【街歩き】川越城の大きさを歩いて実感して見ました

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取材・記事 白井紀行

 

川越城は長禄元(1457)年に太田道真・道灌親子が築城。

寛永16(1639)年に松平信綱が大幅な拡張を行い4万6千坪の規模になりました。

写真は市役所玄関口に設置された川越城図(慶応3(1867)年頃のもの)

 

しかし、明治維新とともに解体され建物としては本丸御殿などを残すのみ。

堀や土塁も無く往時の面影を辿るのはなかなか難しくなっています。

「いつか、その大きさを実感して見たい」

その思いが常にどこか頭の片隅にありました。

 

先日、調べ物をしていると「川越市初雁公園基本計画審議会」の資料3がヒット。

▶︎http://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisei/seisakushisaku/fuzokukikan/kaiginokekka/toshi_seikatsukiban/koenseibi.html

中を見ると118ページに渡りその構想がまとめられていました。

 

その資料の中で目についたのがP5ページのこの図。

現況図に川越城図が投影されていて位置関係が把握できます。

これを手に早速出かけて見ることにしました。

出典:平成30年11月14日付 川越市初雁公園基本計画(案)

 

※PCを使っている人はGoogle Mapで航空写真を3Dで表示させながら見て下さい。

位置関係がとてもよく分かります。

https://www.google.com/maps/place/郭町/@35.9185692,139.4901805,748a,35y,39.22t/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x6018da8b17437719:0xadc4313eb37ea2bd!8m2!3d35.9227428!4d139.4916121

注)赤い線で囲まれた川越市郭町が当時の城内とほぼ重なります。

 

川越市役所(川越城大手門跡)

スタート地点は川越市役所。

川越城を築城した太田道灌の像と大手門跡の石碑が立っています。

江戸から続く川越街道の終点でもあります。

本来は西大手門なのですが、なぜか省かれている「西」の文字。

川越街道の終点にも当たるので正門という意味なのでしょうか!?

 

川越市役所を右手に進むとクランク状の道路。

この道の形状は西大手門付近とほぼ一致しているようです。

 

北へまっすぐ伸びる道路はかつては堀。右側に土塁がありました。

 

川越市立初雁中学校

堀と土塁は校門で右に曲がり、校舎と体育館の間辺りへと続きます。

 

校内には入れないので学校沿いの道を周ります。

 

ここを抜けると、

 

左折すると氷川神社へと向かう道。

川越城との位置関係を意識すれば見慣れた景色も違って見えます。

 

右手を見ると道路に高低差。

駐車場のP24とある看板辺りがぐっと低くなっているのが分かります。

 

川越市立特別支援学校

なだらかな坂を下る。

 

川越市立特別支援学校、あけぼの児童園・ひかり児童園、みよしの支援センター。

これらの施設が並ぶ辺りは堀が池のように広がっていました。

 

やや変則的な十字路は堀の名残。

 

右を見ると道路に高低差。ここに土塁があったことを思わせます。

白い建物が川越市立美術館で、二の丸だったところです。

 

十字路を左折。この道路は堀でした。

 

Y字になった道路。堀は右側へと続きます。

 

そのまま道なりに進む。

 

新河岸川

出た先は新河岸川。

 

ここから外堀は新河岸川と重なります。

 

城下橋

対岸に渡ってみました。青い橋が城下橋です。

 

ついつい高低差があると気になります。

 

川越武道館の裏。少し盛り上がっており二の丸の土塁を想像させます。

 

城下橋から下流を望む。本丸御殿にだいぶ近づいてきました。

 

新城下橋

川越市役所の前から東へ、国道254と交差する手前にある橋。

上の写真で遠くに見えていた新城下橋です。

この先は田園地帯が広がり、伊佐沼へと続きます。

 

新河岸川は初雁球場の裏を通って南下していきます。

この先は歩道がなく車の往来も激しいので、川越城本丸前を抜けていきます。

 

初雁公園野球場

球場の奥の並木があるところが新河岸川。

ここには武士が乗馬訓練をする馬場があったようです。

 

ここでおおよそ外堀の上半分を回ったことになります。

出典:平成30年11月14日付 川越市初雁公園基本計画(案)

川越城本丸御殿

この記事の中心となる川越城本丸御殿。

城内には川越城図が航空写真に投影された大きなパネルがあります。

それを見るとよりイメージが掴みやすいかと思います。

 

三芳野神社

築城とともに城内に位置することになった三芳野神社。

 

三芳野神社を出て再び新河岸川へ。

 

杉下橋

新河岸川にかかる杉下橋。ここが川越城外郭の南東付近になります。

 

杉下橋の陸橋に上がってみました。

写真の真ん中付近の丁字路と同様に堀もここで右に曲がっています。

 

さっき歩道橋から見た道を進む。

川越城図と照らし合わせると道の曲がりは必ずしも堀とは一致していません。

 

小高くなっているところはおそらく土塁。

Googleの航空写真をそれがよく分かります。

 

ひまわり東幼稚園

オレンジ色の目立つ建物がひまわり東幼稚園。

 

左手に朝日マンションがある真っ直ぐな道路。

位置的には外堀からは少し離れています。

 

上の写真から少し進んで右を見る。

クランクになった道の先を進むと川越城本丸御殿の前に出ます。

特徴的な道ですが堀や土塁の痕跡では無さそう。

 

真っ直ぐ進んで丁字路にぶつかる。左手が川越第一小学校。

右手の濃淡の緑のストライプは「みどりや」です。

 

川越市立川越第一小学校

川越市立第一小学校の正門。

 

正門の横には「川越城南大手門跡」の石碑があります。

 

この段差は土塁の跡で弧を描いた屋根を持つ体育館まで続きます。

 

 

校内には入れないので県立川越高校を背にして西へ。

 

城内を進む。この辺りは屋敷があったようです。

少し先の高低差は土塁の名残と思われます。

 

川越市やまぶき会館

坂を上がった先にあるのは川越市やまぶき会館。

 

土塁は川越第一小学校の校庭から、旧市民会館とやまぶき会館の間に位置。

 

やまぶき会館前のこの高低差も気になるところ。

 

初雁幼稚園の横を通りすぎる。

 

このまま直進すれば時の鐘のある通りへ抜けます。

一番街の街並みから入って時の鐘を見るのとは違った趣があります。

 

川越小学校

鐘つき通りに向かわず川越小学校の前の道に入ります。

 

川越小学校のあるところは城内、屋敷があったとされています。

 

川越市役所に到着、これで川越城を外郭を一回りしました。

今まで漠然と捉えていた川越城が、こうして歩くと大きさが実感できます。

頭の中で、各所の遺構が点から線で捉えられるようになったと感じました。

次回は、川越城本丸や富士見櫓や門跡の石碑など城内を中心に紹介していきます。

 

現況図、川越城図、Google 3Dマップを行き来して新たな発見もありました。

資料を元に丹念に歩けば、二の丸、三の丸など曲輪(くるわ)の痕跡が探せそう。

また、折を見て川越城を散策して見るつもりですのでお楽しみに!

 

[お断り]

本記事はきちんとした学術調査に基づいたものではありません。

堀や土塁の位置も記者の主観によるもので、もしかしたら違うのかもしれません。

ですので、街歩きのひとつとして楽しんでいただければ幸いです。


INFORMATION

川越城の大きさを歩いて実感

参考資料

【HP】川越市立博物館(川越城本丸御殿)

    第5回川越市初雁公園基本計画審議会 付属資料3

川越市郭町2-13-1