町の人の思いが江戸時代からの伝統の舞を未来へと繋ぐ〜石原のささら獅子舞(2日目)〜

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取材・記事 白井紀行

 

石原ささら獅子舞2日目(4/15)

朝から雨がしとしと、雨天でも石原公民館内で演舞はすると聞いてました。

家を出るタイミングをしばし待って8時過ぎ。外に出れば雨が止んでます。

公民館に到着するとささら獅子舞の皆さんは支度の真っ最中でした。

 

簓っ子たちが物珍しげに法螺貝を見せてもらい吹いてみる。

でも「しゅぅう」と空気が通り抜けるだけで難しそう(笑)

 

準備が整い「エムエス観光バス駐車場」へと向かいます。

 

エムエス観光バス駐車場へ

ブゥウォー、ブゥウォーと法螺貝とともに出発する一行。

 

最初に演舞を披露するのはベテラン勢が扮する三頭です。

 

ほどなくして県道39号線沿い、石原町交差点近くのエムエス観光バス駐車場に到着。

 

警備、山伏、簓っ子、山の神、獅子3頭、笛方というミニマム構成は住宅街へ。

 

ささら獅子舞の仲間となった「親(しん)」の家で一節を舞う。

 

エムエス観光バスで舞う

広々とした駐車場で、本日最初の演舞が始まりました。

石原のささら獅子舞は12の場面から構成され、これを「一庭」と呼びます。

 

四隅で竹製の和楽器「簓(ささら)」を奏でる簓っ子。

 

山の神に指揮され、優雅に遊び舞う三頭の獅子。

 

小唄、長唄とともに場面は進行。簓っ子が一列になるといよいよクライマックス。

 

ささら獅子舞の見所。先獅子と後獅子による激しい乱舞が始まります。

笛の音、サラサラと簓の奏でられ、太鼓が響く素朴なるも優雅な舞。

 

3頭の獅子があたかも自らの意志で戦っているよう見えます。

 

揃いの舞で一庭を終えました。

 

獅子の演者が着替えるのを待つ間は子ども達は一休み。

 

合間には舞を教える。彼らが踊りを継承してくれると頼もしい。

 

こちらでは、年長者の方が新人の山伏に法螺貝の吹き方を伝授。

 

町内回り

ミニマム構成で新たに仲間となった「親(しん)」の家や実力者の町内回り。

住宅街に笛と太鼓が響き、のどかな雰囲気を醸し出します。

 

 

 

かつては座敷を草鞋のまま舞っていましたが、今は玄関先に右足を踏み入れる。

 

 

 

本應寺

菓子屋横丁から高澤橋を渡ってすぐのところにある本應寺。

江戸時代初期の元和元(1615)年創建の広い境内を持つ風格あるお寺。

 

石原のささら獅子舞の一行を大勢の見物客が待ちかねていました。

 

ささら獅子舞を一庭、奉納します。

 

 

 

 

本堂横の大広間に町内の方が集まってお昼ご飯。おまつりの安全を願って乾杯!

これだけの人が「ささら獅子舞」を支えているんですね。

 

食事を終えて出発まで和やかな時が流れます。

 

高澤橋を渡って対岸の井上家へ

お腹も満たしたところで本應寺を後に一行は出発。

 

新河岸川に掛かる高澤橋を渡る。

 

橋の上で披露するのは「昇殿一つ打ちの舞」

 

笛や太鼓の音とともに獅子舞がやってきたことに気づく観光客ら。

菓子屋横丁側の歩道はたちまち人だかり。しきりに写メを撮ってました。

 

井上家(井上医院)

川越城主だった酒井忠勝公が、若狭国(福井県)小浜へ国替えとなったときに三頭のうち雌雄二頭と舞人を携えて行ってしまったため中断していた石原のささら獅子舞ですが、75年後に高沢町の材木商井上家から獅子頭が寄進され復活したことから、本祭りの年は、ここで一庭を舞います。

 

 

動画を作成しましたので踊りの様子をお楽しみください。

 

井上家では昔の風習に倣って草履のまま座敷の上で一節舞います。

 

 

井上家に残されたささら獅子舞の歴史

座敷の中には昔の様子を記録した掛け軸がかけられていました。

高澤橋を渡って、六塚神社の横を通り井上家に向かうところでしょうか?

 

屏風絵には楽しそうに舞う3頭の獅子舞。

そして、丹波屋半兵衛門伝記とある獅子の奉納に纏わる話が書かれていました。

少し長いですが引用します。

関東代表川越郷土芸能石原簓獅子舞の獅子頭の作者半右衛門は元禄宝永の頃井上家の番頭で大酒飲みの怠けものがあったと云うが春の一日ふと姿を晦まして沓として消息を絶ち1ヶ年を過ぎた。主人は彼の若気の至り酒色に耽溺し出奪したものと思い格別とがめだてもやずいた。或る日何気なく蔵に入ると隅の方に異様なものが朧げに見える。以外にも雌雄二頭の桐の木彫、それは黒塗の雄、金箔塗の雌、そして雄は東天紅(鶏の一種)の尾羽を以って鬣(たてがみ)としたものが木屑の散乱している中に完成している。彼は他人の除災興楽を衷心希望し一念発起獅子頭二面製作の誓願を企て即日斎戒沐浴密かにその策にてその策に従い黙ことして刀を揮うもとより春花の匂いも秋月の輝きもなく餓を覚えれば少量のかき餅を口にして一年の日子に漸く完成したものである(後略)

この事実を聴き知った主人は、その奇特な行いを深く嘉し獅子頭を観音寺に収めることにしたそうです。また、毎年祭日に井上家よりかき餅を振る舞うのはこの謂れからとのこと。

 

上の屏風絵にも描かれている霊芝は井上家の家宝。

享保年間に大蔵の親柱の下から二本宛四年間引続き生じたものなのだそう。

 

3つの小さな獅子頭も飾られていました。

これは、弘化3年3月に井上家の小僧善吉が半右衛門に見ならって獅子頭彫刻を思い立ち、薪を材料に苦心を重ね幾たびか失敗した後に作り上げたもの。同家の珍品となっています。

史実とともに実物が大切に保管されていることに歴史の重みと責任を感じます。

 

観音寺

最後の舞は、石原町のささら獅子舞の始まりの地である観音寺へ奉納。

慶長12年(1607)年の観音祭で悪魔降伏、災難消除のために行われました。

 

 

 

踊るのは「親(しん)」の方々。年長者から最後の指導が入ります。

 

最後の舞は、来年につなげるためにもう半庭(6場面)加えます。

 

 

長老が「千秋楽」を唄って、ささら獅子舞は終演。

 

こうして、今年の「石原のささら獅子舞」も無事に成功を収めました。

 

みなさん、安堵の表情を浮かべ帰路へと着きます。

来年は、陰まつりとなり平成31年4月14日(日)に観音寺で行われます。

江戸時代から300年以上続く伝統の舞を見に、是非、おいでください。


INFORMATION

埼玉県指定民俗文化財「石原のささら獅子舞」

【開催】平成30年4月15日(日)9:30〜16:00

【場所】MS観光バス駐車場→本應寺→高澤橋→井上医院→観音寺

【主催】石原のささら獅子舞保存会

【HP】川越市HP(石原の獅子舞)

【FB】https://www.facebook.com/石原のささら獅子舞

【TW】https://twitter.com/3ino7

川越市石原町1-18-1