川越百景ウォーキング〜入間川ウォークと中世河越めぐり(前編)〜

平成24年に「あなたが選ぶ みんなの景観」をテーマに応募総数296件から選ばれた「川越百景

その景観資源をより周知し、身近に感じてもらう方策である「川越百景ツーリズム事業」。

その一貫として、「川越百景ウォーキング」というモニターツアーが行われました。

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前回の11月21日は、「新河岸舟運でたどる川越の歴史」と題して新河岸周辺を巡りました。

11月28日(土)のツアーは「入間川ウォークと中世河越めぐり」

入間川の右岸に広がる大東地区と左岸に広がる霞ヶ関・名細(なぐわし)地区。

今回のコースは南大塚駅から東上線霞ヶ関の間にある川越百景を巡りながらたどるもの。

参加したモニターの意見は今後「川越百景」を活用するための施策に役立てられます。

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‖ 配布物

この日モニターに渡されたのは、「川越百景」の冊子とレジャーシート。

そして、万歩計と腕時計型の心拍計(左写真)、音声レシバー(写真右)です。

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主催の川越市都市景観課ほかの挨拶。後ろに見えるのは西武新宿線南大塚駅。

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気持ちよく晴れ渡りまさにウォーキング日和です。

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‖ 安比奈線(休止線)

安比奈線は入間川で採取した砂利を運搬するために大正14(1925)年に開業しました。

当時は近代化で鉄道の敷設やビル建設が盛んで大量に砂利を必要としていました。

開通当初は蒸気機関車が走り、昭和24(1949)年に電化されました。

しかし、砂利の取り過ぎで水質汚濁や水位が低下が見られ、昭和42(1967)年に休止。

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 安比奈線については、カワゴエマスメディアでも以前記事にしました。
 こちらもご覧下さい。

 

国道16号線を渡り、安比奈線と並走するように進みます。

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といっても、線路沿いの道は無く、線路の姿が見えなくなったり、こんな遠くになります。

道中には「大東地区」の名前の由来が説明されました。

以前は、大田村と日東村の2つの村だったのが、昭和18(1943年)に合併し「大東村」に。

昭和30(1955)年に川越市と合併して、大東地区となりました。

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やがて、線路と並行する道となります。

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こんもりとした森の前に到着。

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安比奈線は、平成21(2009)年に放送されたNHK連続テレビ小説「つばさ」のロケ地の1つ。

(提示されている写真は、ここからさらにもう少し行ったガーダー橋付近です)

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この森の中もタイトルバックやロケ地で使われました。

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ちなみに、入間川の左岸でも霞ヶ関まで走っていた「埼玉県営鉄道」があったそうです。

こちらは昭和32(1957)年に廃止され、3年余りで撤去され今は跡形も残っていません。

 

ここで、安比奈線とはお別れです。しばらく、閑静な住宅街を歩きます。

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‖ 大袋白髭神社

約10分程歩いて到着したのが「大袋白髭神社(川越市大袋253)」

室町時代、永禄年間(1558〜89年)の建立とされています。

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境内でまず気付くのが、拝殿の前にある盛り土。

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大袋白髭神社に祀られている神様(猿田彦命)は相撲好きといわれています。

江戸時代から奉納相撲が行われ、30年に1回の巡業がありました。

写真は昭和27(1952)年のもので、横綱千代ノ山、大関栃錦らが来訪しました。

小麦栽培が盛んだったので、うどんでもてなしたというエピソードが伝わっています。

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本殿横には番付表。風雨にさらされて名前等はすっかりと消えてしまっています。

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本殿には、江戸末期に流行した江戸彫りが多用されているのが見られます。

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また、境内には娯楽の少ない時代に、力比べを競った「力石」が置いてあります。

約100Kgあるそうで、持ち上がった時には相当な盛り上がりだったと思われます。

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拝殿の脇に掛けられているのはお百度参りの札入れ。

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水屋のそばには「百度石」と呼ばれる石柱があり、この間を往復して願掛けをしていました。

この札入れや百度石なんかは、聞かないと分からなかったし気付かなかったですね。

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のどかな風景の景色が広がる大東地区。

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そういえば、柿の木があちこちに植えられているのが目立ちます。

これは、甲斐国(今の山梨)から来て川越藩主になった老中の秋元喬知の政策なのだそうです。

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‖ 夜泣き地蔵と馬頭観音

川越市大袋45付近にあるのが夜泣き地蔵と馬頭観音。

赤ん坊の夜泣きを静めるためにお地蔵さんに左縄で編んだ縄を左巻きに地蔵に巻き付ける。

そして、夜泣きが静まったら右縄で編んだ縄を右巻きに巻き付けてお礼する。

そういう伝説から夜泣き地蔵と呼ばれているそうです。

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ここから歩いて5〜6本。やがて、小さな池が見えてきました(写真右下)

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‖ 池辺熊野神社境内(梶原淵)

ここは近くにある池辺熊野神社(川越市池辺261)の境内にある弁天池。

別名を梶原淵と呼ばれています。

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鎌倉時代に源頼朝が那須野に狩りの帰り、池辺で余興として家臣と馬の疾走競争をした。

ところが、馬も長旅で疲れていて悲鳴を上げてしまい動かなくなった。

この辺りは頼朝の家臣の梶原平蔵景時の所領であり、その案内で馬にこの池の水を飲ませた。

そうすると馬は元気になり競争に勝ったので頼朝は大変喜び馬の鞍を沈めた。

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そんな話しが、この梶原淵に伝えられています。

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火の見やぐら。こんな景色も川越で見られるんですね。

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‖ 関越自動車道

昭和46(1971)年に大東地区を分断するように開通した関越自動車道。

これによって地域のコミュニティが分断されてしまったとも云われています。

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高台に上がると大東地区の田園風景が眼下に広がります。

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関越自動車道を渡る。

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下に見えるのが関越自動車道。

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大東東小学校が見えてきました。

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豊田本に入ると右手には尚美学園大学の建物が見えてきます。

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‖ 豊田本白髭神社

こちらが、今日2つ目の白髭神社となる豊田本白髭神社(川越市豊田本1212)。

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境内には富士山の形をした浅間様(富士塚)があります。

これを登ると実際に富士登山をして修行したのと同じ効果があるといわれています。

祭には白装束を来た講員達が南側から上り、頂上で祝詞を上げ、北側に下りたそうです。

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頂上には溶岩があって、そこに祠があります。

辺りに高いものが無かった当時は、ここから富士山が望めました。

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今は北側に下りる道がありませんので、そのまま、来た道を戻ります。

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富士登山を終えて、吉田本の集落をウォーキング、善長寺(写真右下)に到着。

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とここまでで、当日の時間軸でいうとまだお昼前(^^;)

この後、善長寺、川越水上公園、小ヶ谷のさくら堤、川越館跡、鈴木園と巡ります。

長くなってしまうので、この続きは次回の後編をお待ち下さい♪

取材・記事 白井紀行

 

 

 


INFORMATION

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