川越古代歴史ロマン探訪〜山王塚古墳 発掘調査第2次見学会〜

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春未だ浅き3月12日(土)に「山王塚古墳 発掘調査第2次見学会」が開催されました。

見学会は、10時からと14時からの2回行われました。

記者が取材した10時からの回には朝からたくさんの参加者。

老若男女、歴史ロマンは人を惹き付けます。

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‖ 山王塚古墳とは?

川越市教育委員会の職員より本日の見学会や川越の古墳に関しての説明。

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古くから人が住んでいた川越には、河川を臨む台地の縁辺に古墳群があります。

  • 「下小阪古墳群」小畦川左岸台地
  • 「的場古墳群」入間川左岸台地
  • 「仙波古墳群」仙波台地北東縁
  • 「南大塚古墳群」入間川右岸台地縁辺

山王塚古墳がある南大塚古墳群は、4つの支群(大袋新田支群、豊田本支群、大塚支群、豊田町支群)に分けられ、ほぼ入間川街道沿いの3kmに渡って古墳が点在。5〜7世紀の間に造られたとされ、開発で消滅したのを含めると現在27基が確認されています。

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山王塚古墳は大塚支群に属し、7世紀後半に造られたと考えられています。

これ以降は、権力の象徴であった古墳は築造されなくなり寺院の時代へと移ります。

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山王塚古墳は全国でも珍しい上円下方墳。誰が埋葬されているかは未だ分かっていませんが、蘇我馬子の墓である奈良の石舞台古墳が上円下方墳という説もあり、有力な支配者層の墓と考えられます。入間川左岸の的場古墳群の牛塚(前方後円墳)古墳と対峙する位置するので、その勢力圏を知る上でも貴重な古墳です。

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古墳の規模は方形部の一部が約63mで高さ1m、円形部の径は47mで全高4.5m。方形部の外側に幅約5mの周囲溝が一部現存しているので、この写真の図のようにおそらく全体に巡っていたと考えられています。墳頂部は盗掘の痕跡も認められています。

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左上の図は当日配布された資料をスキャンしたもの。

右下は先ほどの図から簡略的にトレースしたもので正確ではありません。

赤い枠がトレンチ(発掘用の溝)で、説明はこれを紹介する形で行われました。

 

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‖ いよいよ古墳を巡ります

参加者は3班に分かれ、職員に説明を受けます。

私たちの班は南東から反時計回りにぐるりと古墳を回りました。

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まずは、山王社の鳥居をくぐって頭頂部から古墳を眺めます。

参道が少し凹んでいるのが分かると思います。

これは、石棺の蓋が外れるか割れていて、そこに土砂が入ったからだと推測されています。

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8号トレンチ

古墳の南東に位置する8号トレンチ

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緩やかで浅い傾斜を持った周溝が立ち上がっているのが確認できます(赤白の棒に付けられたプレートには「周溝」、地表のプレートには「地山(関東ローム層)」と記載されています)。

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古墳の東側を回って4号トレンチへ。

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4号トレンチ

4号トレンチの周溝側。

外縁部(外側の立ち上がり)は後世の溝で壊されており明確な規模は不明。

右側の黒いところの穴は古墳を造築するため赤土を採取するのに掘られたものとか。

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上円下方墳の断面が分かるように頭頂部に向かって掘られています。

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関東ローム層の地盤の上に造築当時の地表面、その上に下方部の盛り土がされています。

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下のプレートは古墳築造時の地表。

赤土の色で上円部がどのように版築(土を固めること)されているかがわかります。

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頭頂部を達したら西側に掘られた5号トレンチへ

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5号トレンチ

こちらも4号トレンチと同じように古墳の断面を見ることがでます。墳丘を東西に断ち割った4号、5号トレンチで計測すると上円部径は約35m、下方部一辺が約57mの規模と推定されます。

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上円部が赤土と黒土が交互に積まれているのがわかるでしょうか?

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5号トレンチの方も周溝は壊されてしまっており、外縁部の規模は不明です。

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6号トレンチ

南西部に位置する6号トレンチ。周溝の外側を確認することができます。

こちらには幅が約19m、深さ約1.4mの浅いすり鉢上に広がる周溝が確認されてます。

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7号トレンチ

山王社の鳥居の前にある7号トレンチ。

東西両端に掘り込みが見つかり、地山を掘り残して作った陸橋部が確認されています。

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周溝が埋まってしまっているので、橋を想像するのは難しいですね(^^;)

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‖ 近隣の出土品

テントの前に展示された出土品が並べられていました。

これは、山王塚古墳からではなく、近くの南大塚8号墳から出土したもの。

ほぼ完璧な形で残されています。

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こちらも南大塚八号墳から出土した「太刀」

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南大塚8号墳から出土した「柄頭(の一部)」

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こちらは、隣にあった山王塚西古墳から出土したもの。

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山王塚西古墳は直径32mの円墳だったのですが、大正5年の開墾で破壊されました。

今はその敷地に倉庫が建てられています。

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‖ 夏には全容が分かるかも?

山王塚古墳が作られた7世紀後半と云えば、大化の改新(645年)、壬申の乱(672年)など、日本が律令国家の建設に向けて大きく揺れ動いた時代。このころ日高市では霊亀2(716)年に関東周辺に暮らしていた高句麗からの渡来人約2000人が集められ高麗群を建都しています。

山王塚古墳は、誰が埋葬されているかわ未だ分かっていませんが、地下レーダ探査などの調査も既に行われており、この夏にはいよいよ石室の調査が始まるそう。川越から、また、新たな歴史の一ページが開かれるのでしょうか?

 

注)この記事は、当日配布された資料と説明をベースに作成し、その文責はカワゴエマスメディアにあります。もし、間違った記述などがありましたらFacebookやメール(info@koedo,info)でご指摘下さい。

記事・取材 白井紀行


INFORMATION

山王塚古墳

【住所】川越市大塚1-21-12

http://koedo.info/%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E6%8E%A2%E8%A8%AA/

川越市大塚1-21-12