」と「川越高校」の高台。ここが堀だったことが想像されます。

 

川越城南大手門

富士見櫓を西の方へ向かうと真正面に「川越第一小学校」の正門。

 

こちらが今通ってきた当時の道路の痕跡を残す道路(見学コースでは15番)。

 

写真の撮り忘れていました(^^;)。

右のクリーニング店とあるところの道が見学コースの13番。

弧を描いており「南大手門」があった頃の痕跡を残す形状となっています。

 

正門奥に「川越城南大手門」の標柱。見学コースの14番です。

 

校舎と校庭の高低差にここに土塁があったことを想像させます。

 

埼玉県立川越高校

「川越高校」の正門を背にして中心街へと向かう。

 

左が「川越第一小学校」で、道路に高低差があることがわかります。

見学コースでは16番と記され、中曲輪と追手曲輪の間の土塁と堀の名残です。

 

まっすぐ進んで、やまぶき会館を通り過ぎれば正面に「時の鐘」

 

見学コースは「川越小学校」の前を通って市役所に出て到着になります。

この記事ではやっぱり川越のシンボル「時の鐘」をゴールとしましょう。

前回は川越城の外郭を歩いて大きさを感じ、今回は城内の遺構を巡りました。

資料やネットを検索すると、知らなかったことが沢山出てきています。

位置関係は掴めたので、今度は曲輪一つ一つを追い求めようかと思案中。

自分なりにまとまったら、また、テーマとして取り上げますのでお楽しみに♪


INFORMATION

【街歩き】川越城散策見学コース(仮)を歩いて見ました

参考資料

【HP】川越市立博物館(川越城本丸御殿)

    第5回川越市初雁公園基本計画審議会 付属資料3